王妃様の毒見係でしたが、王太子妃になっちゃいました


クロエは続けて口を開いた。まだ糾弾されるのかと身構えたコンラッドに、今度は甘い蜜を与える。

「民を、国を守ると思えないのならば、王になどなるべきではないのです。コンラッド様には向いていませんよ。私がその立場でしたら、絶対にやりません」

高尚な御託を並べられた後での、やりません発言に、コンラッドは目を点にしてクロエを見つめる。

「な、なんだと?」

「私は甘やかされた末っ子ですもの。そんな責任のある立場などごめんです。もっと自分の好きなことだけやって生きていたいです。コンラッド様もその意味では私に近しいと思っていたのですけれど……」

クロエが上目づかいでコンラッドを見る。

「責任を取る立場ではなく、気ままで自由な第三王子。コンラッド様には、とてもお似合いだったと思いますけど?」

「それは……たしかに」

コンラッドの目が一瞬横を向く。納得しているようだ。
クロエの目にも、コンラッドはたしかに第三王子の立場を満喫しているように見えた。侯爵に、王になれとそそのかされるまでは。

「ご自分がなにを望んでいるのか、ちゃんと理解したほうがいいですわ。自らが王になる必要が、本当にありますか? もし、陛下や兄上様たちが生きていたら、あなたは控えの立場。もちろん国のために尽くしていただかなければなりませんが、自ら舵を取らなくてもいい分、気楽でいられるでしょう」
コンラッドの喉が鳴る。明らかに、心は動いているようだ。しかし、常に決定を他人にゆだねてきた経験のせいか、迷いは捨てきれずにいる。

「だが、……もう誰もいなくなったではないか。だとすればやはり、私が王になるしかない」

「……本当ですか?」

クロエの問いかけに、コンラッドは目を瞠る。

「葬儀を終えたバイロン様はともかく、陛下もアイザック様も、死体が発見されたわけではありません。私は、彼らが生きてると信じています」

これでどうだ、とダメ押しのつもりで言ったが、予想に反してコンラッドの顔が険しくなった。
先ほどまでの言いくるめられそうな様子から一転してしまった。

「……そなたは、やはりまだ義兄上のことを想っているのだな」

コンラッドは、クロエがアイザックを救うために婚約を了承したと信じている。
だからなのか、絞り出すような声で切々と訴える。

「俺が望んでいるのは、君だ。君が欲しいから、王になりたかった。なのに、君はまだ、生きているか死んでいるか分からない義兄上のことを忘れていないのか」

コンラッドが一歩近づいてくる。クロエは説得失敗を感じて焦った。

緊張した空気を割るようにノックの音が響き、マデリンの侍女が顔を出す。

「マデリン様からコンラッド様に渡すようにと預かってまいりました」

侍女は、床に座り込んでいるクロエを見て怪訝そうな顔をしたが、なにも言わず頭を下げて出ていった。
コンラッドの手に、小さな小瓶が残される。

「媚薬……」

コンラッドの呟きに、クロエは体を震わせた。

普通に襲われるならば、舌を噛みきるつもりだった。
クロエは未来に希望は持っていない。どうせこれから訪れるのは、最も愛する兄が後継ぎを得るために誰かと結婚する未来だ。自身も、父の体面を考えればどこかに嫁がされてしまうだろう。そんなつまらない未来と天秤にかければ、クロエはここで死を選ぶ方がマシだと思っている。

だから死は怖くはなかった。
だが、媚薬を使われれば、判断力が鈍り、自ら男を求めてしまうだろう。クロエは自分がコンラッドに足を開く姿を想像し、吐き気がする。
尊厳も心も踏みにじられる。それは、死ぬよりよほど恐ろしかった。

「それを使われるならば今すぐ死にます」

さすがに声が震えた。クロエは近寄ってくるコンラッドを突き飛ばし、書き物机の上にある、ペーパーナイフを手に取る。
しかし、手首をコンラッドに捕らえられ、力の抜けた手からそれが床に落ちる。カツン、という硬質な音が響き渡った。

「だったらなぜ、俺と婚約したんだ。あの時点で、義兄上よりも俺を選んだのではないのか」

「あれは時間稼ぎと諜報活動のためです。本気で結婚するつもりなど、ありません」

「……っ、君は俺をどこまで馬鹿にするんだ!」

コンラッドの目が怒りで燃えた。小瓶の蓋が開けられ、コンラッドがそれを口に含む、そして、口移しで飲ませようと、顔を近づけてきた。
クロエは顔を背け、力の限り抵抗する。けれども、男の力はたやすく女を蹂躙するのだ。

