俺の一軍生き残りを掛けた、オープン戦最終登板は、それから5日後にやって来た。


俺の地元である神奈川の県都、横浜で行われたBS戦。ちょうど1週間後に、開幕戦を迎えることになるこの日、先発したのは、開幕投手が確実視されるエース佐々木さん。


その佐々木さんが、強力BS打線を7回2失点に抑えて、準備万端をアピール。そして、そのあとのリリーフを俺が承った。


一応、先発ローテーション候補の一員である俺としては、もっと長いイニングを投げたかったが、贅沢は言っていられないし、一軍に残れるなら、別にリリーフとしてでも構わない。


前回登板が、微妙な結果だったのは、自覚している。俺は持てる力の全てを出して、BS打線に立ち向かった。


そして結果は、2イニングをパーフェクト。チームも見事に勝利した。


(これで生き残った。)


もちろん明日、明後日に登板するライバル達の動向にもよるが、リリーフの適性もアピールした俺が、一歩リードしたという自己判断は、決して身びいきとは言えないはずだ。


(由夏、やったぜ。)


俺は内心、得意満面でそう呟いていた。


更に翌日には、朗報が届いた。沖田と桜井がついに心を通じ合わせたんだ。


高校時代から、お似合いだと思っていた2人だったが、紆余曲折あり、なかなかうまくいかないまま、ここまで来てしまった。


それだけに、グループLINEで、桜井から報告があった時は


『グッジョブ!沖田を頼む。』


と速攻返信したし、別途沖田には電話をして


「今度、桜井をキチンと捕まえておけなかったら、お前なんか一生一人だからな。」


と脅し半分で祝福した。


なんにしろ、待ち望んだ吉報。これはますますいい流れと、都合のいいように解釈して、翌日のオープン戦終了後


『由夏、これから仙台に戻る。沖田達に続いて、必ず吉報を届けるから。期待して、待っててくれ。』


と自信満々にLINEすると、意気揚々と新幹線に乗り込んだ。