最近、王都が騒がしい。イートン伯爵令嬢クロエは、ため息をつきながら窓の外を眺めた。
先日、この国の王太子であるバイロン・ボールドウィンが毒殺されるという事件があった。その犯人だと目されているのが、兄の親友であり、バイロンとは異母弟にあたるアイザック第二王子なのだ。
アイザック犯人説を強硬に訴えているのは、バイロンの母方の伯父にあたるアンスバッハ侯爵で、擁護に回っているのがナサニエル国王陛下だ。
証拠も不十分であり、追加調査が行われているため、現在アイザックは王城の一室に軟禁状態になっている。
こうなると、アイザックを旗頭と掲げるバーナード侯爵一派は、旗色が悪い。
父のイートン伯爵も兄も、立場の悪い今の状態から脱却すべく奔走していて、最近は全く屋敷にいない。
「……おもしろくないわ」
国全体も、今は喪に服していて、華やかなイベントの類はすべて中止となっている。
貴族令嬢たちのお茶会も、自粛ムードがあるため、クロエはやることが無いのだ。
(学術院の図書館でも行こうかしら)
この国の女性は、大体がグラマースクールを卒業すると、社交界デビューし、家で花嫁修業をしながら生活するものだが、結婚する気のないクロエは、王都の最高学府・ポルテスト学術院へ聴講生として登録している。試験を受けて合格すれば、特定の単位の認定はされるし、学園への出入りはある程度自由である。
思い立ったクロエは、母親に出かける旨を伝え、馬車にて学術院まで向かった。
学術院は城からそれほど離れていない。そのため、城の重臣たちも、なにか調べることがあればここに来る。
学生以外が出入りするのはおかしなことではないので、クロエも何ら気にすることなく学術院に入っていく。
「これはクロエ嬢」
名前を呼ばれて振り向くと、そこにいたのは第三王子コンラッド・ボールドウィンだった。
マデリン妃によく似た面差しだ。空色の瞳がぱっちりとしていて、栗色の髪は癖があり少しうねっている。
顔の系統で言えば美形だと言えるだろうが、そこはかとなく下品な雰囲気が漂っているのがいただけない。
しかし、相手は腐っても王子。伯爵令嬢の立場であるクロエは、彼を敬う態度をとるしかない。
「コンラッド様。この度は、まことにご愁傷さまでございました」
「兄上のことか? まあ長らく病気だったからね。いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってたよ」
その言い方が勘に触る。
コンラッド第三王子は十八歳。クロエとは一歳差だ。同じファーストスクール、グラマースクールに通ったこともあり面識は他の王族よりもある。
「……それは不敬では?」
呆れた気分でクロエは言う。だが、コンラッドに動じた様子はない。
「俺に不敬だと咎められるのは、もう父上しかいないよ」
その顔は得意げだ。クロエは気分が悪くなる。
「アイザック様もいらっしゃるでしょう」
彼の機嫌を損ねるのを承知でクロエは言った。異母兄であるアイザックのことを、コンラッドは昔から好きではない。異母兄に限らず、実の兄であるバイロンのことも、それほど好きではなかったようだが。
「アイザック兄上は、バイロン兄上の殺害の犯人だろう? じき、王位継承権もはく奪されるだろう」
「まだ罪が確定したわけじゃありませんわ。よく考えてもみてくださいませ。黙っていても王位が転がり込んでくる立場にいて、バイロン様を害する必要があるのか、私には疑問ですわ。アイザック様はそこまで馬鹿ではな……」
「あの男のことは言うなよ!」
コンラッドが突然激高する。クロエは出方を間違えた自分を呪った。
コンラッド殿下は、気性が荒く、気に入らないとすぐに声を荒げるのだ。
「……そうですわね。コンラッド様にして見れば、大事な兄上様の殺害容疑をかけられている方です。複雑な思いがございますわね。ご不快にさせて申し訳ありません」
クロエは仕方なく自分の方から折れた。そして、「では……」と彼から離れようとしたのだが。
「クロエ嬢、そうつれなくするなよ。せっかく会ったんだ。お茶でも飲まないか?」
「でも……、コンラッド様は講義があるんじゃありませんの? 私も、図書館で調べ物をしようと思ってまいりましたのよ」
「とれなかった講義は後ほど個別授業を受けられるから問題ない」
そんな特別扱いは、今まで王族であろうともされたことはなかったはずだ。学術院でどんな振る舞いをしているのかが予想出来て、余計に辟易する。
クロエは仕方ない……と、ため息をついた。
「一時間、調べものに時間をいただきたいのです。その間、コンラッド殿下は講義を受けてらしてください。その後でよければ、お付き合いしますわ」
妥協案を提示すれば、コンラッドはぱっと顔を晴れ渡らせた。