「いやっ。……やめてっ」

唇が触れる寸前、クロエはついに弱音を吐いた。


アイザックとケネスは、数名の護衛を連れ、ようやく王都の門が見えるところまでたどり着いた。
ナサニエルとカイラ、そしてロザリーは別の馬車で、王都へと向かっている。馬を飛ばしてきたザックたちの一団よりはずっと遅れてくることだろう。
バイロンはまだ長距離の移動に耐えられないため、ジョザイアと共に留守番だ。

「さて、いよいよだな。俺たちの仕事は、王都で暴動を起こし、城に乗り込み、議会に平民議員を入れることを了承させることでいいんだよね、ザック」

「そうだな。ゴードン殿が扇動している。民衆の熱気は高まっているだろう。貴族議員もバーナード侯爵派は半数近くがこちらを支持してくれるようだ」

まっすぐに王都を見つめながら、ザックはどこか上の空で返事をした。

「……君、これから大きなことをやろうとしている割には覇気がないね。どうせロザリーのことでも思い出してるんだろうけど」

ケネスに図星を刺されて、ザックはそっぽを向く。
せっかくの再会もまたすぐ別れることになり、彼女を満喫しきれていない。

出がけに、ザックは口を酸っぱくして、ロザリーに安全確保について語った。

『絶対に無理はするなよ。クロエ嬢はイートン伯爵の娘ということである程度は保護されるべき対象だが、今の君は母上の侍女という立場しかない。なにかあれば一番に切り捨てられる立場だ』

においで人の居場所を捜せる上に、侍女姿で歩いていても違和感がないという点で、ロザリーがクロエの安全を確保するのに適任なのはザックも認めるが、彼女に危険が及んだ時のことを考えると、気が気ではなかった。
なのに、彼女はへらりと笑うって言ってのける。

『大丈夫です。高貴な人たちは私のことなんて目に入ってないですもん』

使用人は彼らにとって空気のようなものだ。カイラ自身が侮られている状況では、彼女の侍女だからと一目置かれるようなことはない、とロザリーは言うが、ザックにしてみれば、こんなにかわいらしいロザリーが目に入らないのか不思議で仕方ない。

『ザック様?』

『俺にはロザリーしか目に入らないのにな』

そのセリフと口にした途端、ケネスから腕を小突かれた。
ロザリーも真っ赤になり、ナサニエルとバイロンは、目を見合わせて苦笑していた……が、ザックはなぜ注目されたのか分からない。

『あ、あの』

『ロザリー、なにがあっても自分の身を守るんだぞ。約束だ』

『は、はい!』

ザックは真面目な顔でそう話を締めたが、周りの視線がやたらとニマニマと生温かい感じでやたらに気になったのも事実だ。

「……俺がロザリーを心配して何が悪いんだ」

「君はホント。素でそれだもんねぇ」

拗ねた声を出すザックに、ケネスが笑った。

「まあ、これから暴動を起こそうというときに、そんな呑気なことを考えていられるあたり、君は大物だと思うよ。ただ、口説くなら人けのないところでしたほうがいいよ。ロザリー嬢が大分困っていた」

「は? 俺は別に口説いてなんか……」

そう言ってから、バイロンやナサニエルの視線の意味に気づいて、ザックは途端に顔を赤らめる。

「……無意識だったんだ?」

ケネスに笑われ、ザックは黙る。本当に無意識だったのだと説明したいが、それこそ頭の中がお花畑だと言われそうなのでやめておいた。

「さあ、行こうか。一気に貴族街まで向かうよ」

「ああ。すでに民衆は動いているみたいだしな。人が塊となって動いているのが見える」

「君はそれを率いる資格があるのか問われているってことを忘れないようにね。今は暴動に集中するんだよ」

「分かっているよ」

ケネスの言葉に、気が引き締まる。
常に兄のように前を行く彼を、頼もしいと思う。それはもしかしたら、父がアンスバッハ侯爵に感じた気持ちに近いのかもしれない。

ザックはケネスにとって、恥じない自分でいたいと思う。そしてケネスは、変わっていくザックをときに諫めることはあっても、抑え込んだりはしない。だから一緒に歩んでこれたのだ。

アンスバッハ侯爵もそうであってくれれば、ナサニエルの成長を喜んで受け入れてくれれば、きっと今とは違った未来が訪れていたのだろう。

父の気持ちを考えると、胸が少し軋んだが、首を振ってその思いを振り切った。

「行こう」

ザックの声に、ケネスと護衛たちが頷いた。


その一報は、王国警備隊によってアンスバッハ侯爵に伝えられた。

「平民街広場に集まった民衆が、貴族議会に平民議員枠を設けるよう求めて、大挙してきました」

「……なんだと?」

それは、アンスバッハ侯爵にとっては晴天の霹靂だった。
平民とは、貴族の命令におとなしく従うものだと彼は信じている。
その前提が覆されることなど想像もしていなかったのだ。

