その時を、俺は大学の合宿所で迎えた。ちょっと大袈裟に言えば、俺はこの4年間、ここと大学のキャンパスとグラウンドとの行き来で、その大半を過ごして来た。


合宿所の中に設けられた記者会見場には、既に大勢の報道陣が詰め掛け、テレビカメラも入っていた。


スポーツの盛んなウチの大学は、各界に著名な選手を送り出して来た。プロ野球選手も何人も排出している。


そして、今年はその候補として、エースの大澤樹(おおさわたつき)、俊足巧打の外野手船橋鉄平(ふなばしてっぺい)、そして俺、塚原聡志の3人の名前が、マスコミで取り上げられて来た。


大澤は、即戦力のピッチャーとして、数球団がドラ1候補に挙げてるとされ、船橋も実戦向きのプレーヤーとの評価が高かった。


それに比べれば、俺の評価は、自分で言うのも寂しいが、低いものだった。実際、大澤のもとには、ほぼ全球団のスカウトが挨拶に訪れ、船橋のところにも、過半数を超えるチームが足を運んだ。


それに引き換え、俺に対する挨拶は数球団、それも5巡、6巡目くらいの指名候補とのことだった。


正直、悔しいとは思ったが、それがプロの俺という選手に対する率直な評価なのだから、仕方がない。


それにその挨拶に来てくれた球団に、大学の大先輩が監督を務め、今や球界有数の強打者となった高校時代の1年先輩、松本さんがいるGや神奈川生まれの神奈川育ちの俺にとって、地元球団であるBSが含まれていたことは、正直嬉しかった。


(指名なんて何巡目だっていい。とにかく指名されて、プロ野球選手になることが出来なきゃ、何も始まらない。)


俺は祈るようで気持ちで、会見の席に着いた。