かくして、由夏達が沖縄に来た頃には、俺は結構凹んでたんだけど、彼女の前で、あんまり落ち込んたり、泣き言を言うのは嫌だったので、まぁそれなりに虚勢も張った。もちろん、あいつと会えて嬉しかったし、力ももらったけど。


そして、由夏達が帰って、すぐ後に行われた紅白戦(チーム内の練習試合)でピッチャーとしての登板機会を与えられたんだけど、気持ちがいいくらい打ち込まれた。


試合後、二軍落ちを通達されたんだけど、はい、かしこまりましたって、言うしかなかったな。自分の力不足を痛感して、俺は一軍を離れた。


二軍には、俺と似たような年齢の連中が、明日の一軍を目指して、虎視眈々と爪を研ぎ、牙を剥いていた。


だけど、周りがほとんどが年上で、なおかつ話題性で下駄を履かせてもらって一軍にいたことは自分でもわかっていたから、正直ホッとした気持ちはあった。


二軍の練習に合流した初日。俺の顔を見た小谷順三(こたにじゅんぞう)ピッチングコーチは


「お前は走っとれ。」


と一言。以来、キャッチャーとしての練習時間以外は、俺はひたすらランニングに明け暮れることになった。


(俺は陸上選手になったんじゃねぇぞ。)


思わず内心愚痴ったが、次の瞬間、ある男の顔が脳裏に浮かんだ。高校の1年後輩だった橘剣(たちばなけん)、とてつもないスピードボールを投げる代わりに、とてつもなく滅茶苦茶なコントロールをしていた奴にランニングを命じたのは、他でもない俺。


内心で愚痴ってるだけの俺と違って、剣は面と向かって文句を言って来たが、俺は聞く耳を持たなかった。


下半身の強化はピッチャー、いや野球選手としての生命線。コントロールを付けたかったら、走れって言って。


そんな剣は、俺と違って、高卒でBSに入団。思ったより時間が掛かったが、昨年あたりからようやく頭角を現してきた。


そして俺も以来、かつての後輩に負けじと卒業式の一時離脱を挟んで、本当にほとんどランニングに練習時間を費やす羽目となった。


もっとも小谷コーチは、それがキャッチャー練習で中断されるのが嫌だったらしく


「お前、才能ないくせに、何が二刀流だ。さっさとキャッチャーなんぞ止めて、ピッチャーに専念しろ。」


なんて言って来る。


「冗談じゃありませんよ。キャッチャー練習の時だけが、自分が陸上選手じゃないって確認出来る時間なんですから。」


二軍に来て、半月も経つと、俺もこんな風に言い返せるようになった。その答えを聞くと、小谷さんはニヤリと笑って、俺の側を離れて行った。