「伶士、ごめんね…お父さんや母さんの問題なのに、巻き込んでしまって…ごめんね、ごめんね…」
「………」
何度も謝ってくる母さん、俺の腕を掴む手が震えていた。
親父と母さんの問題?
母さんは、被害者なのに…。
でも…母さんは知っていたんだ。
鹿畑倫子さん、愛人の存在を。
その時、なずなと目が合う。
目で「ここから離れろ!」と言われているような気がして、元居た場所へと母さんを引っ張って連れていく。
俺たちが離れたのを見送って、なずなは手元の蓮華曼陀羅陣をトンと軽く押した。
すると、いつもよりサイズの大きいピンクのガラスは光を発して一気に押し進む。
無数の手たちをも巻き込んで、距離が離れたところで爆発した。
爆発音と共に、妖怪の悲鳴も聞こえている。
《…あああぁぁぁっ!》
…え?
その悲鳴の変化に気付かされる。
あの、おぞましく耳障りな雄叫び…ではない?
普通の女性の声の悲鳴…?
「なずな、何やってたんだ!」
ようやく姿を現したなずなに、菩提さんはイラッとした口調で怒鳴り掛ける。
だが、当の本人はツラッとしていた。
「いやぁ…睡蓮華仕込もうと、機会を狙っていたんだけど…」
そう言って、どデカい妖怪の姿を指差す。
「…状況、変わってね?」
指差す方向を、菩提さん含めてみんなで一斉に見る。
そこは、妖怪になった鹿畑倫子さんの…顔。
崩れきってしまったその目は、確かにこっちを見ている。
ピクピクと動いた、憎しみの視線を送っている。
《愛していたのに…》
崩れきってしまったと思われる表情が…さっきと比べて変わっている。
人の顔に…?
《おまえのところに行くなんて…許さない…許さないぃぃっ!》
彼女が見ているのは、母さんだ。
《愛してるのに…許さないぃぃっ!》
憎しみの視線でギロッと睨まれ、怒鳴られた母さんは、ビクッとして俺の腕に顔を伏せていた。
「…自我が戻ってる」
菩提さんは、驚いた表情のままその姿を呆然と見つめる。
なずなも一緒になってその姿を見つめ、ボソッと呟いた。
「妖化しきったのに、自我が戻るなんて…初めて見た」
「極稀なケースだけど、無くはない。恐らく、奥様の登場が刺激になって自我を取り戻した…と、考えられる」
「えっ…」
妖怪となり自我を失って、本能のままに暴れまくっていた鹿畑倫子さんが。
母さんが出て来て担架をきったことで、自我を取り戻したってこと…?
「妖化しきっていないと言うのなら、こちらにも分がある…なずな」
「ヘイ、ボス」
「『絶対従者』の力を解け。言霊の鎮魂に切り替えろ」
「…無茶振りするね?」
と、言いながらも。
なずなは、悪そうな笑みを浮かべている。
命じられるその内容を、わかっていたかのように。
「…妖化を沈めて、成仏させる」
「…了解」
★★★
妖化を沈めて、成仏させる。
あの黒い翼の男の手によって、妖怪と化してしまった、鹿畑倫子さん。
生き霊でも、死霊でもない。
この世のものではない妖怪となってしまい、成仏への道が断たれ、調伏せねばならない状態だった。
なのに…。
「じゃ、ボス。いつもの不動縛よろしく。長めに」
「言われなくてもわかってる」
そう言って、指を組んでブツブツと唱え始める。
なずなはここから離れて、妖怪の方へと歩き出す。
これから何かが始まるのかと思うと、空気に緊張感があるような気がした。
《…ああぁぁぁっ!…ああぁぁぁっ!》
菩提さんが顔を上げると、妖怪が悲鳴を上げ出す。
動けないでもがいている様子だった。
そういう術をかけたのか?
「あ、あぁ…倫子さん…」
母さんから、不安そうな声が漏れる。
彼女の苦しみもがく様子に、切ない表情を浮かべていた。
「…奥様はご存知だったのですか?」
その様子を見て、菩提さんは母さんにさりげなく問う。
母さんはぎこちなく頷いていた。
「昨日のあなた方の話を廊下でこっそりと聞いてしまいました。ごめんなさい…でも、まさか伶士を襲った悪霊が倫子さんで、もうお亡くなりになっていただなんて…」
「…鹿畑さんの存在も、社長との関係もご存知だったのですか」
「ええ…二人の関係は、婚約中から気付いてはいました…あの時の主人は、この婚約に不満があったのをわかってましたし…」
婚約中から、気付いてた…?
政略結婚とはいえ、自分との婚約中にも関わらず、親父に他に女がいたってわかってたのに、結婚したの…?
