正直に告白すれば、この時の俺は、夢見心地だった。何も考えられず、ただ醍醐さんのサインに頷き、醍醐さんのミットを目がけて、ボールを投げ込んでいた。


その俺を、ハッと我に返らせてくれたのは、耳に


「4番サード 松本。」


のコールが入って来た時だった。


(松本さん・・・。)


打席に入る直前、先輩はチラッと俺に微笑んだように見えた。待っていたぞ、さぁ勝負だ。俺には先輩が、そう語り掛けて来たように思えた。


高校時代、先輩の一挙手一投足を、目をハートにして見つめる由夏の姿に、何度も唇を噛みしめ、切ない思いをした。当時の俺にとって、先輩はその面では目の上のたんこぶであり、でも野球選手や人間としては、とてもたった1つ年上の、同じ高校生とは思えないくらい、カッコよくて、大きくて、尊敬と憧れの存在だった。


俺は松本省吾をずっと追い掛けて来た。そして、今ついに、その憧れの存在と、プロ野球と言う舞台で対決する時が来た。春のオープン戦では幻に終わった初対決。


改めて状況を確認すれば、二死2塁。先制されるピンチだ。


(由夏、見てろよ。)


初球、血相を変えて投げ込んだストレートを見逃し、ワンストライク。


(手が出ねぇか。ならもう一球行くぜ。)


醍醐さんのサインに頷いて、第2球。バット一閃。それはあっと言う間の出来事だった。凄まじい打球音と共に、ボールはライトスタンドへ。Eファンで埋め尽くされてるはずのスタンドが、一瞬静まり返った。


グゥの音も出ない程の完璧な2ランホームラン。何事もなかったかのように、走り出す先輩。


(由夏、この人はやっぱり、情け容赦ねぇわ。)


思わずマウンドの土を蹴り上げる俺。格の違いは明らかだった。


思えば、俺は我に返らなかった方がよかったかもしれない。急に現実を意識した途端、無駄な力が入り、コントロールを乱して、そのあともランナーを出してしまい、続くバッターにストライクを取りに行って、やや力を抜いた球を狙い打たれて、あっと思って、振り向いた俺の目にセカンドの菅沼さんが、その打球をダイビングキャッチする姿が入った。


ナイスプレー、マウンドから思わず拍手を送ると


「だから、俺の所に全部打たせろって言っただろ。」


「ありがとうございます。」


ニヤリと笑って、そう言う菅沼さんに、俺は頭を下げる。


結局、デビューのマウンドは、いきなりの2失点。ほろ苦いスタートとなった。