「岩武、今、デザイナーを辞めてしまうなんて、あまりにも勿体ない。お前には、無限の可能性がある。仙台に行ったら、専業主婦になるか、せいぜい家事の片手間に在宅のアルバイトで、デザイナーの真似事が出来るくらいだろう。お前には、そんな人生を歩んで欲しくない。なぜなら、お前には俺なんかが、足元にも及ばないデザイナーになれる素質がある。俺はそれをサポートしたいんだ、公私両方で。もう1度、考え直してくれないか?」


必死の形相で、そう私に迫る平賀さん。だけど、私は静かに首を横に振る。


「ありがとうございます。平賀さんのお気持ち、とても嬉しいです。光栄だとも思います。だけど、私にはそんな立派なデザイナーになる素質も資格もありません。」


「岩武・・・。」


「私、平賀さんに憧れて、JFCに入れていただいて、デザイナーとしてのせいぜいイロハのロくらいまでしか、やれませんでしたけど、とってもお仕事楽しくて、やり甲斐があって・・・。でも私の中で、この3年ちょっとの間に、デザイナーを続けたい、もっと頑張っていいデザイナーになりたいっていう気持ちが、彼の側に早く行きたいっていう気持ちを上回ることは一度もありませんでした。」


「・・・。」


「平賀さんに突然抱きしめられて、動揺してしまったのは、事実です。自分が平賀さんに、そんな思いを抱いていたのかと驚き、自分の彼への想いって、こんなに脆くて、いい加減だったのかと、ショックも受けました。あの時、あなたからもう一押しされていたら、私は彼を裏切ってしまっていたかもしれません。」


その言葉に、平賀さんの表情が微かに歪むのがわかったけど、私は続ける。


「彼の方にも、ちょっと怪しい動きもあったりして、遠恋に疲れてしまってたんだと思います。だけど、私にはやっぱり彼を断ち切ることなんか出来ないし、彼を裏切ることなんか絶対にしたくない。そう思えたから、彼に迷いを断ち切ってもらいに行きました。」


ここで私は平賀さんを改めて見た。


「ごめんなさい。私はやっぱり、彼のもとへ行きます。それが私の子供の頃からの一番の夢だから。」


そう言い切った私の顔を、平賀さんは少し、見つめていたけど、やがてニコリと微笑んだ。


「やっぱり、チャンスは2度はなかったか。」


「えっ?」


「あの時、俺にもう少しの勇気があれば、逆転もあったかもなぁ・・・。」


そう言って、大袈裟に天を仰いで見せる平賀さんに、私が思わず、クスリと笑ってしまった時だ。コトリとオフィスのドアの外から音が聞こえた。


こんな時間に・・・思わず顔を見合わせた私達は、次に平賀さんがそっとドアに近づくと、バッと開いた。