「お客様、こちらのドレスはいかがでしょうか」

先程の店員が、荷物を抱えて戻ってくる。その腕の中には、言った通り紺とワインレッド、そしてブラックのドレスがあった。

鏡の前の私に、それを着てもらう。正直、旧型と新型の違いがわからなかった。色が違うのは明確だが、他のデザインの違いがわからない。

少しだけ、旧型の方がレースの模様が詰まっている気がする。それだけの違いだった。

「いいですね!じゃあ、試着してもいいですか?」

「はい、わかりました。ご一緒にこちらの靴はいかがでしょう」

「あ、じゃあそれも。あと、このドレスに似合いそうな鞄も探して貰えますか」

「わかりました。では、あちらの試着室へどうぞ」

案内してもらった試着室で、お気に入りだったワンピースを脱ぎ捨て、高級な黒いドレスに袖を通す。

背中を真っ直ぐに割るチャックを、なんとか自分で引っ張りあげた。

大きな鏡に映る私は、最近の私とは別人だった。
悪魔だ。私の死を笑う悪魔がそこにいる。

そして私自身も、それを喜んでいる。

服を脱いでも乱れない、均等に巻かれた肩までの髪。整形級のメイク。さらに、袖の黒いレースから見える肌が妙な雰囲気を誇張していた。

「お疲れ様です」

シャッとカーテンを開けると同時に、声が飛んでくる。その手には、また服に合わせた色合いの鞄があった。

「まあ!お客様はスタイルが良いので、よくお似合いです」

「本当ですか!ありがとうございます」

褒められて、悪い気はしない。

ストレスとお金の関係から、あまり食べられなくなったせいで、自分でも細くなったとは思う。綺麗とは言えないが。

「はい。靴と鞄も、こちらの三点ずつご用意致しました」

左から順に、ブラック、ホワイト、シルバーが並ぶ。

指先と(かかと)の部分だけが隠され、足首をパールのようなもので縛られる形のパンプスだった。

「ドレスの方が黒ですと、シルバーがいい感じにアクセントになるかもしれません」

「じゃあそうします。あと、鞄はその黒で」

持っているものは、候補のドレスと同じ色の鞄だった。だったら、黒には黒で染め上げた方が美しいはずだ。それほどファッションに詳しくないが。

「かしこまりました。では、レジの方にお持ちしますので」

「あ、あと、このまま着て帰ってもいいですか。靴も、鞄も」

珍しい客だと思ったのか、言葉に間が空く。そしてまた彼女は笑みを浮かべた。

可哀想。営業スマイルで、延々と客に媚へつらわなければならないなんて。

そうしなければお金が入らない。生活できないなんて。

昨日までの私みたいで、本当にカワイソウ。

「わかりました。では、タグをお切りします。着ていた服を代わりに袋にお詰めしてもよろしいでしょうか」

「あーいえ、もし良ければ捨てておいて貰えますか?私、もう死ぬんで、要らないんですよ〜」

営業スマイルに負けない、作り上げられた悪魔の微笑みを全面に出す。

この服装の雰囲気を吸収した私の笑みは、さぞかし不気味だっただろう。

後ろにいるナガトには、どう見えただろうか。私の背中は笑っていただろうか。今の私なら、背中にも顔を浮かばせることができそうだ。

そこにきて初めて店員の顔色に変化が現れた。ゾッとしたような、驚いたような、怒っているような表情。

「お客様…失礼ですが、ご冗談ですか?」

「いいえ。本気ですよ?」

彼女の瞳が震えるのが分かった。どういう表情なのか、読み取れない。世の中には色んな反応をする人がいるものだ。

「駄目です…。絶対に死なないでください…。御家族が悲しみます」

震える瞳が、私の目を貫く。私より奥の誰かを見ているようだった。

「家族も、もう居ないんです」

「それでも…!」

「え、どうして事情も知らずに、死ぬことを止めるんですか?」

純粋に疑問だった。生きることが正しくて、死ぬことが間違っているなんて、誰が決めたんだ。

どうして見ず知らずの人間を心配して、自殺を止めるのか。

あなたにとって私なんて、赤の他人であり、どうでもいい人じゃないか。

店員の瞳が正気を取り戻したように、私自身に戻る。

「大変失礼しました。つい…自殺した娘を思い出して…」

そうだよ、思い出して。あなたは店員で私は客。それだけの関係に、深い話なんていらない。

「そうですか…さぞ辛かったでしょうね。事情はわかりませんが、きっと今、娘さんは幸せですよ」

私は鞄の中身を詰め替え、元着ていた服と靴、それに鞄を渡し、会計をする。

潤んだ瞳の彼女は、呆然とレジに数字を打ち込んだ。

昨日までの私なら、手も出せないような額が表示される。それを軽々しく財布から出し、その上にトランプも置いた。

「お手数かけてすみませんが、このカードも一緒に処分しておいてください。あと、あなたは素敵な人ですね」

少しだけ、昔の笑顔を思い出せた気がした。口角なんてそれほど上がらなくて、瞼だけが重く落ちるのがわかる。

「……わかりました。ありがとうございました。またお越しくださいませ」

テンプレートが背後から聞こえた。私はナガトと共に、店を出る。

人には色々な事情や過去がある。だからこそ、あの人は私を止めたのだろう。彼女の善意だけは伝わった。




トランプケースから消えたのは、ハートのジャックだった。