「な、なに馬鹿なこと言ってるんですか!あるわけないでしょう?」

思わず色んなことを思い出して顔が熱くなり、鼻をこすりながら自分の席に足早に向かう。

「あー、その顔、怪しいなあ」

「何が怪しいんですか。だって、錦小路社長は世界でも名の知れたものすごい方ですよ?そんな人と私に何かあったらマスコミの恰好のネタにされて今頃大変な騒ぎになってますよ」

「そう?あの手の雑誌関係者に騒がれるとしたら、もう少し後じゃない?心の準備しておきなさいよー」

そう言ってニヤニヤ笑いながら坂東さんも自分の席に座りなおす。

その時隣に視線を感じて顔を向けると、由美が慌てて私から目を逸らした。

そしてうつむいたまま「お疲れ様です」と小さく言った。

「お疲れ様。由美にも私がいない間迷惑かけちゃったね。何もなかった?」

「あ、はい。大丈夫です。都さんこそ大丈夫でしたか?」

「うん。大丈夫」

「あの……」

珍しく会話が続く由美の次の言葉を待つ。

「この原稿の校正お願いしてもいいですか?」

ああ、そうそう。仕事たまってるんだったよね。

由美が何か思い切ったことを言うのかと思って期待しちゃった。

「もちろん」

私は彼女から手渡された原稿を自分のデスクに置いた。

校正も面倒だなんて思うことも何度かあったけれど、この仕事がないと自分の生きがいの輪郭がぼやけてしまうのも確かだ。

久しぶりの仕事や職場の景色が今はとても新鮮で、やっぱりこのチームの鎖をほどいちゃいけないという決意が再び胸の内に膨らんでいった。

時計を見る。

戻りは夜遅いと言ってたから、とりあえず午後七時くらいから待ち伏せ開始しょう。

大欠伸している川西副編集長の顔に癒されると、由美から手渡された校正原稿に視線を落とした。