「大好き」
ニッコリ笑ってくれた夏惠の顔は可愛いらしかった。
「私が大きくなったらお嫁さんになってあげるね」
ベターな台詞だが、純粋に嬉しかった。
「ありがとう」
と素直に返せた。
両親が迎えに来たときに、夏惠は帰りたくないと駄々をこねた。
智和くんと一緒にいたいと怒っていたが、従姉に嗜められて、帰ることになった。
「智和くんまたね」
何度も手を振って帰って行った。
夏惠のまたねが果たされるのは、
それから10年後になる。
今日と言う日がオレたちの未来に深く関わるとは俺たちはまだ知らなかった。
オレは、高校を卒業して、大学に行き、教師になった。
何の因果か、自分の母校で働くことになって
あっと言う間に二年が経った。
夏惠とはあれから一度も会わなかった。
オレも断片的にしか、夏惠のことを思い出さなかったし、従姉にメールすることもなかった。
夏惠も今年で16歳。
高校生になっているはずだ。
真新しい制服に身を包んだ新入生達が、廊下を行き交う。
今年から担任を受け持つことになった。
少しだけ緊張してながら、職員室に向かった。
中に入ろうとした時、目の端に一人の女子生徒が見えた。
自分に挨拶をして後ろを通り過ぎた瞬間、ふわりと残り香がした。
甘く柔らかい
苺の匂い。
その香りが、遠い記憶を蘇らせた。
「智和くん」
小さかった彼女は今どうしているだろうか?
まだ苺は好きだろうか?
夏惠のことを思い出した。
新入生の名簿を再度確認しようと名簿を開いた。
そこで、信じられない名前を見つけた。
鷹司夏惠
もしやと思いよみがなを確認すると間違いなく
たかつかさなつめぐ
なつえじゃなくてなつめぐ
何で今気付くんだよ。
ってかいつ帰って来たんだ。
父親が老舗和菓子屋の跡取りで修業のために京都に行っていたはずだが、
10年が経っているんだ。夏恵だって覚えているとは限らない。
あいつが無事に成長したならそれで良い。
素直じゃなくて、皮肉屋だけどさみしがり屋な夏恵。
苺が大好きな可愛い夏恵。
君に会えるのが楽しみだ。
入学式、新入生の名前が読み上げられる。
鷹司夏恵
「はい」
と澄んだ声が聞こえた。
立ち上がった生徒を見ると、長い髪を頭の後ろで一つに結んだ姿が凛々しい。
横顔が初恋の人と重なった。
典型的な父親似の顔なのに。
教室に副担任と入ると、35人の生徒の視線が釘付けでこっちを見ている。
ただ一人だけが、こちらを見ずに窓の外を見ていた。
夏恵
正面から見ると、すっかり大人びた顔をしていた。
記憶の中のキラキラした目が見えないのは気のせいだろうか?
「今年の君達の担任の朝霧智和だ」
名乗ってクラスを見回すが、夏恵はこちらを見ることもない。
忘れたのか。
少しの淋しさが胸を痛めたが、夏恵だけが自分の生徒ではない。
「これから一年、君達と一緒に頑張っていくつもりだからよろしく頼むな」
軽く挨拶を済ませて副担任を紹介する。
そして生徒達に自己紹介をさせた。
夏恵の番が来た。
何を言うのか内心ドキドキした。
立つとクラスがざわつく、無理もない。
夏恵は小さい頃から美しいと思わせる少女だったのだから。
成長してすらりと伸びた手足、白い肌。
思春期真っ只中の男達には堪らないものがあるのも分かる。