愛溺〜偽りは闇に堕ちて〜




「今までの代償がこのお金ってことだよね?
本当にふざけてるなぁ」

「……」


「なに、もう自分の前には現れるなって?
それとも母親が何処かに行ったってことかな。

見る限り生活感のない部屋になってるからね、いつから居なくなったんだろう。自分を捨てた父親のもとにでも行ったのかもしれないね。バカだなぁ」


「───瀬野」


思わず彼の名前を呼ばずにはいられない。
さすがの私も、黙って見られなかったのだ。


「落ち着いて、瀬野」

「……っ、いなくなって安心できるはずなのに、どうしてこんな…」

「瀬野…!私の目を見て」
「……え」


じっと彼を見つめると、揺らいでいる瞳が私を捉えた。


少しでも落ち着かせようと、彼の震えた手を自分の頬へと持ってくる。

熱の下がったそれは少し冷たかった。


「ほら、私がいる。
あんたはひとりじゃない」


孤独なんて言葉を、私の手で消してやりたかった。

私だってひとりだと思っていたけれど。
瀬野と出会えて、ひとりじゃないと思えた。


だからどうか、瀬野も───


「…っ」

震える手が私の背中にまわされる。
彼が力いっぱい、私を抱きしめてきたのだ。




「ひとりだなんて思わないで」
「……うん」

「大丈夫だから」


あくまで冷静に。
慌ててはいけない。

取り乱した彼を落ち着かせるための対応をとる。


「……こんなお金、俺はいらない。全部川上さんにあげる、だから…川上さんのそばに俺を置いて」

「私もいらない。お金なんかなくても、私はあんたのそばにいてあげるから」


そんなモノがなくても私は瀬野を見捨てないというのに。

今もまだ、彼は苦しめられている。
母親、そして父親の存在に。


けれど───


【ごめんなさい】

たった6文字の謝罪文。
理由も何も書かれていなかった。

言い訳ひとつなどなく、その謝罪の言葉と簡単には用意できないお金を残して母親はこの家を出て行った。


その意図は、何───?


