倉橋の死から、7年が経過した。
その間、真辺たちは日々火消しに追われる生活をしていた。
真辺の部署は、人の出入りはそれほど多くない。多くないが、入ってくる人間が少ない。
20名を少し超えるくらいで推移している。
「ナベ」
「あ?あぁなんですか?俺は、明日からの休暇の為に、一番見たくない人の顔を見るのですか?」
「お前、何言っているかわからないぞ?休んでいるのか?」
「休み?休みなんていついらいですか?俺を避けて通っているようですよ」
「あぁ新しい仕事じゃない。お前が希望を出していた人員の話だ」
「なんだ、それなら早く言ってくださいよ。それで?」
篠原は、真辺を睨んでから、一枚の履歴書を渡してきた。
「お前の所で預かって欲しいけど大丈夫か?」
「旦那。わかっていますか?俺の所は、火消し部隊ですよ?」
「少し問題が有るからな」
「問題?」
「この前の話は聞いたか?」
「えぇ聞きましたよ。あれは、教官が悪いですね」
「そういうお前だから頼みたい」
「そういう言い方ということは、教官の1人ですか?」
「あぁ正確には、1人だけ残った教官だな」
「そりゃぁ確かに、他の部署じゃ扱えないですね。爆弾を中に抱え込むような物ですね」
「あぁそうだ」
「わかりました。最終的には、会って話を聞いてからですがいいですよね?」
「あぁもちろんだ。今、彼女を待たせている」
「待たせている?どのくらい?」
「あぁ彼女が自ら望んだことだ。待ちたいと言っていたぞ。青い鳥でも来てくれるのを待っているのかも知れないな」
「笑えない冗談はやめてくださいよ。でも、わかりました。それで心が残っているようなら、俺が鍛えますよ」
「頼む」
「そうだ・・・。名前は?」
「石川だ。今年3年目だ」
真辺は、渡された履歴書を丸めて、ポケットにしまった。
読むつもりは無いのだろう。
石川は、元々は開発部に所属していた。
真辺の会社は、ここ数年で大きく変わった。社長が死んだのが一番の理由だろう。
社長は、副社長がスライドする形で社長になった。
そこまでは良かった。しかし、石黒が先代社長の息子を担ぎ出して、副社長にした。開発部の全権限をバカ息子に集中させたのだ。真辺たちの部署は副社長付きという部署だったので、そのまま社長付きに変わった。
そして、社長になった元副社長に変わって、倉橋の元上司が副社長に就任した。
営業部と開発部が二つに分かれる事になる。開発部は、大手SIer出身の部長たちが占める事になり、完全に子会社のようになってしまっている。営業部は独自に動いては居るが、仕事の流し先が社内ではなく、協力会社になってしまっている不思議な状況になっているのだ。
真辺たちの部署は社長付きのソリューション開発部という事になっているが、内外には火消し部隊や真辺組と説明したほうが伝わりやすい。
「旦那」
「あ?」
「『あ?』は無いでしょう『あ?』は!」
「すまん。それでなんだ?」
「石川ですが、了承しているのですか?」
「している」
「そうですか、高橋を・・・。いや、小林だったな。あぁ面倒だな。高橋に話をさせてもいいですよね?」
「あぁ任せる」
真辺は、殺された佐藤も殺して自殺した田中も正直興味はない。真辺の興味は、石川という同期が新人教育の最中に殺された事実をどう考えるかを知りたいと思っていた。
篠原の話から、乗り越えていると思えるのだが、実際は会ってみないと判断できない。
篠原に言われた部屋の前まで来ている。
少し不思議に思った。この部屋は、ある部署があった部屋だ。俗称はBB=ブルーバード=青い鳥。石黒が作らせた部署で、心が壊れた人間を押し込めておくための部署だ。そして、石黒や開発部の部長たちは、この部署は、SIerで使えなくなった者を引き取って人員整理の手伝いをする事で、仕事を得ていた。
この部署が解体されたのは、SIerからの資金が途絶えたからだ。
正直、真辺は開発部の新人教育をよく思っていなかった。
詰め込みというよりも、応用力がない者ができるだけだと思っていて、何度か余計な事だとわかりながら、新人教育に関して意見具申をしていた。却下はされていた。
真辺は、石川の境遇には配慮するが、同情するつもりは無いようだ。
「はい!」
真辺はドアをノックして部屋に入った。
部屋には、緊張した面持ちで女性が1人待っていた。
「(3年目という事は、25-6だな)石川さんですか?」
「はい。石川です。真辺部長。よろしくお願いします」
