ー遡る事2ヶ月程前ー



「探偵より、報告がございました」


仕事から戻った俺に圭介が少し神妙な面持ちでそう話を切り出した。


「…何だって?」


目を落としていたタブレットから顔を上げて見つめ返す。


「…まずはこれを。」


そう言って机に置かれたのは

『ご報告』と書かれた、A4の数枚の紙の束。


捲ったそこには、佐野智樹に関する事、佐野家に関する事…そして、咲月に関する事が羅列されてた。


「これ…。」


思わず少し息を吸い込んだ俺の横に、静かに置かれる、いつものコーヒー。


「どうやら、『佐野智樹』の鳥屋尾を避ける原因は“そこ”にありそうです。」

「……。」



“佐野智樹は、鳥屋尾咲月の借金を肩代わりしている”


「…元々、鳥屋尾家は小さな会社を営む家だったようですが、倒産したそうです。
その後、社長である鳥屋尾の父親が死亡し、借金はその妻が背負う事になったみたいで、古い友人であった、佐野智樹の父親が自分が代わりに返済すると名乗り出たと。
そこから、鳥屋尾の母親、そして鳥屋尾自身がメイドとして、佐野家に入ったそうです。」


圭介の静かで適切な言葉が頭の中を駆け巡る。

…嫌でも。


「早期に亡くなってしまった為に、それが佐野智樹へと引き継がれたわけですが、算段として佐野智樹の父親がその身にかけた保険とある程度の遺産で返済出来るはずであったんだと思いますが…思いがけず、借金が膨らんでいた。」


捲ったそこに書かれてた、もの。


“鳥屋尾家は、銀行の他に、“他者”からも融資を受けていた。”


紙を持つ俺の手に力が入り、少し、グシャリと紙の端にシワができた。


「会社を設立する際、当時交流のあった知り合いに相談をしていたらしいです。そして、融資を受けた。
しかし…融資をしたその人がほぼ同種の会社を1年後に近隣に立ち上げて…そのあおりを受けたようですね。」


羅列された言葉と圭介の話に、嫌な予感しかなくて、息苦しさが一気に襲う。
それでも…目線は、報告書から逸らせなかった。


“融資をした人物:谷村 佐治郎”


…じいさん。







「佐野智樹は銀行への返済は完了していまして、後は、佐治郎様への個人的借金だけ。それが一億強位までは減ってはいるそうです。ただ、額が額だけに、返済は滞っているそうで…。」

「…父さんはこの事、全部わかってるの?」

「いえ、どうやら、佐治郎様がひた隠しにされていたみたいで。お亡くなりになられても尚、これを知っているのは『ごく一部の人間』だそうです。」


鼓動が高鳴って、脈が早く駆け巡る。
それは、その先の答えが何となくわかるから。


「“非公式”なものみたいですから。『目的』が。けれど、鳥屋尾の母親は、結局、佐野智樹の父親を頼った…といったところでしょうか。」


…真実なんて、こんな書面や話じゃわからない。

それは、どうあったって、当人同士にしか分からない事だから。


けれど、予測はつく。そして、それはきっと当たっている。


「…圭介、いいよ。ハッキリ言って。」


口を一度閉ざした圭介の瞳が憂鬱の色に染まり、少しだけ揺れた。


「うちのじいさん、自分のモノにしたかったんでしょ?咲月の母親を。だから話に乗っかるフリして罠にかけ、陥れた。」


目の前に突きつけられてるものは、紛れもない事実で。


自分の“欲”の為に、多くの人の人生を狂わせ不幸にした


“谷村家を創り上げた、偉業者”の姿。



『瑞稀、お前は賢いな。きっと立派な人間になれるぞ!』


じいさん…あんたの言う、『立派』って何だったんだよ?







『瑞稀。人を幸せにする手段はひとつじゃないぞ』




じいさんは、だいぶ前に結構若くして亡くなった。

けれど、小さい頃はよく、俺を膝に乗っけて、新聞を読んでいて、父さんなんかより、ずっと一緒に居た気がする人。


『人を幸せにするためには、沢山のことを考えねばならん。
つまり、考えられる人間にならねばならんのだ。』


じいさん…あなたは、どうやって、幸せにしようとしてたんだよ、咲月の母親を。


沢山の人を悲しみに巻き込んで…。
それでも、『幸せに出来る』という算段があったのか?


手にしている紙をまた一枚捲った。



『佐野家当主と鳥屋尾咲月の母親が交わした約束。
“借金完済した時点で佐野智樹と鳥屋尾咲月が仲睦まじいならば、結婚を許す事”』


「…決別は彼が鳥屋尾の性格を知った上での事かと。
彼女の性格からしたら、そんな事情があったら、何が何でも自分が返すと言い出すでしょうから。
それを避けるために決断した事ではないかと。」


全てを売り払っても、あの屋敷だけは残した佐野智樹。


きっと…『いつか』を夢見ての事。


「私に彼女を預けたのは…。」


少しだけ、圭介が寂しい笑みを浮かべた。


「智樹の意図は無いって…偶然だって、俺は思いたい。」


…じいさん。
正真正銘、俺はあなたの孫だわ。



こうやって、無理矢理、過去を掘り起こして、大切な友人である、圭介にまで傷を背負わせて。


挙げ句、佐野智樹から咲月を取り上げているんだから。




少し瞼を伏せて報告書をデスクに置いたら、それを丁寧に茶封筒へと戻す圭介。静かにコーヒーカップを下げると、今度はカモミールのハーブティーを差し出した。


その香りを吸い込んで、背もたれに身体を預けた。


借金を…佐野智樹がすぐに返済出来る術はある。
そして、それをする事で咲月がこの件について知るリスクはかなり激減する。


だけど…それが正しいのかは、全くわからない。


「…瑞稀の思う様にしたらいいと思うよ。」


黙ってカップの水面を見つめていた俺に、圭介の優しい声が振って来た。


「今、これが分かったからって、明日、結論出せってことじゃないでしょ?」

「…ごめん。」


圭介は俺の謝罪をハハッと笑い飛ばして眉を下げる。


「や、別に瑞稀に謝られる様な事された覚えねーし。まあ…人生色々あんだなって勉強にはなったけど。」


ワゴンを片付けて、ドアへと向かい、ドアに手をかけまた振り向いた。


「だけどさ、誰がどう見ても、明らかな真実が一個だけあるって俺は思うかな。」


首を傾げた俺に唇の片端をクッとあげ、微笑む。


「“咲月ちゃんは、瑞稀が好きでしょうがない”」

「…や、それはさ。」

「あ、これは失礼を。『お互い様だ』って言う今更で下世話な話でございましたね。」


ハハッてまた楽しそうに笑うと、反論する間もなくドアの外へと出て行く圭介。


「あ~…もう。」


圭介が立ち去った後
不謹慎にも、不覚にも、熱を持った顔を掌で覆って、背もたれにまた身体を預けた。


『瑞稀様…好きです。』


遠慮がちに微笑む咲月が瞬時に浮かぶ。

思わず天井に向かって翳した掌に温もりが蘇り、無償にそれが恋しくなってギュッと拳を握りしめた。



咲月…ごめん。


少しだけ、時間を頂戴。
俺の中に生じてる『迷い』を断ち切る時間を…。