◇
鎌倉山の奥地の老舗フレンチレストラン。
そこの個室に私達家族と小夜ちゃんが到着したら、程なくして鈴木グループ会長とその夫人、長女の蓉子さんが現れた。
「健ちゃん、待たせてごめん!おー瑞稀君!真人君も!久しぶり!小夜も元気か?」
陽気に挨拶する会長に、主人の笑顔は強ばった。
…大丈夫です。
どんな状況になっても、私が隣に居ますから。
そんな想いを込めて、テーブル下でその大きく厚い手のひらをそっと握る。
私の顔を一度見た主人の眼差しは、強いものへと変わった。
…不出来な親だった私達。
今までの経緯を消す事は出来ない。
そうであれば少しでも、息子の未来の為、谷村家の未来の為に、誠心誠意を尽くさなければ。
「…呼び立ててすまない、竜助。」
「いや、小夜子の様子も聞きたかったから、丁度良かったさ。
お前と飲む酒は美味いに決まってるしな!あ、昼間からは無しか?」
豪快に笑う鈴木会長を一度ジッと見てから、意を決して立ち上がる主人。
そのまま、床へと座り込み、頭を下げた。
「け、健…」
「すまない、竜助!小夜ちゃんと瑞稀の結婚、白紙に戻してくれ!」
「な、何を…。」
驚いて立ち上がる鈴木会長を尻目に、蓉子さんはその様子をただ無言で見守ってる。
「実は、瑞稀の事だが…。
本人の希望で会長を継ぐ件は一旦白紙に戻ってな。
現在の会社の社長の座も退いて、家を出る事になった。」
私の隣でガタンと椅子が鳴り響いた。
立ち上がったのは、驚愕の表情の小夜ちゃん。
「…ど、どうして?だ、だって…。」
瑞稀と真人から「黙っていて」と言われ、話せずに来てしまった事について、申し訳なく、その震える背中にそっと手を添えた。
「…何があっても、瑞稀の決心は変わらなかった、と言う事です。」
「なっ…。」
私の言葉に目を更に大きく見開く小夜ちゃん。
それだけ言えば、小夜ちゃんには充分伝わるものね…。
瑞稀と話した後、小夜ちゃんが鳥屋尾さんに、彼女にまつわる事を話してしまった事が、実は私達家族に筒抜けだった事も、その経緯すべてを知らないフリして、静観していた事も。
そして…どうあっても、瑞稀の鳥屋尾さんへの想いは変わらないって事も。
唇を噛み締めると力なく椅子へと座る小夜ちゃん。
きっと、小夜ちゃんは鳥屋尾さんが離れて行けば、瑞稀は諦めると思っていた。
…以前の私がそうであった様に。
だからこそ、小夜ちゃんは主人との約束を反古にしてまで、あの事を本人に話した。
けれど、瑞稀は小夜ちゃんがそう考えるであろう事をわかっていた。
その上で…敢えて、小夜ちゃんと話をした。
『それでは、鳥屋尾さんは傷つくのでは。あの子の性格からして、下手したら身を引いてどこかに居なくなるかもしれないわよ?
それに…小夜ちゃんはそれで納得するのかしら。』
瑞稀の話を聞いて、懸念した私達に、瑞稀は一言だけ
「…俺は信じてるから。咲月の事も、小夜の事も」
そう言った。
鳥屋尾さんの心のわだかまりを取ってあげる事を優先した瑞稀。
『条件をつけて借金を無かった事にして別れる』と言う方法は、少し乱暴な気もしたけれど、傷ついても尚自分を想ってくれる強さと、だからこそ、道理は通す、そんな頑な『意志』
…その位の芯を持つ女性でなければ、これからの『谷村瑞稀』と人生を共にして行くのは無理でしょうから。
そして、それが彼女なら…と瑞稀の一点の揺らぎも無い表情で、私も納得で来た。
そして同時に、人と人との絆や信頼関係は、過ごした時間の長さではないのだと。互いが共にする時間、互いの事を想い考える時間が、どのくらいかけがえのないものであるのか、そこなのだという事を、痛感させられた。
実際に、私も…。
戸屋尾さんと過ごす時間は、本当に心地よく楽しくて、瑞稀の事やメイドである事を抜きにして、彼女自身の事を考える時間が話せば話すほど増えていった。
「ど、どうしたんだ?瑞稀君…一体何が…。」
茫然としていた竜助さんが、ハッとして顔を歪ませる。
「まさか、小夜子との結婚をまた嫌がってお前とケンカしてそんな事態に?」
「…すまない。全て俺の責任だ。俺の安易な行動がこうした事態を齎した。」
再び頭を下げた主人の隣に私も並んで静かに頭を下げたら、その隣に瑞稀も並ぶ。
…真人も。
ただ、何も語らずに。
瑞稀の隣に。
そんな兄の姿を横目に捉えたかは定かじゃないけれど、瑞稀の琥珀色の瞳が光を放った。
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鎌倉山の奥地の老舗フレンチレストラン。
