一週間ご不在の瑞稀様を「外出先に迎えに行くから」そう言って朝、出かけて行った圭介さんが、瑞稀様と共に戻って来たのは夕方だった。



『瑞稀様が戻られたから、お部屋に来て』


そのメッセージに少し違和感を感じて首を傾げた私と一緒に坂本さんがスマホを覗き込む。


「…何かあったのかしら。とりあえず、ここからの仕事は私がやっちゃうから、瑞稀様の所へ行って?」


そう言って、坂本さんも少し、不安げに首を傾げた。


足早に階段を駆け上がり、ノックをして、ドアをあける。


何だろう…。


入った部屋の雰囲気がやけに重たい気がして、思わずお辞儀が一瞬遅れた。


「…お帰りなさいませ。」
「…うん」


元気が無い…明らかに。


圭介さんの姿は既にない。
と言う事は具合が悪いとかではないのかな…。


椅子から立ち上がって、近づいて来た瑞稀様はそのまま乱暴に私を抱き寄せる。


「瑞稀様…?」
「……。」


本当にどうしたのだろうか。

伝わってくる体温は、暖かで。熱が出ている感じはしない。呼吸音も穏やかな気がする。けれど…どこか悲しみが伝わってくる気がして、背中に手を回してそっと擦った。


「お体の具合が優れませんか…?」
「……。」
「少し、お休みになられた方がよろしいかと…。」


身体を離そうとしたら、それを強い力で拒まれた。


「咲月…ごめん、もう佐野智樹には暫く会えないと思う。」


耳元を擦ったその言葉。


「…あの家は売り払って、海外に行くって。」


家を…売り払った?
海外…?

ど、どう言う…こと…?

予期してなかったそれに、ドクンと鼓動が嫌な音を立てた。


「あ、あの…?」


スルリと離された身体に余計に不安が増す。
奥へと入って行くその背中を追いかけたら、瑞稀様が机の上に置かれてた一枚の絵を私に差し出した。


「っ!!!」


これ…。


そこに描かれていたのは…。
紛れもなく、私。


『咲月ちゃんの絵はまた今度ね』


頭の中で智樹さんの笑顔が過る。


「…こっちは手紙。」


ただ二つに折ってあるだけの紙。


それを震える指先でそっと開いた


“咲月ちゃん

ずっと、笑ってんだよ

佐野智樹”



ポタン…と涙がこぼれて、文字が滲んだ。


「どうして…。」


震える指が少しだけ便箋に皺を寄せる。


「どうして、瑞稀様がこれをお持ちなのですか…?」


ぼやけた視界の向こうに、口を閉ざして何も語らない瑞稀様が居る。


一体智樹さんに何があったの?
そして、瑞稀様は何故何もおっしゃってくれないの?


そっと絵と手紙を片腕で抱き締めたら。


「…教えて下さい。」


震える手を伸ばして、瑞稀様の頬に掌を触れさせた。


「どうして瑞稀様がそんなに辛そうな顔をされているのですか?」


視界がぼやけていたって、瑞稀様が辛そうにしている事位わかる。
それ程、私はこの人の事を見て、考えているから。

また身体をフワリと身体を包まれた。


抱き締められただけで、伝わって来る悲しみの感情。
頬を伝った一筋の雫。

目を瞑ったら、柔らかい笑顔の智樹さんが現れた。


『咲月ちゃんならちゃんとまっとう出来んから』


…ずっと私を優しく見守ってくれてた人。


メイドとご主人様と言う関係だったけれど。ずっと私にとっては『家族』同然の大切な人。


事情は…わからない。

どうして智樹さんが今、家を売ってまで日本を離れようと思ったのか。
どうして瑞稀様に智樹さんの事が伝わったのか。

どうして…瑞稀様が私の絵と私への手紙を持っているのか。


いくら考えたって、それは全部憶測だから。
きっと瑞稀様が話さない理由がそこにはあるんだから。


だけど…一つだけハッキリしてる事がある、よね、智樹さん。


私は、“まっとう”しなくちゃいけないってこと。


今、この時を。


今、私がすべき事は、目の前に居る、大好きな、大切な人の心を救う事。


私が『智樹さん』の話をしてしまったが為に、どうしてか悲しみを持ってしまったこの人を…。


「…いつか、会いに行った帰りに圭介さんが言っていました。
『あの人、雲みたいだから、巡り巡って、またいつかきっと会えるよ』って」


込み上げる気持ちをおさえて、笑顔を作る。


「…智樹さんは前のご主人様やお母さんとは違います。
生きていればいつか会える。少なくとも、私はそう信じてます。
だから…大丈夫です、私は。」


机に手紙と絵をそっと伏せて置き、今度は両手で瑞稀様の頬を包み込んだ。