彼が私の方に突然顔を向けた。

至近距離の美しい顔に不覚にもドキンと胸が震える。これは、単にそういう状況になれてないってだけの話で。

「悪いが明日からベルギーに出発する」

「ベルギーですか?」

「パスポートは持ってるか?」

「パ、パスポート??」

一体何事?

訳がわからないまま、ソファーから立ち上がると、急いでダイニングテーブルの脇に置いた自分のバッグの中身を確認する。

基本、そんなもの持ち歩いていることはないけれど、たまたま先週末パスポートの更新に行ってそのままバッグに入っていた。こういう時、自分のやや慎重さに欠ける性格が災いする。

私はバッグからそれを取り出し、ゆっくりと彼の方に顔を向けた。

「なぜだかありました……」

「では問題ないな。明日は朝五時に出発する。一週間分の着替えを用意して自分の荷物をまとめとけ。スーツケースは来客用に部屋にあるから使えばいい」

動揺のあまり裏返りそうになる声をなんとか戻しつつ尋ねる。

「あの、念のため確認ですが、そのベルギー出張にも私はついて行くってことです……よね?」

「もちろん。言っただろう?今日から一週間、ずっと俺のそばにいろって」

まさか、海外出張だなんて思いもしないよー!

「今になって怖じ気づいたか?やめてもいいんだぞ」

黙ったまま固まっている私を見つめながら、意地悪な顔で社長はにやりと笑う。