「あ、あのさ」


 まだ至近距離にある顔を恥ずかしくて見られず、私は手で自分の顔を隠しながらガタッと椅子ごと少し後ろへ下がる。

 あっさりと三栖斗の手が離れ、私は今の今まで触れられていた頬の熱を冷ますように今度は自分の手で覆った。


「でもまだ、いきなり結婚は無理だと思うの」

「ふむ」


 理由をわかっているのか、「どうして」とは訊いて来ない。


「バケモノ側としては別に問題ないんだが……君にも今は人間の立場としての事情があるだろう」

「そ、そう。……確かにそれはそう、その通り」


 心の準備ができていないという事を言ったつもりだってんだけど、言われてみれば私の年齢じゃ結婚自体はできても両親の許しが必要だし……いやいや! 大人まで先延ばしにしたとしても、いざその時になったらなんて説明すればいいの?


「君は、いずれ人間の世界では生きづらくなるだろう。君のおじい様のようにな」

「……」

「……私の希望として」


 三栖斗が人差し指を立てた。


「私たちバケモノは繋がりを蔑ろにしない。だから、君をバケモノたちの世界へさらって両親から君を奪うような事はしない。そこで……まず君のおばあ様に事情を説明しに行って味方につけたいのだが」

「私の祖母に?」

「おじい様の事もある。状況を飲み込みやすいだろう」


 そして最終的には、と言ってくるくると小さくその人差し指を回しながら。


「繋がりを大切にする以上、全て説明して、君が大人になったら人間の世界では暮らせないという事を伝えなくてはならないと思っている。その時に味方が身内に居れば心強いだろう?」

「それは……そうだけど」


 今更になって「そんな事本当にできるのか」と、不安になる。


「君は思っている事が何でも顔に出るな。私は極力、君の身内に不幸な思いをする人間を出したくない。それには必要な手順だ。必ずやってみせる」

「……うん。わかった。そうだね」


 予鈴が校内に鳴り響く。

 そろそろ教室に向かわないと。とカバンを肩にかけ、立ち上がる。


「はあ、なんか……どっと疲れた」

「君は隠し事ができないタイプだな。私たちの世界では苦労するぞ」


 部室を出て施錠しながら、三栖斗が笑った。


「そうそう。君、いずれ私たちの世界の住人になるのであれば、信用できる奴以外にはバケモノに本名を名乗るのはおすすめしない。名前だけでその名の持ち主をどうこうできる奴なんて珍しくもないからな」

「あ、そういえば前にみんなでやったTRPGでそんな事を言ってたシーンがあったっけ」

「本名はまあ、弱点になる事が多いんだ。だからあえて私たちのほとんどは自分だけの名前を持たない。銀河も色々な名前を名乗っているが、どれも本当の名前ではないし、どうせ核となる名前は持っていない」


 じゃあ私はなんと名乗ればいいの? と問うと「ん? 難しい事じゃないだろう」と彼が答える。


「君に特別な能力や特徴がないうちは、霧男の……ああ、今は妻ではないか。“霧男の婚約者”で問題ない」

「……こっぱずかしいから、できれば名乗る場面がないといいなあ」

「まあ、無理だろうな」


 部活棟を出て、渡り廊下を歩く。朝練と着替えを終えて教室へ向かう生徒たちがぞろぞろと同じ方向へ行く流れに乗りながら、薄霧が出ていることに気づいた。

 まだ少し、ドキドキしている。歩いているのに、ふわふわしているようで、膝の力が抜けて転ぶんじゃないかと怖いくらいだった。