石川は、深々と頭を下げる。石川は、ここで真辺がNOと言えば行く場所が無くなってしまう。そのくらいは解っている。自分がやらかしたわけではないが、やらかした人間の方に属していたと思われるのは間違いない。元の部署に戻る事はできない。
だから、石川は必死になっていたのだ。
「篠原さんから何を聞いたかわかりませんが、私の事を部長と呼ばないようにしてください」
「え?あっ。わかりました」
「よろしい。それでは、いくつか質問しますがよろしいですか?」
「はい」
「最初の質問ですが、会社を辞めるという選択肢を選ばなかった理由は?」
真辺は、最初から答えにくい質問をした。
この質問にどう応えようが実際には関係はないのだが、この質問をしないのはおかしな話だということも解っていた。
「負けたくなかったからです」
「誰にですか?」
「自分にです」
「それで?辞めなければ、”負けない”のか?」
「いえ・・・。わかりません。わかりませんが、あんな人を見下していた人間の為に、私が会社を辞めるのは違うと思ったのです。だから、辞めなければ、私の負けではありません」
「そうか、でもその選択肢で、地獄を見る事になるかもしれないぞ?」
「かまいません。前の部署でも、新人研修でも、私は自分で選んでいません。でも、今は自分で選んでここにいます。だから、選んだ結果地獄だったとしても誰も恨む事はありません」
真辺は少し面白くなってきた。
この目の前に泣きそうな表情ながら、自分を睨むような、挑むような目つきで見ている人間を鍛えてみたくなってきていた。
「俺たちの部署は、火消しを中心にやっている」
「はい。聞き及んでいます」
「即戦力が必要だ。もっと言えば、即戦力になるくらいじゃなければ必要ない。石川さん。貴女が俺たちに提供できる戦力はなにかありますか?」
「・・・。ありません。ありませんが、戦力にならない状況を提供できます」
「ほぉ面白いですね。どういう事ですか?もう少し説明が必要だと思いますが?私に解るように説明できますか?」
真辺は、この石川の答えで100点を出してもいいと思っていた。
自分が期待した以上の答えを貰ったのだ。
石川は必死に説明しているのだが、自分で何を説明しているのかわからなくなってしまっているようだ。
それでも、必死に訴えている。自分が何もできない事を把握して、それでも何もできない事の利点を話しているのだ。
ドアがノックされる。
「ナベさん!」
「おっ高橋。丁度良かった。ちょっと面倒を見て欲しい奴が居るけど、大丈夫か?」
真辺の言葉を受けて、石川は少しだけ拍子抜けする表情をして、ひとまずは真辺の部署に向かい入れられた事がわかったのだろう。嬉しそうな顔になる。
「ナベさん。若い子を地獄に誘うの?」
「俺は辞めておけと言ったのだけどな?石川さん。最後の確認です」
「はい!」
「貴女には、2つの選択肢を与えます。どちらを選んでもいいです」
「はい」
「一つは、このまま部屋を出て何もかも忘れて会社を辞める。もう一つは、今ここに来ている高橋についていってこいつの旦那からユーザサポートやマニュアル作りやテストの方法を学んだあとで山本からサーバやネットワーク周りの事を、井上から開発環境や言語的なことを吸収する。どちらを選んでも構いません。辞める場合でも、篠原さんが次の就職の世話をすることを約束します」
真辺が提示した条件は、どちらを選んでもかまわないというレベルの物ではない。
提示された石川は、迷わずに、高橋にお願いしますと頭を下げた。
この日から、石川の本当の意味での新人教育が始まった。
真辺は、高橋に、しばらく石川に付いているように依頼した。
高橋は、小林と結婚して、現場を離れた。営業部に移動になったが、営業部付きながら真辺の部署に所属するという少し変わったポジションに居る。石川も、真辺の所で預かるのは決まっているのだが、正式の決定までは、営業部預かりになっている。その意味でも、高橋が面倒を見るのが適当なのだ。
石川は、高橋と一緒に小林からユーザサポートに関する教育を受けている。現場にも連れ出している。小林も、真辺から、全部教え込んで欲しいとお願いされていたのだ。それは、山本も井上も同じだ。
石川は知らなかった。
これから自分に待ち受ける運命を・・・。
真辺は知っていた。
火消しに必要な事は、飛び抜けた実力や技術では無いことを・・・。
篠原は忘れようとしていた。
真辺という人間が自分の為になにかをする男では無いことを・・・。