だが、すぐに気を取り直す。王城は守りが固い。いくら平民が束になってかかってきたところで、城門を超えることはできないはずだ。

「虫がいくら寄り集まったところで、できることはたかが知れている。放っておけ」

「それが……。その集団を率いているのが、どうもアイザック殿下らしいのです」

「……なんだと?」

アンスバッハ侯爵は眉を寄せ、窓から外を眺めた。
城門の入り口に警備兵たちが固まり、門外の平民たちが入ってこないよう警備を固めている。
そして貴族街をまっすぐに城に向かってくる一団が見える。前列に馬が五頭。その中でも先頭にいる人間の髪は漆黒だ。

「死んだのではなかったのか……!」

報告では、たしかにアイザックは死んだはずだった。

ナサニエルとカイラを(ほふ)った後、生きて王都に戻ろうとしていたアイザックと出会い、戦闘となった。多くの者が差し違えたものの無事に殺害し、残ったのは自分だけだと、御者がボロボロの姿で報告してきたはずだ。
その後、侯爵は自分が指示したという証拠を消すためだけに、その御者を殺した。すでに他の身元不明の遺体とともに埋葬されている。
あの報告が、嘘だったというのだろうか。

「王城にいる警備兵と近衛兵をすべて集めろ」

城に多くいるのは近衛兵だ。王族を守るための騎士で、宿舎も城の敷地内にある。
取り締まりといった、国内全体の警備を行うのが王国警備隊で、こちらは城だけでなく国全体に散らばっている。今も、王都の王国警備隊は、平民兵を抑えるために活動しているはずだ。

「それが、……近衛兵がボイコットを起こしているのです。アイザック様がいるのならば、正当な次期王に従うと」

「正統な王となるのはコンラッドだ。仮に平民を率いているのがアイザックだとしても、すでに臣籍降下した身ではないか」

「私もそう申し上げましたが、近衛隊長ドルーに反対されました。そもそも王子の臣籍降下には納得しておらず、法にのっとり、第三王子コンラッド様よりも、第二王子のアイザック様を全面的に支持すると言っています」

侯爵は舌打ちする。ここにきて、コンラッドの人望の無さが効いてくるのか。

「ではいい。王国警備隊を集めろ。役に立たない者はいらん。それから、コンラッドを呼んでくるんだ。次期王として、暴動を弾圧するのはコンラッドの役目だ」

「はっ」

侯爵はいら立ちを隠せず、室内を歩き回る。
役に立つとは思えないが、コンラッドを表に立たせなければならない。あくまでも、王となるのはコンラッドだ。アンスバッハ侯爵には、そのための血が無いのだから。

「くそっ」
アイザックが本当に生きているのならば、御者の報告は嘘だったということになる。
ならばナサニエルは? 
彼が生きているのが一番まずい。
コンラッドを王座に就かせるための正当性が失われるばかりか、カイラとナサニエルの馬車を襲わせたことが立証されれば、さすがに自分の立場も危うくなる。

アイザックの一団は、城門に差し掛かっていた。
民衆を鼓舞しながら、向かってくる黒髪が、侯爵がいる国王の執務室からよく見える。どうやら本当にアイザックのようだ。

「おのれ……。あの平民の息子は、どこまで私の邪魔をする気だ」

平民たちの要求は、平民からも議員を出し、貴族だけに有利な政治をやめることだ。
議会改革だけなら、呑める。
平民議員が数名入ったところで、決議は多数決だ。結局のところ、平民に有利にはならない。

「交渉ですませるか? それとも、あのアイザックは偽物だと言って平民もろとも弾圧してしまうか」

幾つかのパターンをシミュレーションしてみるがどれも得策ではない。
ナサニエルもアイザックも死んだという前提で、コンラッドを王にする計画を練ってきたのだ。いきなり土台を覆されると、さすがの侯爵にもいい案が浮かばない。

「ええい、コンラッドはまだか! もういい。私が呼びに行く!」

こんな時まで、役に立たない。
侯爵は苛立ちを壁にぶつけ、それから廊下に飛び出した。コンラッドの部屋は三階だ。イライラしたまま階段を足早に上る。
何をしているのだか知らないが、今、正しく指揮を取れなければ誰もついてこない。
王となるのなら絶対に引いてはならない場面だとコンラッドに分からせなければならないと思った。