紅白戦の初戦の先発は、その年の期待の星が起用されるのが、どのチームでも通例。その意味では、大変名誉なことなんだが、今の自分の状態を考えれば、とても手放しでは喜べない。


と言って、まだ調整不足で辞退、なんて俺クラスの選手が言えるはずもなく、大いなる不安を胸に、俺はマウンドに上がった。


ままよ、とばかりに投げ始めたが、やっぱりプロはそんな甘いものじゃない。俺は一軍メンバー中心の白組の先発として、二軍メンバー中心の紅組に投げたんだが、文字通り滅多打ちにあった。


予定投球イニングの3回どころか、2回途中でマウンドから追放され、後ろのピッチャーに迷惑を掛けた挙句、試合終了を待たずに二軍落ちを通告される有様。


思えば、昨年も紅白戦で打ち込まれて、二軍に落とされたのだが、それはキャンプ後半に入ってからの事で、キャンプ開始早々でのこの体たらくは、さすがに我ながら情けなかった。


その夜、ひっそりと一軍宿舎から数段グレードの下がる二軍宿舎に移動した俺は、翌朝、朝食会場で顔を合わせた小谷コーチに


「このどアホが!」


と怒鳴りつけられ、それからしばらく口もきいてもらえなかった。


こうして、しばらく肩身の狭い思いをしながら、練習を続けていると、右肘に違和感を覚えた。慌てて病院でレントゲンを撮ってもらうと、どうやら炎症を起こしているらしい。


遅れを取り戻そうと焦って、身体に強い負荷を一気に掛け過ぎた結果、肘に負担がかかったのだろうとの診断で、即刻投球練習禁止を言い渡され、更に治療に専念する為に、仙台へ強制送還される羽目となった。


間の悪いことに、翌日から由夏が沖縄に陣中見舞いに来てくれることになっていて、このままだと、まさに入れ違いに。


慌てて連絡すると


『なに、それ?』


と心配されるより呆れられた。


もっとも沖縄行をドタキャンして、仙台に駆けつけてくれて


「キャンセル料、払ってもらうからね。」


なんて言いながら


「私がいろんな所に連れ回したからだよね、ゴメン。」


なんて結局殊勝に言ってくれると堪らなくなってしまう。


お前のせいな訳、ねぇじゃん。俺だってお前と一緒に居られて嬉しかったんだし、何よりずっとお前とばかり、遊んでたわけじゃない。


結局、俺のプロ野球選手としての自覚が足りなかっただけ。1年間、ほとんど実績もあげられなかったのに、秋にちょっと調子が上がって、新監督に褒められて、いい気になってたってことだよな・・・恥ずかしい。


こうして、俺の野球選手としての2年目は、前途多難の幕開けとなってしまった。