「ミレーナちゃん、大丈夫?顔色が悪いわ」
優しい声をかけられ、涙が溢れた。
肩を抱いたメディさんは驚いて目を見開く。
「ごめんなさい」
無意識に口から溢れた言葉。
魔物達は、はっと呼吸を止める。
「私が甘かったせいで、皆さんのプライベートまで晒されてしまいました。魔物であることを見せ物のようにされたり、わざわざひどいことを言いにくる人が出てくるかもしれません」
ケットを無理やり猫の姿に変えて喋らせようとしたり、ヴァルトさんの前にわざと十字架を突きつけたり、メディさんの容姿を貶したり、リム君に嫌いなやつを殺してほしいなんて頼んだり…そんなことを平気でされてしまうかもしれない。
愛のない言葉が、どれだけ相手を傷つけるかも知らずに。
「私は、こんなやり方でお店を有名にしたくはなかった…」
インターネットは、良い面ばかりじゃない。
嘘の情報が飛び交い、それを信じた人たちが攻撃をすることもある。
匿名の環境は語気が強まる傾向があり、面と向かってでは言えないようなセリフや暴言が平気で打ち込まれてしまう。
そして、一度悪だと決め付けられたものには、寄ってたかって正義という名の殺人鉄槌が振りかざされるのだ。
その時、椅子に乗ったケットがふわりと頭を撫でた。
穏やかな表情の彼は、温かい口調でささやく。
「ミレーナはやっぱり優しいね。僕らのために泣いてくれるんだ」
負の感情なんてひとつもない優しい言葉が耳に届いた。
「涙を拭いて?僕は、何を言われたって平気だよ。ただ店を取り壊されるのを待つだけだった無力な僕に力をくれたのはミレーナだよ」
すると、それに続いてヴァルトさんとメディさんも口々に告げる。
「過去から逃げていた俺がまた人と関わろうと思えたのは、ミレーナちゃんのおかげだよ」
「そうよ!私に人生を変えるくらいの素敵な思い出をくれたのも貴方よ、ミレーナちゃん」
ソファに掛けていたマクさんとラウガーさんは、落ち着いた声で励ましてくれた。
「魔物のためにあそこまで懸命になれる人間はそうそういないよ。君は間違っていない。胸を張りなさい」
「そうそう!ミレーナさんが過去で頑張ってくれたこと、ちゃんと知ってるからねぇ」
静かに歩み寄り、そっと震える手を取ったリム君は、初めて微笑みを見せる。
「君がいたから、エスターを見送ることができた。そばにいてくれてありがとう、ミレーナ」
ルキが目の前に屈んだ。
長い指で涙を拭った彼は、まっすぐこちらを見つめたまま視線を逸らさなかった。
「顔を上げろ。ここにお前を責める奴なんかひとりもいない。お前が縁を繋いでくれたから、俺たちはここにいられるんだ」
あんな記事、全部デタラメだ。魔物達はこんなに優しい。どうして、ヒトよりも温かい心を持った彼らが非難されなくてはいけないんだ。
このまま黙っているわけにはいかない…!
