アンジェリ―ナは、宙空に自分の手をかざす。薄闇に光を灯したかのごとく白い指先は、ほっそりとしていて華奢だ。だが、アンジェリ―ナとして十八年生きてきた彼女はすでに知っていた。この手は、前世とは違って驚くほどに器用だ。
アンジェリ―ナがひとたび刺繍を施し展覧会に出品すれば、たちまち社交界の話題となった。どこぞの貴族が、高額で買い取りたいと申し出てきたことも、一度や二度ではない。
刺繍だけではない。絵だって画家並みに精密に描けるし、華麗な指さばきでピアノの難曲もこなせた。
(よし、決めたわ)
アンジェリ―ナは立ち上がると、ドアを開けて「ララ!」と階下にいるララを呼んだ。
「果物、ですか?」
果物を買ってきて欲しいというと、ララは露骨に顔をしかめた。
塔に幽閉されるにあたり用意した荷物の中に、カービングに向いていそうなナイフは仕込めたが、さすがに鮮度の大事な果物は用意できなかったのだ。
「果物なんて高級品、手に入るわけがないじゃないですか」
ララの言うことはもっともだった。この世界で、果物は高級品とされている。
まず、種類が少ない。
前世と共通しているのは、リンゴくらいなものだろうか。あとは前世で見たことがあるようなないような果物が、数種類存在するだけだ。
「そこを、なんとかできないかしら?」
「いくらアンジェリ―ナ様の頼みでも、今回ばかりは無理ですよ。この辺りは年中曇りで、雨も降らず、ただでさえ農作物不足に苦んでるんですから。市場でも、果物は見たことがありません。遠出すれば手に入るかもしれませんけど、私には無理です」
アンジェリ―ナは、シュンと肩をすぼめた。
この最果ての地に、いわゆるタクシーのような辻馬車は存在しない。馬に乗れないララが買い物に行くには、歩くしかないのだ。
「じゃあ、トーマスに頼もうかしら」
「無理ですよ。彼は、一応この塔の監視者ですよ。監視者が持ち場を離れてお使いに行くわけがないじゃないですか。あきらめてください」
はっきりと言い切ると、「洗濯中なので、失礼します」とララは部屋を出て行った。
ひとり取り残された部屋で、アンジェリ―ナはがっくり項垂れる。
「あきらめるしかないのかしら……」