「……帰る」

 ようやくそれだけ言うと、カバンをひったくって出口に急いだ。

 一刻も早く、この場を離れたかった。

「もう遅いから危ない。送っていく。一緒に歩くのが嫌なら後ろからついていくよ」

 ついさっき、あんなことをしたのに、靭也の態度も口調も少しも変わらない。

 でも、そのことが夏瑛の心にはよけいに響いた。

 靭也が夏瑛のことを爪の先ほども気にかけていない証拠だから。

 キスなんて、やっぱりしなければよかった。

 受け入れられないことははじめからわかっていたのに。

 蝉の羽化が見たいというのは口実だった。

 本当はどうでもよかった。

 もっと靭也と一緒にいたかっただけだ。

 頭の中をいろんな言葉が錯綜し、大声で叫びだしてしまいそうだった。