瞼の向こう側があまりに眩しくて、目を微かに開く。
茶色のテカテカした床に、朝特有の黄色味を帯びた光が反射し始めていた。
規則正しい揺れに、僕の意識はゆるゆると持っていかれかけていたらしい。
崩れかかっていた体制を元に戻し、座席のフカフカとした感触を背中に感じた。
視線を落とすと、手元で光っているディスプレイは、さっき観ていた動画とは、違う動画の中盤ようだった。
まだ、どこか眠り心地の僕だったが、ふと目線を移した先に、最近よく喋る君が居て、一気に心臓が掴まれたような感覚に陥った。
その余韻で、ドクドクドクと変な音を立てている身体に気を取られながらも、君を見つめる。
君も、僕には気がつかずに目を閉じて、揺られていた。
折れてしまいそうな細い首筋、ほどよい白い腕、艶やかな長い黒髪も、背後から差し込んでいる眩しい光のせいで、普段より色素が薄いかのように見える。
僕はその姿を、どこか異次元の精霊なのではないかとすら錯覚してしまう。
自然と両方の口角が持ち上がるのが分かった。
未だ手元で動いていたスマホの電源を落とす。
今はただ、その姿を目に焼き付けたいという衝動に駆られてどうしようもなくなってしまったのだ。
自分でも本当に単純だと思う。
日の昇る中に、片思いの確信を見つけてしまった。
朝気がつくと、雪が降っていた。
吹き付けるのではなく、優雅に宙を舞う、君みたいな雪。
呼吸をすると、細い糸の張り詰めるような冷たさが喉を通り過ぎ、教室の中とは言えど、白い靄が吐き出た。
轟々と音をたてて燃える旧式ストーブに手をかざすと、柔らかな暖かさに包まれる。
それは、君も同じだった。
寒さで、頬を赤く染めているのが愛らしい。と思う。
登校するには、まだ早い教室で二人きり。
君の乗っている電車が、僕より二本早いのを知って同じ時間に来るようにした。
この笑顔が僕に許されるのなら、早起きなんて苦ではない。
君には、そんなこと一生言えやしないけど。
ふとした瞬間、中庭から、はしゃぐような笑い声が聞こえてきた。
君も、聞こえたようで、会話が途切れ、驚いたように顔をあげる。
中庭を見下ろそうと立ち上がる君に連られて、僕も窓際に寄ってみた。
校章の色からすると2年生だろうか。
男女が、雪の球を投げあっている。
きっと、恋人なのだと思う。
横目に君を見ると、男の方はバスケ部の先輩なのだと教えてくれた。
そんなとき、また僕は気づいてしまう。
君が、その緑のマフラーを目で追っていることに。
その目が恋心と、哀愁を孕んでいることに。
気がつかなくてよかったのに。
君には、好きな人がいて、僕はその相談役で。
そんなこと、はじめから分かっていたつもりだった。
なのに、それを、目の当たりにした今。
吹き付ける雪のように僕の心は掻き乱されて仕方ない。
自らの下駄箱を閉めただけなのに、まるで、胞子をたっぷり蓄えたキノコをつついたかのような、砂埃が舞った。
ガラスを1枚挟んだ向こうの世界では、さっきまで顔を覗かせていた日輪を、確認できない。
むしろ、白い霧がかかっているように見える。
雨だなんて、全くついていないなと思った。
肩を落として、いつかコンビニで買ったビニール傘を広げようとする。
その時何となく、隣をちらりと見ると、大きく息を吸ってしまった。
四月からクラスの離れてしまった君がいる。
君の左手には、いつもの白いトートバッグが握られていて、右手には部活用のものだろうか。シューズケースがかけられている。
なにより、君は傘を持ってきていないことがすぐに分かった。
立ち尽くす君に、声をかけてみると、君は気が付いたような表情をして、苦笑いをした。
僕の傘に入らないかと提案してみる。
勿論、下心を否定することなんてできないが、それ以上に、濡れて帰るなんてことはして欲しくなかった。
