「…画家をされているそうですね。」


瑞稀の言葉に、柔らかい苦笑いを浮かべる智樹。


「薮の貰った絵を拝見させて頂きました。とても素晴らしいもので、驚きました。」

「お恥ずかしいです。咄嗟に描いたものを…。」


智樹がマグカップにコーヒーを注ぎ、出してくれる。


「こんなものしか無くてすみません。」

「おかまいなく…。」


会釈をした瑞稀は、ソファに浅く腰をかけ直し、姿勢を正した


「今日は、あなたに商談があって参りました。
あなたのお持ちの借金の証書を私に売って頂きたい。」


瑞稀様の言葉に智樹は一つ間を置いてコーヒーを一口コクリと飲んだ。


「ごめん、智樹。少し調べさせてもらった。どうしても、この前の再会が腑に落ちなくて。」

「……。」

「薮を責めないでください。彼は全て、私の命に従ったまでです。」


瑞稀様の琥珀色の瞳が揺れている。
それをジッと見つめる智樹もまた、奥深いブラウンが揺らめいていた。


『借金の借用書を売る』


その意味と重みが智樹にもちゃんと伝わってんだな…。



二人とも、『鳥屋尾咲月』と言う一人の女性の事を真剣に想っている。


だからこその、対峙。



俺は…見守るしかない。


大切な友人二人が下す『決断』を。



沈黙が続く中

古びた時計が、ボーン、ボーンと音を奏でて、静寂を切り裂いた。


智樹がフッと頬を緩める。


「…咲月ちゃん、恐がりなんだよ。この時計の音、夜中に聞こえちゃうといっつも泣いてさ。」


俺に話しかけてんのか、瑞稀に話しかけてるのか…それとも独り言なのか。その表情はこの上なく柔らかく、優しくて…寂しげだった。


「『智樹さん、眠れない!』ってドアが壊れんじゃねーかって程ノックすんの。
で、お母さんに『失礼な事しないの』って怒られて。」


俯いたままのその目線の先で、コーヒーの水面が艶やかに揺れる。


「強がりで…なのに、すぐ泣くし、我侭言い出すと、引かないし。めんどくせーったらありゃしない。」


そこでまた一口コーヒーを飲んだ。


「ずっと…ここで一緒に暮らしてくんだろうな~って、それが当たり前みたいに思ってた。」


そこまで言うと、少しため息をつき、今度は顔を上げて俺に柔らかい笑みを向ける。


「圭介、ありがとう…つか、ごめん。俺の安易な考えで巻き込んで。」

「いや、それはさ…。」


躊躇した俺の返事を待たず、瑞稀に目線を移した。


「…証書を買い取った後、俺が咲月ちゃんに全てを話して、呼び戻すとは思わないの?」


瑞稀様の眉間に少しだけ皺が寄る。けれど、瑞稀の薄めの唇は一切の戸惑いもなく、開いた。


「俺はそれでも構いませんよ。
元はと言えば、俺のじいさんが引き起こした悲劇だし。それを孫の俺が尻拭いしてるだけって話だから。
咲月にだって、知る権利はあると思うよ。というか、一番の当事者ですから、彼女が。」

「…幻滅されても?」

「どう考えるかは咲月次第でしょ。」


きっぱりと返答する瑞稀に智樹の笑みが少し悲しさを纏った。


「…信じてんだ、咲月ちゃんを。」


ぽつりと呟かれた言葉がズシリと重たく心を刺激する。


「あなたが一番知っているはずです。咲月がどう言う人間かと。
彼女はどう言う状況になっても絶対に誰も責めない。…自分以外は。
だけどもし、彼女が俺を憎んで、それを糧に前に進んで行けるなら別にそれでも構いませんよ、俺は。」


瑞稀の琥珀色の瞳がまた揺らめいた。


「……。」
「……。」


視線を逸らす事無く見つめ合う二人の間にしばしの沈黙がまた訪れる。
そこに入り込む、古時計の時を刻む歯車の音。


それが、この上なく顕著に耳に届いて
この時が、長くを有している…そんな気がした。



そんな対峙の中で、先に表情を緩めたのは智樹だった。


「瑞稀…様。かなりのひねくれモンですね。」


苦笑いだけど、ちょっと楽しそう…な感じがする。


「素直に言えば良いのに。『金は出すから、金輪際咲月ちゃんに手えだすんじゃねー』って。」

「そう言ったらちょっかい出さないでくれます?」

「いや、出す。咲月ちゃんはこの世で一番可愛いいから。」

「……。」


な、何だろう…か。瑞稀がちょっと弄ばれてる?
くふふって笑っている智樹はさっきと違って楽しそうで。


雰囲気の変化について行けなくて


「と、智樹…?」


思わず声をかけたら俺に優しい笑みを向けてから、智樹が立ち上がった。