無理矢理肩を押されて正面を向けさせられて、その少し丸みを帯びた手で頬を覆われる。一瞬ヒンヤリと感じたそれは、頬の温度に融和し、柔らかい感触を伝えた。

目の前には瑞稀様の真剣な眼差し。煌めきの多いその綺麗な瞳に、私が映し出されている。


頭の中は予期せぬ出来事の連続に混乱と同様でいっぱいではあるけれど。



『キスする』


言った瑞稀様の表情に、いつか感じたのと同じ不安を覚えた。


強気な言葉とは裏腹に、また…私を伺う様な顔をなさっている。


どうして私にそんな表情を?
私はただのメイド、瑞稀様はご主人様なのに…。


このまま瑞稀様のご希望通りにしたら、その表情は消えますか?


いつの間にか、痛む気持ちも、智樹さんへの寂しさも消えて、ただ目の前の瑞稀様の表情の事で頭がいっぱいになって。その近づいて来る整ったお顔をただ見つめていた。


「……。」


互いの吐息が重なり合う距離で瑞稀様の動きが止まる。そのままおでこ同士がコツリとぶつかった。


「……もっとさ、抵抗するとか、言い訳するとか無いわけ?
リアクション無さ過ぎて萎えるわ。」


溜息と共にくっついていたおでこが離れ、その指で再び目元をグイッと拭かれる。ポンポンと頭を撫でられた。

そのままくるりと背中を向けるとネクタイを自ら結び始める瑞稀様。結び終わるとジャケットを羽織る。


「…次 の着替えから来なくていいから。」

「え…?」

「…や、ほら、俺一人でネクタイも締められるしさ。俺の仕度手伝わなきゃ、咲月の仕事も少し減るでしょ?」

「み、瑞稀様…あの…」


慌てて踏み出した私に振り返る瑞稀様はいつもの柔らかい微笑みで。けれど、そこにえも言わせない圧迫感を感じた。


「…ご苦労様。行って来る。」


瑞稀様はそのまま、私の頭を再びぽんぽんと撫でドアを開けて出て行く。バタンと閉まる音がやけに遮断的に聞こえて思わずヘナヘナとその場に座り込んだ。


そりゃ…そうか。

仕事もまともにこなさずに、泣き出すメイドなんてお役御免に決まってる。


視界が一気に滲んでポタポタと涙が後から後から落ちて来た。


『咲月?ネクタイはただ結ぶだけじゃダメなの。そこに想いを込めなければ。』


お母さんの言葉が脳裏を過る。


もう…結ばせて貰えないんだ、瑞稀様のネクタイを。