夜に、理音くんと電話をする。
早めにお風呂に入って、ご飯も食べてから。
もう、寝るだけにして、ベッドに座って電話。
「へぇ、じゃあ、もしかしたらお母さん再婚するかもしれないんだね」
「うん。あっ、そしたらあたしって『雛森』じゃなくなるのかな?」
「そうかもね。なんて呼ぼう…」
いやいや、理音くん。
あたしそろそろ『由乃』って呼んでほしいんですよ?
言わないだけで、紗雪のことは紗雪と呼ぶのに、彼女のあたしは名字で呼ぶんだもん。
あたしも名前で呼ばれてみたい…けど。
呼ばれてしまったら、照れすぎてあたしがあたしでいられなくなりそうな気もする。
「なんで、紗雪のことは紗雪って呼ぶの?」
「俺ね、紗雪の名字知らない」
「あははっ‼︎あたしのフルネームは知ってる?」
「知ってるよ」
「本当?」
「雛森はね、『雛森 雛森』だよ」
「えっ…ウソでしょ…?」
「あはっ、ちゃんと知ってるよ」
なんか、たまに意地悪。
こうしてからかわれることが増えた。
天然のくせに。
「理音くんって、たまに意地悪だよね」
「そうかな?雛森、可愛い反応するんだもん」
「理音くんのボケっぷりの方が可愛いよ…」
「えっ、俺ボケてないよ?」
「そ、だね…」
わかってないとこからして、もう天然決定なんだよ、理音くん…。
こういうとこ、可愛いなぁ…。
「ねぇ、雛森」
「ん?」
「俺ってネットの住人じゃん?なんかね、連絡きたんだよね」
「どちら様から?」
「大手の芸能事務所。デビューを前提に所属をどうのって」
「うわっ、それってスカウトじゃ…」
「そうなのかな?詐欺とかかな?」
「わかんないけど…。理音くんは歌手になりたいの?」
「なりたいか、なりたくないかって言われたら…なりたいよ。歌うの、好きだし。でも、人前に出て話したりするの苦手だし。そういうの、バンド組んだら4分の1だよって、嵐生が教えてくれて」
それって、4分の1になってるのだろうか…。
個人的なプレッシャーなんかは、それぞれ感じるものだと思うけど…。
「自分がどうしたいか、じゃない?」
「うーん…。ひとりで歌って動画投稿してるので満足してたんだけどね。嵐生たちとやるようになったら、なんか感覚が違うんだよ」
「感覚?」
「喜びを共有してるっていうか、歌うことって、こんなに気持ちよかったかなとか。あのメンバーでマイク持つとね、ブワッてなるんだ」
うん、意味がわからない。
理音くんが上げてる動画での理音くんの落ち着いた歌声や、本家を上回る歌唱力。
それしか知らないあたしにしてみれば、理音くんがバンドで歌う姿を想像できない。
「どっちが楽しいの?」
「みんなと」
「なら、その気持ちに素直になればいいんじゃない?まぁ、デビューするチャンスは逃すのかもしれないけど…」
「そっか。雛森って、すごいね。俺が解決できなかったこと、すぐに答え出してくれるね」
「そ、そんなことないですよ…?」
「嵐生たちにも言ってみるね」
低い温度の理音くんは、将来の夢がバンドマンなのだろうか…。
あたしは夢なんか持ってないけどさ。
「理音くんがやりたいことなら、応援するからね」
「ありがとう、雛森」
どんな時でも、いちばん近くに置いといてね、理音くん。
【理音】
雛森を初めて家に呼んだ。
昨日、バイト前の午前中に掃除機かけたり、布団干して、シーツ洗濯したり。
超頑張って部屋の掃除をした。
「ふわぁ…」
「嵐生たちもその反応だった」
「大っきい…。どこからどこまでが理音くんち…?」
ここからここまでだよ。
敷地内別居って感じなのかな、うちって。
大きな家が3軒並んでいて、連絡通路で行き来できるようになってる祖父母の家。
「そういえば、じーちゃんも歌手なんだよね」
「そうなの⁉︎」
「うん、今は基本的に裏方」
「すごい…」
「はい、いらっしゃい」
「お、お邪魔します…」
緊張してるのかな。
瞬きがいつもより多い雛森に、スリッパを出してまずはリビング。
「初めましてっ‼︎理音のオヤジです‼︎」
「うぁっ、わわわわっ‼︎う、ウタっ‼︎さんっ‼︎理音くんっ‼︎有名な人がいるよぉ‼︎」
今日は父さんがいる。
仕事疲れでダラダラしてた父さんに『彼女来るから』と言った瞬間、着ていたスエットを脱ぎ捨てて着替えて。
さらに髪をセットし始めて。
終始ニヤニヤしてる父さんを、初めてウザいと思った。
まさか父さんが休みだとは思わなかった。
「わぁ‼︎理音の彼女さん⁉︎初めまして、お母さんです‼︎」
「ははははっ、初めましてっ‼︎雛森 由乃と言いますっ…」
「可愛い〜‼︎ウタくん、可愛いねぇ‼︎」
顔が真っ赤な雛森が可哀想になって来て。
盛大に干渉したい両親に『部屋に行くから』と言って歩き出した。
すると、肩にズシっとした重み。
「我が息子よ」
「なに、父さん…」
「避妊はしてくれよ?」
「は…?」
「俺からのプレゼント。むふっ」
雛森に見えないように握らされたなにか。
手を開けば、授業で習った避妊の道具。
「と、父さん…」
「礼はいらねぇよ」
なんて、カッコつけてるけど。
あのさぁ、こういうことするために呼んだんじゃないからね⁉︎
なに考えてるんだ、バカ父さん。
「いらないよ…」
「まぁまぁ、とっときな。いざという時、役に立つから。じゃあ、俺たちは久しぶりにデートしてくっからねー」
これ、どうすればいいの?
