「わぁっ、すごい綺麗な花畑!噂通りの絶景だわ…!」
耳触りのいい車輪の音と、一定間隔で揺れる座席。
ここは、ペルグレッド王国を横断する列車の車内だ。
そして、窓の外にカメラを構えて興奮交じりにシャッターをきる少女は、この私。ミレーナである。
私は、この姿になる前…つまり前世ではフォトグラファーとして日本で暮らしていた。商業写真から個人の結婚式まで幅広く仕事をしており、そこそこ依頼も多かった。
ビジネスだけでなく、私生活でも写真を撮ることが好きで、観光名所を飛び回ってはシャッターをきり、ブログにあげていたことを今でもよく思い出す。
しかし、そんな趣味を楽しんでいた最中、海外の遺跡で運悪く落盤事故に遭遇し、二十五歳の若さで未来を閉ざされることとなったのだ。
だが、ふと気付いてみれば自然豊かな異世界に転生しており、前世の記憶が戻った幼少期から再びカメラを持つ生活。
初めは家族や友人のことを思い出し泣いていたが、生まれ変わったからには前向きに第二の人生を生きていこうと決めた私は、自分でも驚くほどポジティブな性格だった。
そして十七歳となった今日。私は、いつか訪れたいと熱望していた絶景を眺め、感嘆の声をあげている。
ミレーナとして生まれた家の両親はとても優しく、カメラを片手に出かけたいという頼みをきいてくれた。
幼い頃から外に出たがったため、両親は三つ歳上の幼なじみであるシグレに子守を頼むことが多く、近所の人達には本当の兄妹のように見えていたらしい。
だが、今日は違う。
ひとりで旅に出てやろう、と目論んだ私は、シグレに内緒で地元を飛び出してきたのだ。
シグレは世話焼き体質の心配性で、昔から私が好奇心のままに走り回ると「おい、また迷子になるだろう!勝手に遠くへ行くな」と掴まれて、絶好のシャッターチャンスを逃すことが多々あった。
私はもう十七歳。子守が必要な年齢ではない上に、前世記憶を持つ中身は二十五歳だ。手のかかる妹扱いをされるのは、まっぴらごめんである。
なんて自由な旅なんだろう。趣味を満喫するのって、最高!
首から下げたカメラは数ある候補から選び抜いた相棒で、片時も離さない宝物だ。
そのうえ、この世界のカメラは最先端で、シャッターをきった後にコピーボタンを押すと、デジタルプリントの写真が出てくる仕様が組み込まれている。その画質は一眼レフで撮った写真と遜色ない。
カメラ好きの私にとっては、たまらない代物だった。
日本では見たこともない赤やピンクの花々が咲き誇る様を眺めていると、やがて、車窓に縁どられた先は、のどかな田園風景に変わった。
目当てだった花畑は、郊外へと向かう列車の十番目と十一番目の駅の間だけ見ることのできる景色。一瞬の楽しみが終わってしまったらしい。
フォルダは綺麗な花の写真でいっぱい。これだけ撮れたら満足だ。
地元に戻るための列車は、五駅先で乗り換えだった。都市からだいぶ離れてきたため、一駅の間隔は長い。降りる予定の駅まではまだ三十分ほどある。
目的を達成したら、なんだか眠くなってきた。今日は天気が良くて気持ちいいし、駅に着くまでちょっと眠ろうかな。
カメラを抱きしめて目を閉じると、温かな日差しと心地よい列車の揺れを感じた。
ふわふわとして、気持ちがいい。
『起きろ、ミレーナ!ぽやぽやするな!面倒なことになるに決まってる!』
頭の中でシグレのお小言が聞こえたが、夢の中に落ちていく私には、睡魔に抗う余裕はなかったのだ。
「お客さん、終点ですよぉ」
ゆさゆさと肩を揺すられ、はっ!とした。
レトロな雰囲気のある座席と車掌さんの困ったような表情が見える。
「えっ、終点!?」
「あぁ。ぐっすり寝てたようだね」
その声に窓の外を見ると、空は真っ暗。腕時計の針は午後八時を指している。
嘘でしょう。
ほんの数十分うたた寝するつもりが、国の端っこに着くまで爆睡してしまうなんて。促されるまま列車を降りると、そこは森に囲まれた無人駅だった。
駅の看板は薄れて文字も読めないほど劣化しており、屋根もボロボロで、コンクリートの壁にはヒビが入っている。
なんだろう、このさびれた感じ。
廃墟というにはまだ惜しいが、そこは誰一人として利用客はいないであろう辺鄙な土地だった。
なんとなくノスタルジーな雰囲気に写真家の血が騒いだところで、列車の扉がガチャンと閉まる。振り向くと、元来た線路を走っていく列車が見えた。
あれ?普通なら、次の運行時間まで駅にとどまるはずなのに。
思わず首を傾げると、掲示板に貼られた時刻表が視界に映った。
「嘘!この駅、一日二本しか電車がないの!?」
かろうじて見える時刻は、朝と夜の二本のみ。最終列車は午後八時だ。
まさか、私、帰れない…?
