その後は、沙織を詮索することもせず、紀之は、他愛ないことを明るく話す。
「銀行の仕事って、大変ですね。沙織ちゃん、電卓叩くの、すごく早いですよね。」
意外な所を褒められて 沙織は爆笑する。
慣れ慣れしく“沙織ちゃん”と呼ばれても不快に思わない。
話し上手な紀之に引き込まれて、沙織もリラックスして話していた。
紀之は、思わせぶりなことは、何も言わない。
ただ楽しく、心地よい時間だけが過ぎていく。
「廣澤さんって、面白いですね。」笑いながら言う沙織に、
「紀之でいいですよ。」と言う。
「紀之さん、話し上手だから。すごく笑ってしまいました。」
ほんの少し躊躇して、でも思い切って“紀之さん”と呼んでみる。
紀之は、嬉しそうな笑顔で頷いてくれた。
「俺も、すごく楽しかったなあ。沙織ちゃん、次は、ゆっくり食事しましょう。そうだ携帯番号。」
と言って、自分の携帯番号を手帳に書こうとする。
「待って。直接、登録しちゃいます。」
沙織は自分の携帯電話を取り出す。
紀之は嬉しそうに、自分の番号を言う。
沙織が通話ボタンを押すと、紀之の胸ポケットで携帯電話がバイブする。
「その番号が、私です。」沙織は少し照れて言う。
「メールしても良いですか。時々。」
紀之は少し顔を赤くして心配そうに言う。
そっと沙織が頷くと、満面の笑顔になる。
「沙織ちゃん、食べ物は何が好きですか。美味しい所、探しておきます。次までに。」
無邪気に言う紀之。
デートの誘いかどうかも、わからない。
だから断る理由もない。
「何でも大丈夫です。」
沙織も、気軽に答えてしまう。
楽しく話すだけだから。
銀行の大切なお客様だから。
そんな言い訳を探している自分に、沙織は苦笑していた。