朝———
目覚めてすぐにわかる。
やってしまった感。
枕元にある体温計に手を伸ばす。
pipipipipi
37.4°c
よっしゃ、、セーフ
これならまだちょっと具合悪いで済む。数値上は。
でもこのだるさ、、
いやいや!大丈夫さ。
バレないように、恐る恐るリビングを覗き込む。
あれ、お母さんもういないのか。
朝ごはんにラップがかかっている。
置き手紙とともに丁寧に薬も置いてある。
おつかい行ってきて...
その下にずらずらと品物が書いてある。
赤字でデカデカと"cabで行きなさい"と。
cabはあんまり使わないよね、日本は。
とツッコミを入れて。
朝食をいつもどおり、無理やり口に入れて、薬を飲む。
そうでもしないと、空腹で薬を飲むと痛い目に合うのを知っているから。
買い物なんて、普通っぽくて良い。
そんなことを思いながら、玄関を出て気付く。
タクシー呼んでないし。
まあ、自転車で行けばなんとかなるか。
しばらく乗ってないけれど、乗れないことはないだろう。
はぁ、、はぁ、、
こんな坂でも結構きついのね。
風を切って走るのは気持ちが良かった。
でも、病み上がりなのにこんなに暴れてるのをバレたら、山瀬先生は大魔王になるだろう。
『パパ、赤だから止まれなのに。』
『うん、そうだね。』
子供の前で、当たり前のように赤信号で渡る大人たちに不甲斐なさを感じる。
あんな大人にはなりたくないな。
冷蔵庫のたくさんある店は鳥肌がたつほど寒い。素早く買い物を済ませると、そそくさと店を出る。
すると、誰かに見られている気がして辺りを見回す。
なんか変な人じゃないよね。
『こんにちはー。』
突然後ろから声をかけられて、飛び上がる心臓を抑えて振り返る。
なんだ、お巡りさんか。
『こんにちは。』
『中央署の渡辺と言います。防犯警戒で回らせてもらってます。』
『はい。』
聞き込みだろうか、なにか事件か。
『あのー危ないもの持ってないか、調べさせてもらっても良いですか。』
『えっ、私?』
私が疑われてるとは、職務質問というやつか。
でも、どのあたりが怪しいのか心当たりがない。
『はい。荷物見せてもらっていいですか。』
『はい、構いませんが、、』
こんな見るからに脆弱そうな私に声を掛けるなんて、おまわりさんも平和なのかな。
『ところで、その腕は?』
全てを悟った。私の腕だった、確かにやばそうな腕だよね。少しだけ涙腺が緩んだ。
『入院したりしてたので。』
『入院ですか?なんの病気で?』
自分を疑う目に、足がすくんだ。
ちゃんと受け答えをしないと。
『えっと、、喘息とか、、』
『喘息とか??』
入院した原因なんてあげればキリがない。色んなことが重なったんだから。あまり細かいところは言いたくなかった。
『あとは、、』
『なんですか?』
『言わなきゃダメですか?』
『はい。できれば。他に何かありますか?』
口は笑ってるけれど、目が怖い。
『ありません。』
もう勘弁してください。
『そうですか。僕も喘息持ちですけど、そんなに長く入院したことはないですね。』
何を言ってるの。重症度が違うことくらい、喘息の人ならわからないのだろうか。
『そうですか。』
『こうやって、声をかけられる心当たりは?』
『ありません。』
『動揺してます?』
私に鎌をかけているんだろう、何も出ないのに。
『あの、何が言いたいんですか?』
『あるなら正直に言ってもらえますか?』
きっと危ない薬のことだろう。
『何もありません。』
『パトカーに乗ってもらっても良いですか?』
————
『正直に話してくださいよ...』
『だから何をですか?』
『喘息だけで、この注射のあとはつきませんよ。』
それはあなたの経験なわけで、私には関係ない。
いつまで足止めされるのだろう。もう早く帰りたいのに。
『でも私は、入院してこうなったんです。それ以外に何がありますか。』
狭い車の中は息が詰まる。多分、熱が上がってる。
『あるんでしょ?』
『何もありません。』
『すごく動揺してるの分かりますよ。』
別の警官が言う。
動揺とかではなく、ただ、具合が悪く顔色が悪いだけ。私はいつものこと、そのたびに犯罪者扱いではあまりに無情ではないか。
『じゃあ、私はどうすればいいんですか。』
『今、薬入ってます?』
その言葉で、私のなかの糸がぷっつりと切れた。
『なんで、、私だって、つけたくて作ったんじゃない。』
『いや、本当のこと言ってもらわないと、泣かれても。』
涙が、手の甲に落ちる。
深呼吸しなきゃ。
このまま持ちこたえて。
お願い。お願い。
けれど、そんな願いは虚しかった。
ギュッと心臓がつかまれたように痛み、息がうまくできない。
発作の波が過ぎるのを待つしかない。"発作が出たときは、ゆっくり息をする。"
山瀬先生の言葉を思い出す。
『あの、本当に苦しいなら救急車よびますが。』
額に汗が流れる。
死ぬんじゃないかと言う恐怖感に襲われて、体がガタガタと震え出す。
もう耐えられない。
頭の中に鼓動と呼吸が響く。あと何回繰り返すのだろう。意識が朦朧とする。それでも、なんとか姿勢を保つ。聞こえる声が途切れ途切れになる。
『救急車呼びますね。』
『は....い。』
サイレンの音がだんだん近づいてくる。
こんなはずじゃなかったのに。
『とりあえず診てもらってください。』
犯罪者として見られるくらいなら、いっそどこかに消えて無くなってしまいたいと思った。もうトラウマを増やしたくない。
『救急隊の池田です。お名前言えますか?
...高島——
私、、死にますか、、
大丈夫ですよ、もう少し頑張りましょうね。
あまり状態が良くないので、話は後にしてもらえますか。———-』
警察官へ向けられた言葉はどこか鋭かった。
きっと、あとはなんとかしてくれる。
そうして、私は意識を手放した。