「どうしたんだい?」

じっと見つめる私の様子を変だと感じたのか、彼は不思議そうに尋ねてくる。

「どうしたんだい? って、猫?」
「僕はチェシャ猫だよ」

チェシャ猫、と聞いて、昔聞いた話を思い出す。選ばれた“アリス”の元には必ず“チェシャ猫”がやって来る。世界の崩壊の知らせと共に。パニックで、すっかり客が誰なのかを忘れていた。

「最悪の時、チェシャ猫が役目を負うわ。その最悪が、起こらない事を祈っているのだけれど」
「よろしく。アリス」

チェシャ猫の口元が微笑んで、少しだけ安心する。やっぱり怖い人じゃない。

「うん。よろしくね。チェシャ猫」

差し出された手を握り握手を交わす。チェシャ猫は優しく手を握ってくれた。すると、私の感覚が何かを訴えてくる。この手の体温が酷く懐かしい、と。でも、分からない。思い出せない。

「なんだい?」

耳に届く懐かしさを含んだ優しい声も。初めて会ったはずなのに。

「ううん。何でもないよ」

知っている。でもきっと、ただの気のせい。懐かしさを感じるのも、そして、先程から感じる女王様の殺気も。

「チェシャ猫っ! さっさとアリスの手を離しなさい!」

女王様の顔が鬼のような顔つきに変化し、ヒステリックに叫んだ。

「握手していただけだよ、女王」

女王様に睨まれたチェシャ猫は、肩を上げて仕方ないと言うような仕草を見せると、私の手を離した。

「女王は短気だね」

また後で、と小さく呟くと、チェシャ猫は瞬きの一瞬、謁見の間から姿を消した。女王様の殺気が少しだけ薄まったので、ほっと胸を撫で下ろす。もう、過保護だなぁ。