渋った君を丸め込んで、引き寄せ、外へと踏み出す。
僕達の上で騒がしいはずの心音を掻き消すほどの、雨音が聞こえてくるのに、前方には、光のハシゴができていた。
君はそれを見て、綺麗だと微笑む。僕は、そんな君を見て、綺麗だねと愛おしさに浸った。
多分、言っている間に晴れてしまうのだろう。
ふと気になって、君に彼の話を振ると、やっぱり表情とは裏腹な空元気が返ってきた。
なのに、その瞳は未だ報われない恋をしている。
だからまだ、一筋の光芒に淡い思いを隠すように、微笑んでしまう。
活気づいた校内の余韻が、静かに残っていて、それは、この教室も例外ではなかった。
一つ違うことがあるとするのなら、君と僕がいるということだ。
向かい合った君の目は薄らと赤く腫れていて、今まで泣いていたことが伺えた。
君が普段より可愛いのは、やっぱり彼のためだったのだろう。
その彼には、想いを寄せ続けている相手が居るとしても。
ゆるく巻かれた髪も、全部、君は彼に複雑な恋心を持っていたんだなと何処か残念になる自分に嫌気がさした。
先程、体育館で行われたあまりにロマンティックで、非情なエンディングの中、駆けていく君を見て、自然と追いかけてしまっていた僕がいた。
そんな僕も、つくづく君のことを想ってしまっているのだと実感して仕方がない。
目の前で君は、僕には涙を見せまいと、よれたセーターの裾で、目元を拭う。
そんな事しなくていいのに、と思った。
泣いて泣いて、本当に彼のことが吹っ切れるまで、そばにいてあげるから、泣けばいいのだ。
いや、むしろそうして欲しいのは僕なのだけれども。
君の横顔を、眩しく照らして、一瞬見開いた瞳が光った。
君を、夕日の中で美しいと思ったのは、これで何回目だったか。
そんなことを考えながら、珍しく素直に近寄ってきた君に胸を貸す。
幼子をあやす様に、髪を撫でると、制服にじんわりと温かさが滲んでいく。
そんな嗚咽を漏らす君が、言葉を紡ぐからだ。
斜陽に、僕の堰き止めたはずの声が零れてしまうのは。
僅かな明かりは、君の姿すら留めさせようとはしなかった。
生憎、街灯は間隔が異様に広く、その中間はよく見えなくなっていたのだ。
ただ、見失わないようにその存在を確かめるので精一杯だった。
隣の短い返事が心地よく帰路に響く。
君の力のこもった右手から左手に温かさが伝わって、そのまま心まで流れ込んでくるのを感じ、なんとも言えない感情になる。
それさえも愛おしくて、君の手を握り返した。
隣に意識を集中させると、君が青白い月の光に照らされて、恥ずかしそうにはにかむ。
それと同時にじわじわと、感情が溢れて、結界を超えた水面のように止まらなくなった。
歩くのを止めた僕を見て、不思議そうに半歩前で覗き込む君。
さらさらと、あの日から短くなった髪が揺れて、シャンプーの匂いがした。
君が近くにいるだけで、これでもかと言うほど幸せになる僕は、嬉しさの余り、全身が震えそうだ。
その振動をどうにか抑えて、右手で胸元まで手繰り寄せた。
耳まで赤くして、俯くなんて、聞いてない、可愛すぎる。
僕の手を添えた頬を、ゆっくり上を向かせると血色の良い唇が目に入った。
暗くて形をよく捉えられないからこそ、こんな大胆なことができた。
君に触れようと、首を傾ける。
君も、目を閉じたのを感じ取った。
触れるまであとほんの少し。
僕なら、君を泣かせたりしないから。
僕の一年越しの片思い。
数ヶ月前に、一番最初の話を電車の中で書いて、そのあと、電車に乗る度に、推敲して、6編書き上げたのが、非公開になっていたので、この度、公開いたします。
私は、ラブコメ派なので純愛(風)は、らしくないな・・・・・・と思いつつ、書き上げました。
まあ、短編なんですけど。
それでは。他の作品で。
(他の作品もほとんど、短編だけど)
いるみね