父さんの『息子に性教育、ちゃんとしたぜ』という満足げな顔にイラッとした。
「雛森、こっち…」
「うん」
握りしめたコンドームを雛森にバレないようにポケットに突っ込んだ。
余計なことしなくていいし‼︎
「うっわぁ‼︎すごぉーい‼︎何これ、全部CD?」
「あっ、うん。小学生の頃から集めてて。なんか、壁一面CDになっちゃった」
「これ、凄すぎない?ってか、理音くんのお部屋、広すぎるっ…」
そうかな?
物はあまりない方だけど。
CDを聴くためのオーディオは、父さんが前に使っていたヤツをもらったから、音質も最高にいいし。
パコソンはノートだし、机も小さい。
テーブルもそんなに大きくないし、ラグも母さんか父さんが選んだヤツ。
自分で選んだ物って、ないかも。
「冷蔵庫だ‼︎いいよね、部屋に冷蔵庫」
「リビング行くの面倒な時は便利かな」
今日のために、いろんな飲み物めっちゃ入れといたけどね。
そして、俺のポケットにある例のアレ。
できれば、雛森に見つからないようにどっかに隠したい。
「いろいろ入ってるから、好きなの飲んでいいよ。俺にお茶とって?」
「うん。あっ、本当にいろいろあるね」
よし、今だ。
ウォークインクローゼットに走り、中に入って着ないジャケットのポケットに隠した。
父さんのせいで、こんな後ろめたさを感じるとは…。
お茶とカフェオレを手にしてる雛森に不思議そうな顔をされたけど、何も言わずにお茶を受け取った。
「宿題、持ってきた?」
「うん。早く終わらせたい」
小さいテーブルに広げた宿題を、俺が教えて雛森が解く。
可愛い字…。
雛森っぽい。
「すごい、嵐生より楽だ」
「あたしだって赤点はとってないもん」
「あっ」
「えっ?」
髪になんか着いてる。
風が強かったからか、草みたいなの。
「芝生でゴロゴロしたの?」
「し、してないっ‼︎」
うわっ、顔真っ赤だ。
その顔見ると心臓がきゅんと軋む。
もっと触ったら…どうなっちゃうんだろう。
「くふふっ…」
「えっ、ちょっ…」
頭を撫でた。
さらに顔が赤くて、うるっとした目。
可愛いすぎる…。
それに、雛森の髪はサラサラで気持ちいいね。
手で顔を隠した雛森に、満足する俺。
「超可愛い」
「理音くんはっ‼︎ダメですっ‼︎」
「なにが?」
「ふたりきりで緊張してるので…お触り禁止です…」
「あははっ、俺、おじさんみたいじゃん」
「理音くんはドキドキしないの…?」
ドキドキ…してるのかな?
ドキドキよりワクワクの方が大きい気がする。
「ドキドキはしないけど。楽しいよ?」
「理音くんに聞いたのが間違い…。もぉ…次の問題‼︎」
時間はたっぷりある。
お昼はどっかに出て、美味しいもの食べようかな。
雛森が必死に宿題をやり進める姿を見ながら、たまに口を出して。
わからない箇所を教えれば、ほとんどの問題が終わっていた。
ちょうど昼だし、お腹も空いてきた。
「休憩ってことで、ご飯食べに行く?」
「なに食べる?」
「寿司。回るヤツ。近くにあるのに行ったことないの」
「あたしは回らないお寿司屋さんに行ったことないよ」
「なら、プロだね、雛森。システムわかんないから、ひとりではビビって行けない」
「あたしもひとりでは行かないよぉ〜」
歩いて数分の回転寿司。
なんか、タブレットあるし。
すげー。
「ハンバーグだって‼︎寿司なのにハンバーグ‼︎」
「子供向けだよね」
「そうなの?頼んだら恥ずかしの?」
「恥ずかしくないよ。なんでも頼んでみればいいよ」
気になるものを片っ端から頼んだ。
ハンバーグが寿司になってることも、寿司屋にフライドポテトがあることも、さらにラーメンなんかも食えちゃうらしくて。
寿司屋の革命です。
「マジで楽しかった…」
「あははっ、お気に入りのお店増えたね」
「また来る、雛森と」
「うん。あっ、今回もごちそうさまでした…」
「いいの。俺がしたくてやってるの。バイト代の使い道もあんまりないからさ」
「お金持ちだねぇ…」
毎回俺が払うご飯代。
雛森は納得のいかない顔をしている。
だって、嵐生が『デートしてもメシすら奢れねぇ』と嘆いていたし。
まぁ、泉と遊びに行くためにバイトするって言ってたけどね。