ーーー『陰陽師』という職業をご存知だろうか。
陰陽師とは、奈良・平安時代以降から存在した職業と言われている。
律令制の日本において陰陽寮に設置された官職といわれ、陰陽道の知識・技能を有する者のこと、だそうだ。
『陰陽五行』という方位学と天文学による占術で、天気を予想したり。
占術、呪術、祭祀などを行うらしい。
その延長として退魔行…すなわち、悪魔、悪霊払いですとか、妖怪退治をもやっちゃうらしい。
現在でも占術師として活動する陰陽師は少数ながら存在するようだが。
悪魔払い、妖怪退治専門の陰陽師も、この現在社会に存在する…らしい。
…この物語は。
なぜか?凶悪な悪霊に追い回されることになった俺…橘伶士(たちばな れいし)が。
大会社の社長である親父の依頼で、そんな悪魔払い・妖怪退治専門の陰陽師である彼女に。
護衛…悪霊からのボディーガードと、お祓いをしてもらうという。
…いや、そんなシンプルにはいかない、ドタバタしてしまうコメディ。
えっ…?
まさか、この女が陰陽師?!
この世の中、何でもアリか!
ーーーねえ、あなたしか見てないのよ。
今すぐに、ここでキスして?
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mission 1
kiss me here…
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★★★
ここは、市内一の一等地でセレブがこぞって住み着く地域。
その地域でも、モダンな外観の一際大きい大豪邸。
その大きな大きなリビングには、大きな大きな天井窓。
そこから広く射し込む朝陽は、少し重たい寝起きの頭を少しばかり目覚めさせる。
本日は、部活の朝練が休みなので、いつもより遅く起きて制服に着替える。
体は疲れが溜まっているのか、少し怠い。
支度を終えて部屋を出て、だいぶ長い廊下を歩き、階段を使って下へ降りて、何の意味もないだだっ広いリビングへと向かった。
そんな天井窓から射し込んでくる朝陽が気持ちいい。
疲れも昇華されるような気がする。
ただデカいだけのセレブの豪邸、メリットはそんなんしかない。
…と、俺は思っている。
「伶士さま、おはようございます」
「…あ、おはよう。忠晴」
俺がこのだだっ広いリビングに顔を出すと、すかさずやってくるのが、この執事の忠晴。
この大豪邸のただ一人の使用人。
「伶士さま、お食事の準備が出来てございます。旦那様も奥方様もいらしておりますよ」
そう言って、忠晴は俺の肩にかけてあるカバンをあっという間に奪い取って、ソファーに丁重に置いてしまう。
「あっ…」
自分でやるからいいのに!
自分のものぐらい、自分で置かせてくれ。
この金持ちライフにも嫌気が差してくるポイントではある。
しかし、忠晴だって仕事でやってるんだ。
とやかく言うのも可哀想かなと思い、何もコメント出来ず。
忠晴に連れられて食堂に顔を出すと、すでに父と母が食事をしている。
ドでかいテーブルの上座には旦那様と呼ばれている父。
その傍には、角を挟んで母が座っていた。
「おはよう、伶士」
母が気付いて顔を上げる。
「…おはようございます」
「あら、何だか顔色が悪いわね。疲れているの?」
「いや、別に。大丈夫」
でも…ここんとこ、部活が忙しいからだろうか。
確かに、ちょっと疲れが溜まっている。
大会予選が始まるから、夏休みの終わり頃から練習の嵐だったし。
夏バテでもしてるのか。
そんな会話を母と交わすと、新聞に目をやっていた父が顔を上げる。
「サッカーが楽しいのは大いに結構だが、何事も体が資本だぞ?最近の若者は貧弱で、24時間戦えないからな?」
「24時間…」
…戦う必要、ありますか?
労働基準法に引っ掛かりそうな発言だ。
「まあ、休養も大事だ。ということを父は言いたい。うまく休養を取れ」
「はいはい。わかってるよ」
父がなかなかユーモアがあるおかげで、お金持ち一家の割には、他のセレブ家に比べて親子の壁ってやつは薄いと思っている。
セレブ友達の家なんて、親父に敬語を使わなければならないんだ。
「そういうワケで、忠晴。伶士に24時間戦える栄養ドリンクを」
「わかりました。旦那様」
「…いいよ。別に」
だから。24時間戦う必要あんのかって。
言ってること矛盾してる。
そんな会話をしながら、椅子に座ろうとすると、すかさず忠晴は俺のために椅子を引く。
そして、すかさず食事が登場する。
「…兄貴は?」
「頼智さまは、今朝お帰りになられて今は眠っております」
「また朝帰り…」
そんな兄貴の行動にやれやれ…と、思いながら、忠晴の用意してくれた好物の飲むヨーグルトに口をつける。
しかし、その時。
思わず手を止めてしまった。
(…?)
背筋が、ザワザワッとしてくる。
まるで…手で艶かしく、撫でられているかのように。
《…いして…》
同時に、どこからか聞こえて、頭に響く。
女性の声が微かに聞こえた。
「…ん?…ん?」
辺りをキョロキョロと見回す。
すると、また聞こえた。
《…私を!…愛して!》
今度は、はっきりと。
耳元で怒鳴られているかのように、大きく。
「…うわっ!」
突然耳元で怒鳴られてびっくりしてしまい、体を震わせ思わず声を上げてしまう。
同時に何かに口を塞がれ、グイッと後ろに引っ張られた。
顔や胸元にドンッ!と衝撃が走って、息が詰まる。
(…うっ!)
その勢いで後ろに引っくり返され、視界がぐるっと変わって真っ暗になった。
視界暗闇の中、体をバン!と叩きつけられて、全身に一気に痛みが走る。
「…いっ…痛っ…」
「伶士さま?!」
「伶士!」
椅子がガタッと鳴る音、足音がバタバタと聞こえて響く。
痛みが取れないまま、体を起こせずそのまま踞ってしまう。
何なんだ?今のは…!
呼吸が解放されて、小刻みに息をきらす。
ようやく体を動かして、起き上がる。
うっすらと開けた視界の向こうには…父や母、忠晴が一斉に俺の顔を覗き込んでいるのがわかった。
心配そうに…。
…ではない。
「れ、伶士っ…!」
「伶士さま!」
え…?
心配そうな表情…ではなく。
三人揃って、何かおぞましいモノを見たかのように、恐怖に満ち溢れた表情を俺に向けている。
一歩後退りしながら。
え?え?何で?
その三人の中でも、特に恐怖に満ち溢れた表情をしているのが…親父。
目玉ひんむいて、微妙にガタガタと体を震わせている。
「忠晴…。菩提(ぼだい)だ…」
「だ、旦那様…!」
「菩提を…菩提を今すぐ呼べぇーっ!!」
「し、承知しましたぁっ!」
親父に怒鳴られて、その場を走って離れる忠晴。
親父も一緒になって、その場を離れていく。
「…え?え?な、何?何?どうしたの?」
「伶士…」
母親が、そこにある手鏡を持って、恐る恐る俺に渡す。
何のことやら…と、首を傾げながら、手渡された鏡を覗いた。
しかし、それは。
騒動の始まり。
「…う、うわああぁぁっ!な、何だこれはあぁぁっ!」
俺の顔には…。
唇のカタチをしたピンク色の口紅の跡…。
いわゆるキスマークが、俺の口元を中心に、無数に付けられており。
いつの間にか引き裂かれ開いていた、シャツから見える胸元にも、ルージュのキスマークがびっしり…!
何だ…これは。
…俺に、何が起こったんだ!
まさか、これが。
悪霊の仕業だとは。
この時の俺には、想像もつかなかったのであった…。