気付いた頃には遅かった。
乗ってきた列車は遥か彼方で、隣の駅まではかなり距離があるようだ。鬱蒼と茂った森に囲まれた夜道をひとりで歩くのも気が進まない。
最悪だ。こんなことになるなんて思ってもみなかった。頭の中のシグレが『ほら、言わんこっちゃない!俺を連れて行かないからこんなことに!』と叫んでいる。
ため息をついて辺りを見回す。
まだ午後八時だというのに、通りかかる車の影もない。ヒッチハイクも無理そうだ。
こうなってしまったなら仕方ない。顔を上げてみれば、空気が澄んでいるからか、星が綺麗だ。満天の星空を撮るために来たと思えば心が軽い。
持ち前の前向きな性分で落ち込んだ気持ちを吹き飛ばした私は、ベンチにでも腰かけようと歩き出した。
「ひっ!?」
その時、視界に飛び込んできたのは数メートル先のベンチに寝転ぶ人の影。黒い服が景色と同化して、全く気が付かなかった。
こんなひとけのないところに、ひとりで寝転んでいるなんて。
やや警戒しながら見つめるが、思ったよりもそのシルエットは小さい。すやすやと気持ち良さそうな寝息を立てているのは、十歳前後だと思われる少年だった。
漆黒のサラサラな髪に、しなやかな体つき。その寝顔は天使のように可愛らしい。
思わず立ち止まり、近くでまじまじと見つめる。
すると突然、気配を察したように少年のグレーの瞳が開いた。私を認識した途端、ひどく驚いたようにベンチから飛び上がる。
「あっ、ごめんなさい!悪い人じゃないの…!怖がらないで」
目をまん丸した少年は、言葉を失ったようにこちらを見ていた。
しかし、その数秒後。頬に赤みがさし、満面の笑みを浮かべる。
「お客さんだ!やっと来てくれた!」
ん?お客さん?
驚く声をあげる間もなく、ベンチを立った少年に手を取られて歩き出した。興奮冷めやらないようすの彼は、早足でホームを進んでいく。
「ちょっと待って?どこへ連れて行くつもりなの?」
「どこって、レストランに決まってるよ!僕、お客さんが来てくれたら案内しようと思ってずっと待ってたんだ」
明るい少年の声に戸惑う。
こんな辺鄙な田舎町に、レストランがあったなんて。
そういえば、乗り過ごしてこんな時間まで寝ていたこともあり、夜ご飯を食べ損ねていた。ぐぅ、と鳴ったお腹に、少年はケタケタと声を上げる。
「あははっ!君、お腹空いてるの?」
「うん。実は、降りるはずの駅を寝過ごしてしまってここまで来たの。帰れなくて困ってたんだけど、レストランがあったなんてラッキーだわ」