「───君のような独裁者に一番は任せられない。
何でも自分の思い通りに行くと考えない方がいいよ」
揺らがない声だった。
ハッキリと拒否をして、剛毅さんに対抗心を見せた瀬野。
「まあ、そう簡単に受け入れるわけねぇか。
だが俺は仁蘭を潰してここを占領する。
お前らの負け顔を拝むのが楽しみだ」
剛毅さんは馬鹿にしたように笑い、近くに停めた車へと移動しようとしたけれど。
「愛佳ちゃん!」
光希くんが私を呼び止めた。
思わず足を止めてしまう。
「愛佳ちゃん、嘘だよね…?
どうして突然敵の元へ行くの?」
耳を塞ぎたくなるのを我慢して、振り返らずに再び足を動かした。
「少し前まで涼ちゃんのためにって、あんなに必死だったんだよ!?それなのに突然こうなるだなんて、こんなの愛佳ちゃんの意思じゃ…」
「光希、彼女のことはもう放っておいていいよ。
自分で選んだ道だから、何も言わないであげて」
まだ叫ぶ光希くんを瀬野が止めた。
同時に、もうこれで本当に終わりなのだと思い知らされる。
後戻りはできないと私は、剛毅さんの隣を歩く他なかった。
「だいぶ滅入ってるみたいだな」
行きと同様、剛毅さんが運転席に座って私が助手席に座る。
そんなの当たり前だ。
今日のことがあっても尚、平気なフリをできるほど強くはない。
「今日は家に直行するか。
今にも泣き出しそうな顔してるし」
「…っ」
最低なはずなのに。
全部彼が崩してきたというのに。
その気遣いが弱い心に沁みる。
優しいと思ってしまうほど、私は麻痺していた。
「よく頑張ったな。
お前の喪失は仁蘭にとっても大きいだろう。
これで状況は一変した。
この機会は絶対に逃さねぇ」
別に彼がどうしたいかなんて、私には関係ない。
いずれにせよ、これから起きる大きな闘いは避けられないのだ。
それは瀬野もわかっていた。
窓の外をぼーっと見つめ、家に着くのを待つ。
それ以降は一言も言葉を交わすことなく家に到着した。
ひどい喪失感に苛まれる中、制服を着替える。
今日のことは全て自分が選んだこと。
瀬野たちを裏切ったようなものだ。
これで良い。
これで良かったと思えるような結末を迎えて欲しい。
「…っ」
ボロボロだった。
少しのことですぐ泣きそうになる程、感情の制御が効かない。
こんなにも誰かを好きになることは辛い。
「泣きたかったら泣けよ」
蹲る私のそばに剛毅さんがやって来る。
優しいフリをして、きっと頭では自分のことしか考えていない。
さぞかしご満悦であることだろう。
それでも彼に後ろから抱きしめられた私は、抵抗することができなかった。
大きな腕に包まれて、安心感を抱くほどにまでなっていた。
「……これで、満足…?」
「ああ、想像以上だ。だからもう瀬野の母親に手出しはしない、これは約束する」
「…っ、本当…?」
それは私の中でとても大きかった。
自分の行動が救われた気がしたのだ。
「一度約束したら破らねぇよ。
お前が期待以上のことをしてくれたからな」
嬉しそうに笑う剛毅さん。
それから私の涙を拭ったかと思うと───
「……ん」
その時初めて、彼は私の唇を奪ってきた。
それも優しい塞ぎ方で。
抵抗はしなかった。
したところで、助けに来てくれる人はいない。
私はもうひとりになったのだから。
それならもう、彼に好き勝手されてもいい。
むしろ早く瀬野のことを忘れたいと思った。
「お前はよく頑張った。
あとは瀬野のことさえ忘れたら苦しさなんて消える。
俺が忘れさせてやるよ」
きっと、多分。
今のはかなりの最低な発言だったと思う。
けれど私は彼の言葉を鵜呑みにして───
瀬野を突き放した今、この苦しさからの逃げ道は彼しかいなかった。
瀬野と私が別れたという噂は瞬く間に広まった。
あの正門でのやり取りを見たという目撃者が相次いだためだ。
沙彩にも心配されたけれど、笑って誤魔化した。
「どうして別れたの?
あんなにも幸せそうだったのに…」
「全部、私のせいなの。
噂通りで間違い無いから」
噂の内容はこうだった。
私が他の男に乗り換えた、あるいは二股していたと。
ほとんどその通りだったけれど、噂はあっという間に校内に広まり、私はここ数日で“最低な女”というレッテルが貼られてしまった。
好感度もだだ下がりで、唯一いつも通り接してくれるのが沙彩だけだった。
春美と真弥も心配はしてくれたけれど、その表情はどこかぎこちなかった。
多分、噂の真意がわからなくて戸惑っていたのだろう。
それもそのはず、噂は勝手に広まるだけで、瀬野はそのことについて一切触れてこなかった。
周りに聞かれても、笑って誤魔化すだけ。
私に気を遣ってくれているのだろうか。
こんなにも最低な私を。
もっと貶せばいいものの。
「でも瀬野は何も言ってないよ?本当に事実なら、少しぐらい周りに不満を漏らすと思うけどな」
「瀬野くんが優しいからだよ、きっと。
だから沙彩も私と一緒にいない方がいい」
「え、嫌だよ。例え愛佳が軽い女だったとしても、私と友達なのにかわりないじゃん」
警告のつもりが、逆に拒否されてしまう。
こんな私をまだ友達と言ってくれるの?
