「ナベさん。私たちいつまでここにいればいいのですか?」
「さぁ?」

 真辺は、篠原から状況を聞いているので、予測はついている。
 今、ここに居る者たちが会社にでかけたりしたら、待ち構えているマスコミの絶好の的になってしまう。

 マスコミが会社の前から居なくなるまでは、保養所で過ごす事になりそうだ。

「ナベさん。倉橋さんのお葬式は?」
「本人の希望で密葬になった。会社としての告別式は日を改めてやる事になるようだ」
「誰情報ですか?」

 高橋も情報を貰っているようだ。

「俺は、篠原さんだな」
「私は、副社長から聞きました」

 真辺の会社は小さいと言っても、社員数が400名のIT企業としては大きい部類に入る。大手を除けば、独立系ではかなり大きいといえる。
 400名の人間が集まれば、派閥が産まれる。
 派閥は、いくつかあるが、面倒なのは専務派だ。今は、外の会社に詰めている、社長の息子を呼び戻して、社長にしようとしている。大手のSIerに努めているので、それなりの人脈は期待できる。

 もうひとつの派閥が倉橋や真辺たちを高く評価している現場叩き上げの副社長が所属する派閥だ。
 倉橋や真辺たちが、自由に仕事ができたのは、この副社長の力に寄る所が大きい。副社長の下には、倉橋の元上司が居て、必要性を訴えている。

 しかし、その倉橋が死んでしまった事で、部署の解体を叫ぶ声が大きくなっている。
 特に、専務派閥の人間からの声が大きい。倉橋の部署を赤字部署だと言っているのだ。同調している株主も多く、このままでは解体は間違いない。
 真辺は、解体されたら、そのまま会社を辞めようと考えていた。
 篠原にもその旨は伝えてある。

 真辺たちが保養所に来てから1週間が過ぎた。
 会社の前に居たマスコミの姿も見えなくなった。

 真辺たちは、来週の頭から会社に出てくる事になったのだが、真辺を除く部員は、自宅待機が言い渡されている。
 会社に出てきても、部署がどうなるのかわからない状況なのだ。

「篠原さん」
「真辺。少し待ってくれ」

 真辺は、会社に来たら、篠原の所まで来るように言われていた。

 10分くらい待っただろうか、所在なさげに窓の外を眺めていた真辺の隣に篠原が立った。

「悪いな」
「いえ、暇ですからいいですよ」
「そうか、その暇な時間も終わるからな」
「え?辞めていいのですか?」
「なぜそうなる?」

 真辺は篠原の真意を測りかねていた。篠原の動きは知っている。親切な人が教えてくれていた。矢面に立ってくれたのだ、本来真辺の役割を変わりにやってくれたのだ。

「篠原さん。部署は解体ですか?」
「そうだな」
「それじゃ、俺は必要ないですよね?」
「違う。違う。話を最後まで聞け」

 篠原が説明したのは、真辺と高橋と残った6名は、一時的に倉橋の部署を抜ける。
 専務派の連中が部署を潰すつもりで動いている、潰された時に倉橋の遺伝子を持つ人間たちを他の部署に吸収されないように、営業部で一時的に預かる事になったのだ。

「わかりました」
「そうか、ナベ。解ってくれるか?」
「えぇ篠原さんに貸しが出来たのですね」
「・・・。わかった、わかった、何が望みだ?」
「3名ほど、引き抜きたい者が居ます」
「うちの会社か?」
「いえ違います」
「そうか来てくれそうか?」
「俺の名前を出せば、考慮はしてくれると思いますが、表から堂々と引き抜いてほしいのです」
「うーん。わかった。今の会社と名前を教えてくれ、あと得意分野を含めた諸元が知りたい」
「わかりました。後でメールしておきます」
「それが条件だな」
「そう考えて貰って問題ないです」
「わかった。ナベ。頼むな」
「面倒事は嫌いなので、篠原さんに任せますよ」
「あぁ任せろ。それで部署は?」
「安心しろ、お前と高橋とあと6名でスタートだ」
「そうなると、火消しは無理ですね」
「そうだな。何ができそうだ?」
「最初は、社内の問題を片付けましょうか?営業のツールを作ったりしてはどうでしょうかね?」
「どのくらいだ?」
「引き抜きが完了するまでの6ヶ月くらいですかね?」
「わかった、それをベースに交渉してみる」

 翌日、専務から倉橋さんの部署が解体する事が発表された。
 部署に居たメンバーの移動も正式に発表された。

 真辺と高橋と6名は、新設された、営業部付きの『インフラ担当』部署を設立して移動となった。真辺が部長を務める事になった。

 その人事を好意的に見る人間たちは、真辺たちが『壊れた』と思った。倉橋の死を目の前で見て、現場復帰が難しいと思われている。そこで、内勤の部署を作って、順番に辞めさせられるのだろうと思ったようだ。
 苦々しく思う人たちも居る。真辺を引き抜こうと思っていた部署の部長達だ。真辺の様な男は得難い人物だと思われている。能力面だけでも、使える言語や端末の数は社内で一番多い。ハードウェアから運用までの経験がある。業務履歴を出せば、大抵の仕事で役割が与えられるだろう。長期で囲いたくなる客先も出てくるだろう。