せめてもの償いだとしたら。
瀬野の母親は自分の犯した罪を自覚していることになる。


本当に何も思っていないなら、このお金は自分のために使うだろう。

謝罪の言葉ひとつ残さずこの家を去ることだろう。


何かが胸に引っかかる。
素直に思った、瀬野の母親にもう一度会いたいと。


「……落ち着いた?」

「ごめん、川上さん。
まだ離したくない」


気づけば手の震えは止まっていたけれど、まだこのままの状態でいたいらしい。

もちろん私は拒否しない。
ただじっとしていた。




「……今日は家でご飯食べよっか。せっかくだから一緒に作る?別に私が作ってあげてもいいけど」

「今日はずっと一緒がいい」

「じゃあ一緒に作るか。
また今度、瀬野の言う和食のお店に連れてってよ」

「……うん」


ようやく落ち着いた様子の瀬野が私を離す。

『ごめんね』と謝って微笑んだけれど、その笑顔はどこか切なげだった。


「じゃあ早く用を済ませて帰るよ。
ここで待っといてあげるから」

「……ありがとう」


私の言葉でようやく瀬野が動く。

彼がここに来た目的を終えたところで、長居することなく家を後にした。


行き道は瀬野が私の手を握っていたけれど。
帰りは私が瀬野の手を握って先を歩く。

余計なことは考えさせないように、歩くスピードを速めた。


どうしても、瀬野の母親が彼を置いて逃げたとは思えなくて。

父親の元へ行ったとも考えられない。
どちらかと言えば罪滅ぼしをしているような、そんな気がした。


その中で私の胸に抱く思いはただひとつ。
過去に囚われたままの瀬野を放ってはおけない。

忘れろとまでは言わないけれど、それを含めて乗り越えてほしい。


瀬野の何気ない言葉で、行動で救われたように。
今度は私が自分の全てを使って───




それは甘く、貪るようなキスだった。


「せ、せの…んっ」


名前を呼ぼうとすれば、またキスをされてしまう。
あのデートの日から、もう何度目かの夜だった。

その日以降、やけに瀬野が積極的で。
今も瀬野は私を抱きしめて離さない。


「ま、待って…」

さらに瀬野は大胆にも服の中に手を入れてきて。
体温の上昇が激しくなる。


「キスだけじゃ飽きるだろうから」


その表情や声に余裕はない。
ここ最近、彼はどこか焦っているような気がする。


「……っ」


恥ずかしくなってギュッと目を閉じた。
けれど余計、瀬野の手に神経がいってしまう。

鼓動が速まり、全身が熱くなる。

「顔、真っ赤だね。
恥ずかしい?」

「……言わないで」


けれど瀬野は、いつも途中で止める。
服を脱がせることもしない。

そして止めるタイミングはいつも───


私の照れた顔を見てからだ。

今も顔が熱くなって、恥ずかしくてたまらない。
すると瀬野の手は止まり、今度は私の頭を撫で始めるのだ。




その時初めて瀬野は満足そうに笑う。
自分の何かを私で満たしているようだ。


「……瀬野、最近おかしい」

かれこれ1週間は経っただろうか。
目でわかるほどに瀬野の様子がおかしい。


その理由は聞かなくても大体わかる。
きっと本人もわかっていることだろう。


「…ごめんね、こうでもしないと安心できなくて」

また不安そうな表情。
今の彼はあまりにも不安定すぎる。


「私があんたから離れるかもって?」
「川上さんが俺の拠り所だから…」


本当にらしくない。
やっぱり瀬野の中で母親の存在は大きいのだ。

どうにかできないかと考えを練るけれど、良い案が全く浮かばない。


そもそも瀬野の母親の居場所なんて、誰にも───


「……あっ」
「川上さん…?」


可能性があるかもしれない。
瀬野の母親の居場所を探し当てられる人物が。


「ねぇ、瀬野」
「……どうしたの?」

「母親に会って話す気はない?」
「───え」


彼の目が大きく見開かれる。
きっと予想だにしない言葉だったのだろう。

けれど私は本気だ。
どうか会って話をしてほしいと。



「……ごめん、会う気なんてない」
「それだと瀬野が…」

「本当は今も忘れたくて仕方がないんだ。もう何も考えたくない、川上さんがいればそれでいい」


それだとダメなの。
本当に気づいていないの?



瀬野には守らなければいけない仲間がいる。

強く在らないといけないって、瀬野自身も言っていたというのに。


これから大きな敵との衝突があるかもしれない。
それなのに、一番トップの彼が弱気でいていいのだろうか。


「……そっか」


ただ今は瀬野の意思を否定したい。
否定してしまえば、さらに滅入ってしまうかもしれない。

あくまで寄り添うように。
けれどいい方向に持っていきたい。


何かいい方法はないかと思ったその時。
テーブルの上に置かれた瀬野のスマホが音を立てた。

ふたりして見ると、画面には【莉乃】と表示されていて。


けれど瀬野はそれを確認すると、スマホを手に取らずに私をギュッと抱きしめてきた。


「……とらないの?」

「今はいい。
会いたいって言われるだけだろうから」

「会ってあげなよ。
莉乃ちゃんは今の環境に苦しんでるんでしょう?」


ある意味チャンスだと思った。

瀬野が莉乃ちゃんと会っている間に、私はアジトに行きたかったのだ。




「川上さんは俺と一緒にいるのが嫌?」

「どうしてそうなるの?沙彩とかクラスの女子で遊びたいって話になってるから、瀬野が莉乃ちゃんと会ってる時に合わせたいだけ」


どこまでも弱気な瀬野に、もはや呆れてしまう。
もし彼を嫌になっていたら、すでに家から追い出している。


「……わかった」

そう言って、瀬野はようやくスマホを手に取った。
すでに電話は切れていて、彼からかけ直している様子。

電話の時ぐらい私から離れたらいいものの、彼は私の背中に空いている手をまわした状態のままだった。


仕方なくそのままの状態でいると、早速明日に莉乃ちゃんと会うことが決まったようだ。


「明日、夜ご飯は家で食べていい?」
「わかった。私も夜までには家に帰るようにする」


本当に夫婦のような会話だ。
顔を見上げて、思わず私は笑ってしまう。


「何笑ってるの川上さん」
「いや、おかしいなって」

「何がおかしいの?俺にも教えて」
「私たちの関係性が」


ここにきて、ようやく瀬野が優しい笑みを浮かべる。

私と目を合わせて、頬に手を添えてきて。
それからまた、ゆっくりと顔を近づけた彼にキスを落とされた。







次の日の昼休み。
瀬野はふたりで会いたいと言ってきた。

どうやら今日の放課後は莉乃ちゃんと会うため、その分昼休みに私と一緒にいたいということらしい。


やはりいつもと様子が変である。


「どうしたものか…」


今のところ、学校ではいつも通りの瀬野だった。

爽やかな笑顔を浮かべて、クラスメイトに囲まれる人気者の姿だ。


けれど私の前では違う。


「……ねぇ」
「んー、まだ離れたくない」

いつもの相談室で、先にご飯を食べるかと思いきや。
早々に私を抱きしめてきたのだ。


こんな甘えん坊のような姿を見たら、キット全員驚くだろうな。

今のところは私の独り占めである。
それはそれで悪くない…って、何プラスにとっているんだ。


これは良くないのだ。
瀬野には過去と向き合い、乗り越えてもらわないと。


「いつまでそんな弱々しい態度とってんの」
「川上さんを補給しないと俺、毎日やっていけない」

「バカじゃないの?
早く離れて、ご飯食べたいんだけど」


このまま食べずに終わってしまいそうで、瀬野から離れようとする。

けれど相手の力が強すぎて敵わない。




「川上さんは食べて大丈夫だよ」

「はぁ?まさか抱きしめられた状態で?
瀬野はどうすんの」

「んー、あとで食べる」
「最低。私がせっかく作ってあげたのに」


それを無駄にするだなんて、絶対に許さない。


「……やっぱり今食べる」

「当たり前でしょ。
もし食べないなら、もう二度と作ってあげない」

「それは嫌だよ川上さん、ごめん」
「…じゃあ私の隣に座って」


ここまで強く言ってようやく私から離れた瀬野。
本当に苦労のかかる。

その後、瀬野とご飯を始めた。


昼休みが終わる5分前に、私たちは教室へと戻る。
一緒にいることがバレたら面倒なため、お互い別々に。

先に教室に戻った瀬野には、もういつも通りの笑顔を浮かべていた。


本当に切り替えが早いというか。
作るのが上手いというか。

私の前では手加減などしないのだから大変だ。
早く救ってあげられる道を作らないと。


そのためにはまずアジトに行って───



「……あ」


そういえば私、大事なことを忘れていた。

アジトに行ったとして、“彼”がいるという確率は100ではない。