紀之は、沙織の窓口に来ると、少し世間話しをするようになる。
短い時間の、ほんの一言が、沙織の心を温かい思いにする。
紀之が入って来て、番号札を取ると、自分の窓口に来るように、小さく祈ってしまう。
「杉本さん、残業ってあるの?」ある日、紀之に聞かれる。
「女子行員は、ほとんどないですね。」
業務の合間だから。簡潔に答える。
紀之の真意もわからないまま。
「そうなの。じゃ、今度、一緒に食事しませんか。」
意外な言葉は、沙織を狼狽させる。
「そうですね。いつか機会があれば。」
業務中の窓口だから。
失礼にならない返事しかできない。
ましてお得意様だから。でも、沙織は嬉しかった。
冗談だったとしても。
それ以来、紀之は、沙織の窓口に来る度に食事に誘う。
「いつ頃、時間とれますか。」
「今日の帰り、食事しませんか。」
「今週末は、なにか予定はありますか。」
紀之の言葉を、いつも丁寧に断る沙織。
次は何と言って誘うのだろう。
沙織は、待っていることに気付く。
紀之も、そんな儀式を楽しんでいた。
二人は窓口で、顔を見合わせて笑ってしまう。
紀之と初めて会った日から、半年以上過ぎていた。