「ごめん。わざわざありがとう。」

「今日、辛かったんじゃねぇの?
それに今日だけじゃない。春瀬は
周りに優しすぎるんだよ。」

鳴海くんの少し低い声。
それを聞きながら私は小さく笑う。

「捨てられたく、ないの。
優しくしなきゃ捨てられるから。
もう2度とあんなことには...」

そこまで言いかけてハッとした。
危ない、言っちゃうところだった。

「あんなことって?」

鳴海くんの問いを笑いながら誤魔化す。

「ううん。なんでもないよ。」

「そっか。話したくないならいいよ。
話したくなったら言って。」

私の気持ちを察して引いてくれた
鳴海くんの優しさが、嬉しかった。

「ほんとに、ありがとう。」

「ううん、いいんだよこのくらい。
んじゃ、切ってもいい?おやすみ。」

「おやすみ、鳴海くん。」
ぷつりと小さな音がして、
まもなく電話が切れた。

耳からスマホを離してふっと
自分の気持ちが軽くなっている
ということに気付く。

1人で抱え込んでいるときよりも
穏やかな気持ちになっていた。

「鳴海くんのおかげ、なのかな。」

「きーちゃん、ご飯できたよ。」

「はいはーい。」

お母さんの呼び掛けに返事をして
私は夕食を運ぶためにスマホを
机の上に置いて、椅子から降りた。

『おやすみ。』

そう言った鳴海くんの声が、
耳の奥に残っていた。
次の日。

朝の横断歩道にまた引っ掛かった。
これで2日連続。

心の中で記録を更新しながら
1人で思わず苦笑い。

横断歩道を待ってる時間って
とてつもなく無駄なものに思えるけど
車だって赤信号の間は止まって
無駄な時間を過ごしてる。

お互いに最低限の犠牲で済んでいる
のだから横断歩道というものは
人が安全に生活をしていくための
最適解の1つなのかもしれない。

っていうのは勝手に考えた
なんちゃって仮説なんだけど。

こういうことを考えているから
周りからよく論理的だと
言われるのかもしれない。

「希衣ってロジカルだよねぇ。」

なんて乃南から言われたことも
あるけれど、それが私なんだから
改善する必要はないと思ってる。
横断歩道の信号が変わるのを
ぼんやりしながら待っていると、
すぐ横のバス停にバスが止まって
夢葉が降りてきた。

「おはよ、夢葉。」

声をかけると、彼女は手を振りながら
こちらに歩いてくる。

「おはよ~。」

このままだと、なんとなくの流れで
一緒に教室まで歩いていく
ってことになりそうだ。

ここは挨拶だけしてサッと
早足で歩いていくべきかな。

なんて考えていると、

「今日、数学あるよね。嫌だなぁ。」

夢葉の方から話しかけられて驚いた。

向こうから話しかけてくるなんて
そんなの計算外だ。

「ん、そうだね。私も嫌かも。
午後はご飯の直後に体育だし。」

「キツいよね!あーあ、憂鬱だ。」

他愛のない会話。

平和な日常。

これが私の望んでいたもの。

そんな風に思えて少し嬉しくなる。
そのまま教室まで話しながら行って
教室に入ると、そこには既に
朝練がある新体操部の凜那と千歳が
席に座って駄弁っていた。

夢葉も所属は新体操部。
うちの新体操部は、全国出場経験も
ある強豪部活だから朝練も
しっかりやっているらしい。

きっと、特にすることもないのに
早く学校に来てるのは私だけだ。

「凜那、千歳、おはよ!」

夢葉が声をかけると、2人は
パッとこちらを向いてそれから
驚いた様な表情になった。

「おはよ、夢葉。希衣と来たの?」

凜那が驚いた表情のまま尋ねる。
私は苦笑して言い訳をした。

「偶然、下で会ってさ。なんとなく。」

私の言葉に夢葉も頷く。

「そうそう、ほんとにたまたま。」

その瞬間、千歳が口を開いた。

「ひゅー、らぶらぶぅ!」

予想は、してたけど。
「やめてよ~。そんなこと言ったら
夢葉が可愛そうでしょ?」

私は明るく笑いながら言う。

相手を嫌な気持ちにさせたくなくて、
自分で自分を傷付けた。

「夢葉だって相手が私なのは
嫌でしょ、絶対。無理だってば。」

自分の言葉で傷付いて、
私はなんでこんな馬鹿らしいことを
やってるんだろうなんて思う。

「ま、それもそうだよね。
相手が希衣なのは嫌だわ~。」

うんうんと頷く凜那を見て
また心がキューッと締め付けられる
ように痛くなってきた。

「もう、2人とも好き勝手言って~。
ほら。早く朝練に行こうよ。」

夢葉の言葉に2人が頷いて、
3人は教室から去っていく。

その姿を曖昧に笑いながら見送った。

「馬鹿だ、私。」

1人になった教室で、
俯いてそっと呟いたとき。

「そんなことないと思うけど?」

パッと後ろに振り返れば、
そこには鳴海くんが教室のドアに
もたれ掛かるようにして立っていた。
「......鳴海くん。」

聞かれちゃった。

私の本音。

クラスでは誰にも見せない裏の顔。

知られちゃった。

人気者のクール王子に。

「ねぇ、春瀬。」

彼は私を呼ぶと、こちらに向かって
すたすたと歩いてきた。

ばさっ。

「これ、着て。」

彼は自分の部活用のパーカーを
私に羽織らせると、そのフードを
しっかりと被らせた。

「顔、見えないから。
好きなだけ泣けばいいよ。」

ふっと微笑みを浮かべながら言う
彼に言われるまま、私の瞳から
ぽたり、ぽたりと涙が零れ落ちていく。

「ありがとう。」

そう小さな声で言えば、
彼に耳許で囁かれた。

「また、電話してよね。」
その言葉に心が揺らぐ。
それから遠慮がちに頷いた。

「ん、いいこ。」

彼はパーカーの上から私の頭を
くしゃっと撫でると部活用のバッグを
片手に持って男子バスケ部の朝練へ
ふらっと出掛けていく。

彼のすらっとした後ろ姿に
思わず見惚れてしまったのは
ここだけの秘密だ。

廊下に出てその後ろ姿が角を曲がって
見えなくなるまで眺めていると、
後ろから声をかけられる。

「そんなとこで何してんの?」

この声は、侑紀だ。

「んーん、なんでもない。」

返事をしながら振りかえって
不思議そうな侑紀に笑いかける。

「あそ。てかそのパーカーさ、
誰のやつ?男バスのパーカーじゃん。」

「え、えっと。いや、その。」

鋭い質問にあたふたしていると
侑紀はくすっと笑った。
「それ、クール王子のでしょ?」

クール王子というのは、
鳴海くんのファンが鳴海くんを
呼ぶときのあだ名。

侑紀はゲームにしか興味ないから
ファンではないらしいけど、何故か
クール王子という呼び方を気に入って
使っている。

もっとも、鳴海くんと
実際に話したことはないらしいけど。

「な、なんでそう思うの?」

侑紀......鋭すぎる。
名前まで当てるなんて。

「だって男バスは胸んとこに
名字の刺繍が入ってるからさ。」

「えっ?!」

下を向くと、胸のところに筆記体で
『Narumi.A』と刺繍がしてあった。

侑紀はどこか嬉しそうに呟く。

「希衣、なかなかのやり手だねぇ。
あのクール王子からパーカー
もらうとか難易度高すぎるから。」

そんなことないよ、と言おうとして
私はあることを思い出した。

そうだ、鳴海くんは私以外の
人には超絶冷酷キャラなんだった。