その時、椅子から降りたったケットが、レストランの扉に手をかけた。
「大丈夫だよ、ミレーナ。味方は僕ら以外にもいるみたいだから」
開いた扉の向こうにいたのは、電話を片手に持ったグレンダさんだった。
「グレンダさん…!どうしてここに?」
「週刊誌の記事を見て、いてもたってもいられなくなったんです。meetの記事もケチをつけられたみたいだし、売られた喧嘩は買わないとね」
店と繋がったままだった電話を切り、キリッとした笑みを浮かべる彼女。
ムジナが、店に向かおうとするグレンダさんを見つけて幽霊機関車に乗せてくれたらしい。
その後ろには、レティさん、マオットさん、そしてエスターちゃんによく似た年配の女性が立っている。
「大好きなお店が窮地に立たされているのは見過ごせなくて。微力ですが、駆けつけました」
「大切な婚約者のことをいいように書かれて、黙っているような男じゃないよ。力にならせてほしい」
初めて見る年配の女性は、私に向かって小さくお辞儀をした。
「初めまして。私は、エスターの母のルーリオです」
「お母さまでしたか…!初めまして、ミレーナと申します」
「はい。死神の彼から名前を聞いて、あなたのことは存じ上げております。娘の笑顔をくれたレストランを取り壊させるわけにはいきません。出来る限りの協力させていただきます」
それは、今まで出会ってきた魔物に理解のある人間達だった。
不思議な縁で結ばれた人々が《レクエルド》に集結する。
「ミレーナさん、反撃を始めましょう。仕掛けるなら今です」
グレンダさんの力強い声が店内に響いた。
ここから、立ち退き撤回の大勝負が幕を開けたのだ。
「どうする記者さん。反撃の手はあるのかい?まさか、裁判で訴えるとか?」
パソコンを開いたひとつのテーブルを囲み、相談を始める。
ヴァルトさんの問いに、グレンダさんは店のパソコンをカタカタと操作しながら答えた。
「いいえ。今から裁判を起こすのは現実的ではありません。町が取り壊されるまでに判決がでないでしょうし、後ろ盾がない状態で国を相手取るのは負け戦です」
「それなら、一体どうすれば…」
「簡単な話です。メディアには、メディアで勝負するのが一番。記者会見を開いて、この記事が捏造だということを訴えましょう。あれだけインターネットが荒れて注目されているなら、きっと多くの人が見てくれるはずです」
グレンダさんは「ちょうど、噂の発端となった写真に関わる人たちが揃っているみたいですし」と人間の協力者を眺めた。
確かに、ここに集まった人々が記事の矛盾点を証言すれば世論を変えられるかもしれない。
しかし、公に会見を開くとすれば、懸念すべきことがあった。
ルートは分からないものの、写真が撮られている以上、記事に対する国民の信用度は高いだろう。
会見は“魔物は危害を加える存在ではない”と伝えるためのもの。つまり、魔物であることは認める必要があるのだ。
初めから従業員は魔物だと宣伝してきたし、隠していたわけではなかった。
しかし、コンセプトレストランとしてある程度の知名度がある今、“人間のフリをしていた”、“騙していた”という意見が出ても、反論できない。
実際、私はシグレが店に来た時に魔物の存在を隠そうとした過去がある。それは、普通の人間には到底受け入れてもらえないだろうと、私自身が心のどこかで思っていたからだ。
すると、ルキが私の心境を全て察したように口を開いた。
「《レクエルド》を続けるなら、いずれはしっかりと説明すべきことだ。魔物が受け入れられないという客が離れることを怖がる必要はない」
すっと心のつかえが消えた気がした。
ルキの言う通りだ。お客さんにもお店を選ぶ権利がある。ここで多くの人に認められてこそ、立ち退き撤回の意味があるんだ。
グレンダさんは、ツテを駆使してメディアのみを招いた会見の手筈を整えてくれた。ネットでも全国中継がされる予定で、その注目度は高い。
きっと、会見で魔物が出てこようものなら、脅してあることないこと報道させようとしていると揚げ足を取られかねないだろう。
信憑性のある会見を発信するには、批判を言う人間、店を潰そうとする役人と同じ土俵に立つ人物が行う必要があった。
「私が行きます」
迷いなくそう言えた。
ルキはもどかしそうに藍色の瞳を揺らしていたが、やがて小さく頷いたのだった。
**
都市にあるグランドホテルの一室。会見の準備が整うまで、控室に通された。
異世界に来て、初めてスーツを着たな。まさか、こんなきっかけで着ることになるなんて思わなかった。
深呼吸をすると、ノックの音とともに扉が開く。顔を出したのはグレンダさんだ。
「大丈夫?」
「はい。いつでもいけます」
本当は怖くて仕方がなかった。
カメラの前に素顔を晒すことも、その向こうに私を敵だと思っている人が数えきれないほどいることも、その全てが苦しかった。
会見場に向かう途中、足が震えて感覚がない。
グレンダさんとともに会場に入ると一斉にフラッシュが焚かれた。血の気が引くのがわかる。