掻い摘んだだけの話じゃ、わからない。
…だけど、まさかここから。
悲恋のエピソードの詳細が明かされることになるとは思わず。
一方、なずなは先ほどいた辺りの位置まで戻り、また偉そうに腰に手を当てて立っている。
苦しみもがく、鹿畑倫子さんの姿を黙って見上げていた。
「………」
一度、軽く深呼吸している。
そして目を閉じ、手を合わせて合掌している。
「…天の声 地の恵み 祝詞 御加護があらんことを 喜び 奉らん…」
それは、まるで祈りを捧げているようで…。
「…天を慈しみ 讃えよ 大地を愛し 生きよ…」
なずなの体全体から、淡い光が滲んでいる。
そして、同じ光が…妖怪の姿をした、鹿畑倫子さんの体をも包んでいく。
「…風に色を覚え 喜びを感じるるは 感謝せよ…」
《…あああぁぁぁ…あああぁぁぁ…》
更に悲鳴が聞こえてくる。
苦しい…のか?
「…その懐に 我らの艶やかなる色を感じ その立つ土に 感謝せよ…」
けれど、ただ苦しみもがいているだけではない。ような気がするのはなぜか。
《やめてぇぇぇっ!…やめてぇぇぇ…行かないでぇぇ…》
「讃頌…言霊『鎮魂』」
パン、と手を叩く。
途端に眩しい光に包まれて、一瞬だけ視界を奪われた。
(わっ…!)
《行かないで…行かないでぇぇ…》
叫び声が耳に入りながらも、思わず目を伏せてしまう。
なずなの声も…聞こえてくる。
「…群青の空・白銀の雲・金璽鳥の羽衣・冴緑の雫…」
しかし、光が落ち着いたと思ったら、そこは徐々に暗転されていく。
まるで、それは。
映画の開演前のように。
「…唐紅の錦・黄金色の稲穂・橙の狭間・金色の絵巻…」
《嫌、イヤ…私と一緒じゃなきゃ、いや、嫌っ…!》
その時、映像が頭の中に飛び込んでくる。
スーツ姿の着飾った金髪の女性…。
ガラケーを手に、微笑む女性の顔。
ストロボのフラッシュと共に、頭の中に入り込んでくる。
金髪?これ…もしかして。
鹿畑倫子さん…?
ふと、傍にいる母さんを見ると、目を大きく開いて固まっている。
「倫子さん…?」と、呟いていた。
まさか、母さんにもこの映像が…?
「…これは、鹿畑倫子さんの記憶です」
真っ正面を向いたままの菩提さんは、そう俺達に伝える。
「記憶…ですか?」
「追想、というか。鎮魂して妖化を解く過程で、彼女の精神世界がどうしても映像化してしまいます」
精神世界、映像化…。
それは、心当たりがある。
部屋で襲われた時に、ほんの少しだけ覗いてしまった。
彼女の…親父との過去のやり取りを。
「…我々はそれを受け止めなくてはならないと思っています。彼女の思いも、願望も。我々の仕事は『心』を扱う仕事でもありますから」
『心』を扱う…?
「生きている人間の声はみんなに届きますが、霊の声は我々にしか聞くことが出来ない…だから、それに耳を傾けるのが、我々の役目だと思ってます」
すると、母さんがフフッと笑う。
「…そうね。『あの人』もそう言ってた…」
そう話している間にも、追想である映像はどんどん流れてくる。
夜のネオン街、夜空…これは、すすきの?
歩道に行き交う人々、スーツ姿のサラリーマンや、ほろ酔いの若者たち。
それはやがて、動画となる。
気がつけば、映像は脳内ではなく、目の前の暗闇がスクリーンとなって写し出されていた。
本当に、映画館のように。
「…鳳来の竪琴・白金の刃・馬羅の音色・濃く現わるる花影…」
…私は、絶対。
人の前では、さめざめ泣いたりはしない。
それは、つまり。
常に自分が、この街、すすきので強く生き抜くために。
この街に似合う女でいるため。
何の取り柄もない私が、大金を稼ぐにはここで生きるしかなかった。
この街の中、店を転々としながら生きる。
そうこうしていたら、いつの間にもう24歳になっていて。
とあるビルの小さなスナックで働く。
…そこで、私は彼と出会った。
小さな小さなお店だけど、ここには大手の橘建設の社員がよく来店される。
ママが、橘建設の重役と仲良しで、贔屓にしてもらってるらしい。
彼は、上司や同僚に連れられて何度かお店に来ていたお客さん。
見た目は、とても洗練されていて、いわゆるイケメン。
背も高くて、爽やか。
『…こいつ、橘っつーんすよ!実は、グループ総帥の息子!…24だから、倫子ちゃんと同じ歳かな?』
『未来の社長を後輩に持つなんてなー?…厳しくしたら後で仕返しされそ』
『な、何言ってんすか先輩方!今は修行中の身なんですから、ご指導宜しくお願いしますよ!』
社長の息子?
確かに、お上品でただならぬオーラはあるけど。
でも、偉そうにしてなくて、上の者をそれなりに立てることが出来ている。
社長の息子なのに、先輩にきちんとお酌もして、気配りも出来て、対応に嫌味がない。
素敵だな…。
最初はその程度。
しかし、時が経つに連れて、思いが変化する。
とある2月の寒い中。
彼は一人で店にやってくる。
沈んだ表情で。
『いらっしゃいませ』
『こんばんは。マイヤーズ、ロックで』