◇◇



爽やかな気分で迎えた朝は、コーヒーを淹れる手も、いつもよりスムースな気がして気持ちが余計に軽くなる。

親愛なる主人は眠気の残る眼差しを柔らかい笑顔で包み、俺の淹れた濃いめのブルーマウンテンを「ありがとう」と手に取った。

一口コーヒーを口に含んだ彼は、長椅子にその身をゆっくりと預け、一呼吸おく。俺の名を呼ぶ声は平淡で、真っすぐ見つめる煌めきの多い瞳の奥は静かな湖の水面の如く穏やかだ。


「咲月を見つけて来たのは薮だよね。どうやって存在を知った?」



『薮』………ね。

何が何でも『話せ』って?


瑞稀が咲月ちゃんに興味を持った時点で、聞かれる事は予想の範疇には入っていたけれど、意外と早かった気がする。きっと咲月ちゃんは周囲が思うより、正直で頑固なんだろう。瑞稀に失礼を承知で自分の身の内を明かしたに違いない。


ミネラルウォーターをグラスに注ぎ、コーヒーカップの横に静かに置いた。


まぁ……瑞稀に嘘を言ってもしょうがないもんな。

はなからそんなつもりは毛頭ないわけで。ただ、今まで話さなかったのは、咲月ちゃん自身に興味を持たないまま何気なく瑞稀の耳に入る事を避けるため。

それは、“あの人"に対する非礼になると、俺の中で判断をしたから。その位、咲月ちゃんはあの屋敷で大事に育てられて来たんだ。


『圭介、お願いできないかな…。メイドとしてはかなり優秀だから。』


……智樹に頭を下げられたからね。


ワゴンを手で押すと僅かにギイと音を立てる。その横をすり抜け、彼の机の前に立った。


「鳥屋尾は高校時代の友人からの紹介でして。」
「友人…」
「はい。その友人の屋敷で元々はメイドをしておりましたが、彼の代に引き継がれる時、彼の父親が巨額の借金を抱えてる事が発覚し、従業員を全員解雇したそうです。」
「………。」


咲月ちゃんが智樹に会いに行ったであろう事。それをまわりくどく話したのを責められるのも覚悟の上。

けれど、咲月ちゃんに興味を持ったのであれば、ちゃんと瑞稀自身で咲月ちゃんの気持ちを確かめて、その上で通じ合って欲しかった。

それが、俺の本音だから。

目を逸らす事なく、話す俺は、瑞稀の目にどう映ったかは定かじゃない。ただ、変わらず穏やかで、優しさを纏う瞳に、妙な期待と懐かしさを覚えた。


「………薮。」
「はい。」


丁寧に会釈をする俺を横目で睨むとフウと深く溜息をつく。


「…圭介、性格悪過ぎるわ」

「あーあ…」と声をだしながら、顔を覆う瑞稀の様子で、俺の意図を汲んだんだとわかる。

そして…手を外し顔を再び出した時の表情があまりにも穏やかで柔らかくて。

思わず頬が緩んだ。


元々『友達』としての俺に対してはそれ程引き締まった顔をしているわけではないけれど、それでも昨日までとは違う。明らかに表情に温かみが加わった。咲月ちゃんと一夜を過ごした事でこんなに変わるなんてな。


「おかわり頂戴。」
「かしこまりました。」
「ありがとう…って苦っ!」
「これは失礼を。少々性格が味に出てしまったかと」
「や、これ、ほんと失礼。主人だよ、俺は…。」


眉を下げた瑞稀を尻目に、泡立てたミルクをそこへ注ぎ入れる。


「…混ざり合う事でより深みやうまみが出たりするものです。」


そう言った俺に苦笑い。


「まあ…いいけどね。美味いから。」


そう呟くと微笑みを携えコーヒーを啜り直した。