なんだろう、獲物を見つけたように瞳がぎらぎらしている。
 本能的に恐怖を覚えた私は、くるっと踵を返して来た道を全力疾走しようとした。

「ちょ、ちょっと待て。そこのお前、逃げるな!」

 ――が、コンパスの長さでかなうはずもない。あっという間に首根っこをつかまれてしまった。

「く、くるしい」

 そう、あえぎながら声を出すと、

「ああ、すまん」

 男性はつかんでいた襟元からぱっと手を離した。

 ……なにも、こんな猫みたいにつかまえなくても。
 恨みのこもった表情で振り返ると、男性は悪びれもせずに笑っていた。

「おい、お前。その籠の中を見せろ」
「えっ」

 見せろ、と言いつつ自分から籠に手を伸ばす。

「だ、ダメです! これは、これから届けにいく注文品なんです!」

 胸に抱くようにして守ったが、あっけなく奪われると私の手の届かない高い位置に掲げられる。

「返して! 返してください!」

 籠を取り返そうと飛び跳ねる私を、男性はいじわるな笑顔を浮かべて見ていた。
 ああ、私、この人が嫌いだ。こいつは敵だ。

「おっ、いい匂いがするな。いいじゃないか、こんなにたくさんあるんだから、ひとつくらい寄こせ」
「ダメだってば――あっ!」

 依頼人のおばあちゃんが家庭菜園で育てたブルーべリー。それをふんだんに使った自信作のブルーベリーマフィンがひとつ、今見知らぬ男の口の中へ――。

「おっ。うまいじゃないか。想像以上だ」

 ひとくち食べたあと、満足げに口元の食べかすを拭う男を見ていたら、ふつふつと怒りが湧いてきた。

「何するのよー!」

 気が付くと、男の横っ面を思いっきりビンタしていた。
 ばちーん! という景気のいい音が通りに響く。

「……な……」

 ビンタの衝撃でよろけた男は、頬を押さえながら目を見開いて私を見つめた。

「あ、わ、私……」

 施設の子どもたちがいたずらをしたときも、双子の弟妹がだだをこねたときも、手をあげたことはなかったのに。
 どうしよう。大人の男性に暴力をふるうなんて、とんでもないことをしてしまった。

「ご、ご、ごめんなさいー!」

 男の落とした籠を拾って、顔を伏せながら逃げ帰る。
 家に着いてドアを閉めたあと、ずるずるとその場に座り込んでしまった。

 ――マフィン、届けられなかった。

 いや、それよりも、あの男だ。あんなにいい音がしたのだから、きっと痛かったと思う。もしかしたら、手形の跡がつくかもしれない。すごく美形だったから、顔をはたかれたことをすごく怒っているかも……。

 しばらく、外出しないようにしよう。体調が悪いってごまかして、お届けものはお母さんに代わりに行ってもらおう。

「ああぁ……」

 初めて人に暴力をふるってしまった衝撃と、自分はこんなに凶暴な性格だったのか……というショックで、しばらく立ち直れそうになかった。