そこの個室に私達家族と小夜ちゃんが到着したら、程なくして鈴木グループ会長とその夫人、長女の蓉子さんが現れた。
「健ちゃん、待たせてごめん!おー瑞稀君!真人君も!久しぶり!小夜も元気か?」
陽気に挨拶する会長に、主人の笑顔は強ばった。
…大丈夫です。
どんな状況になっても、私が隣に居ますから。
そんな想いを込めて、テーブル下でその大きく厚い手のひらをそっと握る。
私の顔を一度見た主人の眼差しは、強いものへと変わった。
…不出来な親だった私達。
今までの経緯を消す事は出来ない。
そうであれば少しでも、息子の未来の為、谷村家の未来の為に、誠心誠意を尽くさなければ。
「…呼び立ててすまない、竜助。」
「いや、小夜子の様子も聞きたかったから、丁度良かったさ。
お前と飲む酒は美味いに決まってるしな!あ、昼間からは無しか?」
豪快に笑う鈴木会長を一度ジッと見てから、意を決して立ち上がる主人。
そのまま、床へと座り込み、頭を下げた。
「け、健…」
「すまない、竜助!小夜ちゃんと瑞稀の結婚、白紙に戻してくれ!」
「な、何を…。」
驚いて立ち上がる鈴木会長を尻目に、蓉子さんはその様子をただ無言で見守ってる。
「実は、瑞稀の事だが…。
本人の希望で会長を継ぐ件は一旦白紙に戻ってな。
現在の会社の社長の座も退いて、家を出る事になった。」
私の隣でガタンと椅子が鳴り響いた。
立ち上がったのは、驚愕の表情の小夜ちゃん。
「…ど、どうして?だ、だって…。」
瑞稀と真人から「黙っていて」と言われ、話せずに来てしまった事について、申し訳なく、その震える背中にそっと手を添えた。
「…何があっても、瑞稀の決心は変わらなかった、と言う事です。」
「なっ…。」
私の言葉に目を更に大きく見開く小夜ちゃん。
それだけ言えば、小夜ちゃんには充分伝わるものね…。
瑞稀と話した後、小夜ちゃんが鳥屋尾さんに、彼女にまつわる事を話してしまった事が、実は私達家族に筒抜けだった事も、その経緯すべてを知らないフリして、静観していた事も。
そして…どうあっても、瑞稀の鳥屋尾さんへの想いは変わらないって事も。
唇を噛み締めると力なく椅子へと座る小夜ちゃん。
きっと、小夜ちゃんは鳥屋尾さんが離れて行けば、瑞稀は諦めると思っていた。
…以前の私がそうであった様に。
だからこそ、小夜ちゃんは主人との約束を反古にしてまで、あの事を本人に話した。
けれど、瑞稀は小夜ちゃんがそう考えるであろう事をわかっていた。
その上で…敢えて、小夜ちゃんと話をした。
『それでは、鳥屋尾さんは傷つくのでは。あの子の性格からして、下手したら身を引いてどこかに居なくなるかもしれないわよ?
それに…小夜ちゃんはそれで納得するのかしら。』
瑞稀の話を聞いて、懸念した私達に、瑞稀は一言だけ
「…俺は信じてるから。咲月の事も、小夜の事も」
そう言った。
鳥屋尾さんの心のわだかまりを取ってあげる事を優先した瑞稀。
『条件をつけて借金を無かった事にして別れる』と言う方法は、少し乱暴な気もしたけれど、傷ついても尚自分を想ってくれる強さと、だからこそ、道理は通す、そんな頑な『意志』
…その位の芯を持つ女性でなければ、これからの『谷村瑞稀』と人生を共にして行くのは無理でしょうから。
そして、それが彼女なら…と瑞稀の一点の揺らぎも無い表情で、私も納得で来た。
そして同時に、人と人との絆や信頼関係は、過ごした時間の長さではないのだと。互いが共にする時間、互いの事を想い考える時間が、どのくらいかけがえのないものであるのか、そこなのだという事を、痛感させられた。
実際に、私も…。
戸屋尾さんと過ごす時間は、本当に心地よく楽しくて、瑞稀の事やメイドである事を抜きにして、彼女自身の事を考える時間が話せば話すほど増えていった。
「ど、どうしたんだ?瑞稀君…一体何が…。」
茫然としていた竜助さんが、ハッとして顔を歪ませる。
「まさか、小夜子との結婚をまた嫌がってお前とケンカしてそんな事態に?」
「…すまない。全て俺の責任だ。俺の安易な行動がこうした事態を齎した。」
再び頭を下げた主人の隣に私も並んで静かに頭を下げたら、その隣に瑞稀も並ぶ。
…真人も。
ただ、何も語らずに。
瑞稀の隣に。
そんな兄の姿を横目に捉えたかは定かじゃないけれど、瑞稀の琥珀色の瞳が光を放った。
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