「……沙彩」
「それに私は愛佳の反応からして何か事情があると見た!全然元気だってないし、ちゃんと寝てる?顔色も悪いよ」
「そう、かな…」
「私の勘は鋭いからね、舐めるんじゃないよ」
力強く頷く沙彩に思わず泣きそうになる。
確かにここ数日間、ほとんど眠れていない。
食べ物もうまく喉を通ってくれず、気分が悪い日が続いている。
けれど、沙彩の言葉でスッと心が楽になった気がした。
同時に上辺だけの付き合いで沙彩と接していた自分を酷く恨みたくなる。
「そういえば次、移動だよね。
そろそろ行こっか」
「……うん」
移動の時が一番注目の的だというのに、それでも沙彩は私のそばにいてくれて。
本当に救われた。
けれど───
「見て、あんな堂々と…」
「……二股だって」
周りからの視線は何とも痛く、居心地の悪いものだった。
思わず逃げ出したくなるほど。
いつまでこの状況が続くのだろう。
終わりの見えない今の状況に、目が眩みそうだ。
けれど負の連鎖は続くもので。
「愛佳、教室戻ろう!」
移動教室での授業を終え、沙彩に呼ばれて立ち上がったその時───
「……っ!?」
突然視界が歪んだ。
それも気持ち悪くなるほどに。
頭に痛みも走り、立っていられなくなる。
「愛佳…?」
「……うっ」
「愛佳!愛佳大丈夫!?」
「……っ」
そのまま倒れてしまった私は頭を打った衝撃で、一瞬頭が真っ白になった。
同時に全身が打ち付けられて痛みが走る。
ああ、本当についていない。
こんなところで倒れて、きっとみんなの笑い者だ。
本当に自業自得。
体に力が入らなくて起き上がれない。
気分も悪い。
頭がぼーっとして、だんだんと意識が遠のいていき───
次に目が覚めた時には保健室にいた。
すぐそばには沙彩が心配そうに私を見つめていた。
「愛佳…!
愛佳、大丈夫!?」
「……うん、ごめんね」
「無理して起き上がらなくていいよ!
保健室の先生も言ってた、貧血で倒れたんだって」
起き上がろうとするけれど、沙彩に止められてしまう。
「ほら、無理しないで」
「…ありがとう。でも授業は?」
「今は昼休みだから大丈夫!」
ニコニコ笑う沙彩に安心感を抱く。
彼女だけでもいてくれて良かったと。
「本当にいきなり倒れたからびっくりしたんだよ」
「ごめんね。いきなり立ちくらみがして、気づいたら倒れてて…」
立っていられないほど気持ち悪くなったのだ。
最近の不規則な生活が原因だろう。
「でもびっくりしたなぁ」
「……え?」
「ふたり、本当に別れたの?」
「……何の話?」
不思議そうに聞いてくる沙彩だったけれど、その質問を理解できないでいた。
「だって本当に愛佳が二股してたり、乗り換えたりしてたら、普通あんな必死になるかなぁ…」
「えっ…?」
どくんと心臓が大きな音を立てる。
よくわからないけれど、気持ちが昂っていく。
「私、倒れた愛佳を見た時、逆に焦ってどうしたらいいのかわからなくなったの。そしたら先生が来る前に───」
沙彩の言葉を聞いて、どこか期待してしまう自分がいて。
ただじっと黙って彼女の話を聞く。
「瀬野が駆け寄ってきたの。“川上さん”って教室に響き渡る声で愛佳の名前を呼んだ後、すぐに状態を確認して。それから保健室に連れて行ったのも瀬野だよ」
“瀬野”
その名前が出てきた時、信じられない気持ちでいっぱいだった。
心のどこかでは期待していながらも、最低なことをした私は瀬野に冷たく扱われる身なのだ。
恨まれてもおかしくない。
それなのに───
「……っ」
「だからクラス中、大騒ぎだよ。
ふたりの関係が全くわからなくて」
私だってわからない。
どうして瀬野が助けてくれたのか。
本当に私の名前を呼んでくれた───?
「何かあったのかわからないけど、ちゃんと話すんだよ。後悔したらダメだからね!」
「……うん、ありがとう」
すでに話は済んでいる。
だからこそ今の状況、沙彩の話に戸惑う自分がいて。
「あら、川上さん起きたのね」
「あっ、先生。
愛佳はちょうどさっき起きたんです」
その時、席を外していた保健室の先生が戻ってきたようだった。
「調子はどうかしら、川上さん。
病院に行く?」
「あ、いえ…寝てたら楽になっていたので」
「本当に病院行かなくていいの?」
沙彩に病院へ行くよう促されるけれど、首を横に振る。
寝ていたことで体調も良くなっていため、大丈夫そうだ。
それに病院へ行けば剛毅さんにすぐ伝わることだろう、説明するのも色々と面倒だ。
「それならもう少し様子見で休みましょうか。
まだ昼休みだし、ゆっくりしなさい」
「……はい、そうします」
先生の言葉を受け入れ、まだ休むことにした。
「沙彩、教室に戻っていいからね。
お昼もまだ食べてないでしょ」
「う、うん…あ、でも愛佳もお昼食べないと!
良くならないよ」
正直食欲は湧かないため、断ろうとしたけれど。
「先生、ここでお昼食べていいですか?」
「ええ、いいわよ。
川上さんにも食べてもらわないとね」
沙彩は先に断れない状況を作ってきた。
それほど心配してくれているということだ。
ここは諦めて素直に食べようと思った。