彼は、毎日のようにピアノを弾きに来ては、うちでコーヒーを買っていく。

彼のピアノの音色は、他の人たちとは一味違った。

優しくて、繊細で、それでいて、ダイナミックで迫力がある。

そのうち、仕事をしながら聴いているだけで、クラッシックでもポップスでも、彼の音色だけは聴き分けられるようになった。



とある木曜日。

「あ、お客様、今日からキャンペーンが始まり
 ましたので、抽選券をお渡ししてるんです。
 10枚で1回、抽選ができますので、どうぞ」

私は、ショッピングモール内共通のピンクの抽選券を、彼に差し出した。

「……そっか。
 俺、自分の名前、言ってなかったよね。
 俺、武内 楽(たけうち がく)
 すぐそこの音大の4年生、22歳。
 純鈴(すみれ)さんも楽って呼んでね」

いやいや、お客様を名前で呼ぶのは……

「申し訳ありません。
 一応、お店ですので、それはちょっと……」

私がそう答えると、

「そっか。そうだよね。
 じゃあ、お店じゃないとこで会おう。
 純鈴さん、今夜何時に仕事終わるの?」

「19時ですけど……」

これ、もしかしてナンパ?

「じゃあ、その頃、また来るね」

彼、楽くんは、あっという間に去っていく。

私の断りの返事も聞かずに……

現在、17時。

楽くんは、それから2時間、他の方と譲り合いながら、ずっとピアノを弾き続けた。