この先は戦場だ。少しでも発言を間違えれば後戻りはできない。
『ミレーナ』
頭の奥でルキの声がした。
『辛くなったら、俺を呼べ』
ルキ達は今、《レクエルド》の店内で中継を見ているはずだ。
大丈夫。安心して。絶対にやり遂げるから。
あなた達が温かい心を持った優しい魔物だって、精一杯伝えてみせる。
席に着くと不思議と緊張は消えていた。指先の感覚も戻り、脳に血が通う感覚がする。
心配なんてない。私には心強い仲間がついてるんだ。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。私は、meetの取材記者のグレンダです。これから会見を始めさせていただきます。内容は事前に公開した通り、魔界レストラン《レクエルド》についての週刊誌への意見、及び内容に関しての釈明です」
机の下で、そっとグレンダさんが手を握ってくれた。
背中を押す仕草に、息を吸い込む。
「私は、週刊誌で書かれた店で働くミレーナです。こうして、公に会見をするのは初めてでうまく伝えられない部分もあるかと思いますが、精一杯、真実をお話ししたいと思います。よろしくお願いします」
話を始めると、フラッシュが止んだ。
マイクを持った私は、まっすぐカメラの向こうを見つめる。
「一番はじめに、伝えさせていただきたいことがあります。《レクエルド》の従業員は、私以外の全員が魔物です。あの写真に写っていた姿は紛れもなく彼らの一面で、人間を襲った過去があることは事実です」
ざわざわとざわめく会場。序盤からこんなはっきり宣言されるとは思わなかったのだろう。
だが、これが“私たち”の反撃の一歩だった。
「しかし、記事の内容は全くのデタラメです。魔物達は皆、理不尽に人を傷つけるような存在ではありません。
これからお話しすることは、全て事実です。どうか、“ヒトではない”という色眼鏡を取り去って、私達が語るそのままの言葉を聞いていただきたく思います」
その言葉を合図に、続々と三人の仲間が入ってくる。
レティさん、マオットさん、そしてルーリオさんだ。皆、自ら証言することを希望してくれた。
まず、初めにマイクを握ったのはレティさんだった。
「私は、ヴァンパイアの男性の記事に異議を唱えます。
記事の写真は、私の祖母を悪質なストーカーから守ってくれた時のものです。決して無差別に人間を襲っていたわけではありません。
大切な人を守ろうとする気持ちは、人間だって同じです。
祖母は、亡くなるまで彼と共に撮った写真を持っていました。もしも、本当に残虐なヴァンパイアならば、七十年間も大切にしまっておくはずがありません。
祖母は彼に救われたのです。
彼はシェフであり、味覚が鈍らないよう吸血行為はしていませんでした。それは今も変わりません。
どうか、本当の彼を見てください」
泣き出しそうな声。
必死に訴える彼女の声に、いつのまにか記者達のどよめきは収まっていた。
続いて受け取ったのは、マオットさんだ。
「私は、ゴルゴーンの女性についてお話をさせていただきます。
記事の写真を見ていただければわかるように、石にされているのは私です。しかし、今、私の体は生身の人間。つまり私自身が、人が石にされて砕かれたという事実がない証明なのです。
彼女は、気に入らない相手を片っ端から石像に変えてしまうような凶悪な魔物ではありません。
この会見も、婚約者の私が矢面に立つくらいなら自分がすると言って泣いてしまうような…目の前にいるあなた方が大切だと思う恋人と何も変わらない、優しい心を持ったひとりの女性です。
私は、大切な婚約者が悪いように書かれて黙っていることはできません。彼女は、スイーツを通して多くの人を幸せにしてきました。
どうか、真摯に仕事に向き合ってきた彼女を信じてください」
次にマイクを取ったルーリオさんは、心の整理をつけたように凛と話し出した。
「私は、写真に写っている少年についてお話しします。
はじめに私情を語らせていただきますが、私の娘は一ヶ月前に亡くなりました。
しかし、クリスマスの夜、亡くなったはずの娘から、届くはずのない手紙を受け取りました。それを渡してくれたのは死神の彼でした。
彼はクリスマスまで生きたいと言った娘の願いを聞き届け、このレストランに連れていってくれたそうです。
もちろん信じられませんでしたが、手紙の字は確かに娘のもので、同封されていた写真に写っている笑顔を見たときに気持ちが少しだけ軽くなったように思えました。
彼は娘の命を奪ったのではありません。
またどこかで幸せな家庭の元に生まれ変われるように、天国へと連れていってくれたのです。
今はまだ、娘のいない現実を受け止められずにいます。ですが、娘に最期の思い出をくれたこの店と彼を非難している声が聞こえて、この場に立つことを決めました。
どうか、嘘を並べた記事に惑わされず、真実を理解していただきたい」
深々と頭を下げた彼女。
誠実な姿勢に、誰もが胸を打たれた。