紀之のことを母に話すために、仕事から真っ直ぐ、家に帰った沙織。
「あら、早いわね。」驚いた顔で、沙織を迎える母に、
「ちょっと、お母さんに話しがあるから。」
沙織は、いきなり切り出した。
「急に、何?」身構える母に、
「私、結婚するから。」沙織は一気に言う。
「そう。どんな人なの。」
沙織に彼がいることを、知っている母は、それほど驚かない。
「お母さん、廣澤工業って知っている?」
ずっと専業主婦の母は、社会に疎い。
「知っているわよ。そこで働いている人なの?」
母が知っていたことが意外だった。
「違うの。そこの社長の息子なの。」
沙織の言葉の意味を、理解できない顔をして、
「社長の息子って。そこにお嫁に行くってこと?」
と聞き返す。沙織は、黙って頷く。
「そんな大層な家に嫁いで、さおちゃん大丈夫なの。」
母の心配は、よくわかる。
「大丈夫よ。紀之さん、とても穏やかで、優しい人だから。」
父とは違って、という言葉を、沙織は飲み込む。
「でも、家の格が違い過ぎるでしょう。心配だわ。」
それは沙織もわかっていた。
でも、紀之から離れるなんてできない。
紀之の気持ちを知った今は。
「まあね。苦労は覚悟の上よ。何もないとは思っていないわ。それでも結婚したいの。」
誰と結婚しても、それなりの苦労はある。
母も、父に苦労しているから。
どうせ苦労するのなら、紀之の側で苦労したい。
「そう。さおちゃんが決めたことなら、お母さんは、いいと思うわ。でも、お父さん、反対するわよ。」
母の言葉に、沙織は“来た”と思った。
「私、お父さんに反対されても、気持ちは変わらないから。でも、お母さんは応援してね。」
父に何も言えない母が、いつももどかしかった。
沙織の言葉に、母は、はっとした顔をする。そして、
「お母さんが言っても、お父さんは聞かないわよ。」と言う。
「その時は、家を出るから。」沙織は俯いて言う。
ずっと頼りにならなかった母。
最後まで、娘の為に動いてくれないのなら、もう祝福されなくてもいい。
沙織は、強い意志で母を見る。そして、
「お父さん、帰ってきたら、呼んでね。」と言って、部屋に向かった。