 部署の立ち上げは、6月1日と決まった。
 それまで、真辺たちは基本的には、自宅待機となる。

 真辺は、定時で会社を出て、郊外に購入した自宅に向かっている。
 天涯孤独。では、なぜ家など買ったのか?
 答えは簡単だ。それが楽しそうだったから。今の会社にはいる時の条件で、真辺が自分で作ったツールやサービスを個人的に売っても良いことになっていた。そして、真辺が開発した様々なツールやサービスが、毎月家のローンと車のローンと毎月の飲み代を稼ぎ出すくらいになっていた。
 真辺には、残業代がしっかり振り込まれてくる。毎月100時間を超える残業代だ。
 それらの資金を使って、家を魔改造し始めた。また、ネット上での質問に答える事で、名前が売れて、出版社からIT関連の連載と書籍化の打診も受けた。書籍化はまとまった時間が無いために断ったが、毎月の連載は承諾した。
 ネットでの知り合いも増えていた。コミュニティにも参加して居る。そこで知り合ったのが、引き抜きたい3名だったのだ。以前から、一緒に仕事できたら嬉しいとは言われていた。真辺は、社交辞令だと受け取っていたが、3人とも真辺側の人間なのだ。金と得るのも大事だけど、それ以上に楽しい事や新しい事をやっていたいと思っているのだ。

 真辺は最寄り駅から歩いて20分くらいの自宅に向かう。

 河原を通るコースと商店街を通るコースがあり、距離的にはそれほど差がない。
 真辺は、河原を歩くコースを好む。この日も河原を歩いていた。

「みゃぁみゃぁ」
「ん?」

 周りを見てみるが、猫が居る雰囲気ではない。
 気のせいかと思って、立ち去ろうとしていた。

「みゃぁみゃぁ」

 確かに聞こえる。
 河原には、草が生い茂っている。
 その中かもしれないと思い。真辺は、声がした方向に歩いてみる。5mほど進んだ所に、二匹の子猫が身体を寄せ合って鳴いている。まだ1歳くらいだろうか?

「お前たちも置いていかれたのか?」
「みゃぁ」

「俺の言葉が解るのか?」

 可愛く首をかしげる子猫。

「ハハハ。そう言えば、カズの奴が猫飼いたいとか言っていたな。奴に自慢するのにいいかもしれないな」
「うみゅ?」

 茶トラの子猫が二匹。
 真辺の足元まで来る。

「わかった。お前たち、俺の家に来るか?」
「うみゅ」
「本当に賢いな」

 真辺は、子猫を二匹拾った。
 兄妹猫のようだ。拾ったその日に、動物病院に連れて行って、検査をしてもらった。少し栄養が不足していると判断されて、2~3日病院に預ける事になった。その間に病気の検査もしてもらう事にした。蚤の除去もお願いした。
 真辺は、自宅待機になった期間に、子猫たちの部屋を確保して、必要な物を買い揃えた。

「俺が居なくても二匹で居れば寂しくないだろう?」

 4畳ほどの車関連のパーツが置かれていた部屋を片付けて、子猫用の部屋にした。
 動物病院から帰ってきた兄妹猫に、真辺は同級生がつけると言っていた名前「(カイ)」「(ウミ)」と付けた。24時間様子が見られるように、Webカメラも取り付けた。丁度動画配信が取り沙汰され始めた事で、真辺も実験的に動画配信を行ってみた。この広告収入で、兄妹猫は自分たちのエサ代とトイレ用の砂代とエアコン代にはなっていた。自分たちで稼いでいる事になる。

 朝出勤して、定時には帰る生活が続いた。
 真辺にとっては、前の会社に入社した時に研修を受けている時以来の事だ。

 そんな生活が5ヶ月ほど続いた。

「ナベ!」

 そんな時に、篠原から声をかけられた。
 休暇の終わり。真辺にはそんな予感があった。

「なんですか?」
「お前の部署に入る奴らを紹介したい」

 本当に、休暇が終わったようだ。
 会社で一番広い会議室に連れて行かれる。

 そこには何度か朝まで飲んだ事がある3名が座って待っていた。
 いつも会う時のカジュアルな服装ではない。しっかりとスーツを着込んでいる。

 真辺は、篠原が自分の名前を出さないで引き抜いてきたくれた事が嬉しかった。
 3人の表情を見ればそれが解る。俺は、3人に会社名を伝えていない。風のうわさ程度に、俺の上司が過労死した事は伝わっていたのだろう。

「ナベさん?」「え?なんで?」「真辺さん?」

「山本、井上、小林。ありがとう。篠原さんからどう聞いているのかわからないけど、この業界に存在が許されない部署だぞ?今ならまだ会議室を出ていくだけで、日々の安定した暮らしと、楽しくはないかと思うけど、安定した仕事が手に入るぞ?ここに残れば、こき使われて、最後は過労死が待っているぞ」

 3人とも驚いて立ち上がったが、真辺の言葉を聞いて、椅子に座り直した。

 真辺は、立ち上がって3人に握手を求めた。
 3人も立ち上がって、真辺が差し出した手を握った。

「ようこそ、地獄の一丁目へ」

 その後、篠原は会社の内外から人を集めた。
 1ヶ月後に部署として正式に立ち上がる事になる。

 倉橋の作った部署は、火が付いた現場での言語の違いや文化の違いによる問題を解決する部署だった。対外的には火消し部隊だと思われていたが、積極的に火消しに関わる事はなかった。結果的に火消しに巻き込まれる事が有っただけだ。

 しかし、真辺と篠原が作った部署は、積極的に火消しに関わる。本当の意味の火消し部隊なのだ。

 こうして、業界に存在してはならない部署。火消し専門の部署が立ち上がる事になった。