「では、一時間後、図書館に迎えにいくからな!」
うきうきと立ち去る彼を見て、クロエは呆れてものも言えない。
あれがやがて国王になると思えば、嫌いな男だがアイザックの方がマシではないかと思ってしまう。
(……結婚なんてしたくないわ)
アイザックとの婚約の話が来たとき、兄であるケネスは手放しで喜んだ。
『これでアイザックが俺の弟になるのか。悪くないね』
その楽しそうな表情に、クロエは苛ついたのだ。
クロエは重度のブラコンである。この世のすべての男性の中で一番ケネスがよく見えるし、なぜ兄妹に生まれついてしまったんだろうとも思うし、その反面、兄妹だからこそ見せてくれる表情が嬉しくもあった。
兄の望む相手と結婚して、この大切な兄妹の絆をおろそかにされるのは耐えられない。
『申し訳ありませんが、アイザック様はお断りですわ。私の子に、異国の血が入るのはごめんですのよ』
クロエは本気で種族蔑視をしていたわけではない。ただ、体のいい断り文句だっただけだ。
しかし、その言葉は当然アイザックの不興を買ったし、兄にもやんわりと諭された。
それでもその後から、兄がクロエが何を言い出すかと心配してついて回ってくれたので、クロエは満足だったのだ。
「……コンラッド様ねぇ」
兄の望まぬ相手と結婚すれば、彼はいつまでも自分を心配するだろうか。
ふと頭に沸き上がったそんな考えはろくなものではなかったが、クロエの頭の隅にいつまでも残ることとなった。
男爵令嬢ロザリンド・ルイスには、前世の記憶がある。
それはリルという名の犬の記憶で、その記憶を取り戻したとき、なぜか彼女は犬の嗅覚をも取り戻していた。
彼女はその嗅覚をもって、リルのご主人が経営していた宿屋で失せもの捜しをし、当時ザックと名を変えていたアイザック第二王子と出会った。
ロザリーは、そのたぐいまれなる嗅覚で、アイビーヒルで起こる些細な事件を解決し有名になっていったのだ。
やがて、アイザックが王城に呼び戻される。彼を追って王都に出てきたロザリーは、彼の母親で第二王妃であるカイラの毒見係を務めていた。
そして、史上最悪の事件が起こったのである。
病弱だった王太子バイロンが、何者かに毒殺された。その容疑者として、アイザックが捕まったのである。
「そもそも、どうしてザック様が犯人だと疑われたんですか?」
ここはイートン伯爵邸の応接間だ。
テーブルを囲むように配置されたソファに、イートン伯爵一家とロザリー、そしてレイモンドとクリスが座っている。
幼いクリスはそこまででもなさそうだが、レイモンドは自分の場違いさに居心地が悪そうにしている。
「バイロン様が絶命の際にアイザック様の名を叫んだのを、侍女が聞いたのだそうだ。後日、ベッドの周辺から輝安鉱の破片も見つかった。アンスバッハ侯爵は、アイザック殿が自分が狙われたときに、輝安鉱の破片をこっそりと入手していたのではないかと言っているんだ」
輝安鉱は硬度が低く、割れやすいのだそうだよ、と伯爵が付け足す。
「あのときの輝安鉱は証拠品として侯爵が持っていったはずだ。欠けていたならその時に気づくだろうに。無理やりザックを犯人としてこじつけていくんだから嫌な男だよ。警備隊は中立機関だけど、出自はアンスバッハ侯爵派の人間が多いんだよね。彼に強気に出られると、グレーくらいなら黒と言ってしまうかもしれない。とにかく、確実にザックがしていないという証拠を出さないと、なかなかに難しいかもね」
ケネスがため息をつく。
「でも、ザック様、あの日は朝から伯爵邸に来ていたんじゃないんですか?」
「そうだね。ただザックは城に住んでいるわけだから、もし本気で殺害するつもりなら、いくらでもそのタイミングはあるんだよ。バイロン様の口の中は、飴でも舐めていたかのようにべたついていたらしい。例えば輝安鉱を中央に入れた飴を渡したとすれば、当時の不在はやっていない証拠にはならない」
していない証拠を出すことは、今回の件に関しては難しいのだ。
「……どうやったらザック様が犯人じゃないって証明できるんでしょうか」
自分がそこにいれば、バイロン王太子の部屋に誰が出入りしたかくらいは匂いで判別できたのに、とロザリーは歯噛みする。まあそれをしたところで、信じてもらう手立てはないので同じだけれど。
「うーん。いずれも決定的な証拠じゃないとはいえ、ザックが犯人であれば筋が通ることが多すぎるんだよね。まず第一にバイロン王子が名前を呼んだということ、第二に、輝安鉱を入手するタイミングがあったということ。第三にいつでもバイロン王子の部屋に入れる人物だったということ。実際、ザックはその二日前にバイロン様を見舞っていたんだ。扉前にいた衛兵が見てる」
二日前なら大分前だ。そのほかにも出入りしている人間がいるはずではないか。