私が40才を迎えた年、絵里加は6年生 壮馬は4年生になっていた。
壮馬も絵里加と同じ小学校に合格し、元気に通学している。
お兄様が社長を引き継いだ廣澤工業は 順調に利益をあげていた。
智くんは、副社長として 経営の片翼を担う。
あえて規模を拡大せず 業績を上げる事に力を注ぎ。
3割以上利益を増やしたことは 社会的にも評価されていた。
智くんが主張した経営方針。
現状の社員を信用して その能力を引きだす事。
そして、法令を順守することで 優良企業と評されていた。
お兄様と智くんは マスコミや経済誌などに 取り上げられることもあった。
それは、会社の信用と宣伝になるからと 積極的に対応していた。
業界では “廣澤兄弟” と呼ばれ ちょっとした有名人になっていた。