そうこうしているうちにひと月がまた過ぎ、プロ野球界最後にして最大のイベントである日本シリ-ズ、ファンフェスタ、球団納会といった行事を経て迎えた11月の末日。


プロ野球選手は球団に、2月初日から11月末日まで契約で拘束されている。つまり12月と翌年の1月の2ヶ月間は、練習をしようとしまいと自由。


球団行事もなく、また監督やコ-チから指示されることもなく、逆に指導を受けることもできない。全くの自由になり、文字通りの「オフ」になるのだ。


「ということで、お前達ともしばしのお別れだ。今の俺に言えることは、来年の2月1日にまた、元気に会おうということだけだ。元気に、というのは2月1日には、キチンと身体を動かせるようにしておくということだ。その為に、オフの間の何をしなければならないか、それは自分で考えなきゃならん。球団や俺が指示することでも考えることでもない。そして1つはっきりしてることは、2月1日にヨ-イドンでスタ-ト出来ない奴は、そこでほぼ終わりだということだ。」


今シ-ズン最後の練習が終わった後、俺達投手陣を集めて、小谷コ-チはそんな話をしだした。


「もちろん、今年1年酷使した身体のケアも当然必要だからな。そこらへんの折り合いを付けるのも、プロとして当たり前に、やらにゃならんことだ。特にル-キ-の連中には初めての経験で難しいだろうが、まぁ先輩にでもよく話を聞いて、間違えないようにしろ。以上、解散!」


そう言うと、サッと片手を挙げて、俺達に挨拶すると、小谷さんは離れて行く。そしてそれを合図に、俺達も動き出す。既に家庭を持っている選手はともかく、独身の選手は、このまま仙台にとどまるか、実家のある故郷に戻るか。それをまずは決める必要がある。


仙台に居れば、球団スタッフのサポ-トは受けることが出来なくなるが、施設は引き続き使えるから、練習場所には困らない。それで引き続き仙台に残る選手もいるが、やはりリフレッシュの意味もあって、一旦仙台を離れることを選ぶ選手の方が多い。


「聡志、1年間お疲れさん。まずはゆっくり骨休めをしろ。人間は飛び跳ねる為には、その前にかがむ必要がある。ずっと走り続けることなんか、出来やせんのだから。ただし、お前は二刀流だ。時間は人より必要だっていうことだけは忘れるな。」


グラウンドを離れる前に挨拶に行くと、小谷さんはそう言って、俺の肩をポンと叩いた。