ホームズの子孫はいつでも私を見つける

私は英語と日本語以外話せない。街並みは綺麗でおしゃれだけど、フランスにいることを少し後悔した。

フランス人は、「フランスにいるならフランス語を話せ」という考えだと聞いたことがある。あと、歴史的にイギリスと何度も対立しているから英語を話したがらない人が多いってフランスに旅行したことがある人が言っていたような……。

「和香ちゃ〜ん!どれにする?」

園子ちゃんがメニューを見せてくれたけど、当然メニューに書かれているのはフランス語。私は「読めないよ」と苦笑し、スマホの翻訳機能を使うことにした。

「う〜ん……。じゃあ、アッサムとシュークリームにしようかな」

私がそう言うと、フランス語を同じく読めない園子ちゃんも「私は、ディンブラとマドレーヌで!」とスイーツと紅茶を選ぶ。

園子ちゃんは、少しだけフランス語を勉強したようで、何とか注文することができた。ホッとし、私は園子ちゃんにフランスでの話を聞かせてもらう。
「フランスに着いた初日から電車がストライキ起こしちゃってさ〜。フランスはストライキ大国で、必ずストライキがあるんだよね〜」

「それは大変そうだね」

「観光地も、ストライキでゆっくり見れなかったところもあったし」

「じゃあ、一緒に行こうよ。色々教えてほしいし」

そう日本語で話していると、どこの国の人だろうと言いたげな目をした店員さんが頼んだ紅茶とスイーツを持ってきてくれた。

「メ、メルシー」

辿々しいフランス語で何とかお礼を言い、シュークリームを一口食べる。シュークリームはフランス語ではシュー・ア・ラ・クレームと言うらしい。ちなみに、英語ではクリームパフ。

「おいしい……」

「こっちもおいしいよ!一口あげる」

カスタードクリームの甘い香りに、私は少しだけ頰を緩めることができた。とてもおいしく、紅茶によく合っている。

紅茶といえば、ホームズさんやワトソン先生の淹れてくれた紅茶はとてもおいしかった。もう二人の紅茶を飲めないんだ……。
寂しさが込み上げてきそうになったその時、私の胸がドクンと音を立てた。それは、寂しさをかき消すほどの嫌な予感だった。

誰かに強く見られている気配がして、私はカフェの中を見回す。しかし、そこには幸せそうにスイーツやコーヒーなどを楽しむ人たちの姿しかない。しかし、鋭い視線は私に突き刺さっていく。

なぜか、怖くて体の震えが止まらなくなる。フランスに来れば安全だと思っていたけれど、今、自分を守ってくれる人はいない。自分で自分の身を守らなければならないんだ。

そのことを園子ちゃんに悟られないように、私は笑顔を作った。




「園子ちゃん!待って〜!!」

「和香ちゃん、早く!すっごい人だよ〜」

フランスに来て数日。私は園子ちゃんの助手としてフランスで過ごしている。まあ、助手と言っても園子ちゃんが写真を撮っているのを眺めているだけだけど。

今日は、園子ちゃんはカメラを持つ気分じゃないらしく、ルーブル美術館に観光に行くことになった。こういう時はリフレッシュする方がいいらしい。

ルーブル美術館は一日では回りきれないほどの広さの美術館だ。「モナ・リザ」や「ミロのヴィーナス」など有名な作品も多い。

「やっぱり、フランスにいるんだからルーブル美術館に行かないとね!」

園子ちゃんは目を輝かさせている。園子ちゃんは美術が好きで、よく美術館巡りもしているからね。私も、あまり絵画のことはわからないけど、有名な作品などは見てみたい。

「ルーブル美術館ではスリに気をつけてね」

園子ちゃんに言われ、私はコクリと頷く。そしてかばんを体の前に持った。
何千人、何万人もの観光客が広い美術館の中を歩いている。私は園子ちゃんから絵画の説明を聞きながら美術館を楽しむ。

「この画家の色の使い方が好きなんだ」

「淡い色合いが綺麗……」

「でしょ?でも、この画家は生きている時はあまり注目されなかったんだよね〜」

そうなんだ、と私が言おうとしたその時、またゾクリと体に寒気が走る。誰かの視線を感じ、私はあちこちを見回した。

「どうしたの?」

首を傾げる園子ちゃんに、私は「何でもない」と微笑む。時々、誰かの強い視線を感じることがあるんだ。その視線を感じている時、私は全身を拘束されたように動けなくなる。怖い……。

「あ、ちょっとトイレ行ってくる」

園子ちゃんがそう言い、私は「じゃあここで待ってる」と言った。本当は一人になるのは怖いけど、園子ちゃんに心配をかけるわけにはいかない。園子ちゃんを見送り、絵画を熱心に見て気を紛らわす。

強い視線を何度も感じる。私は体を小刻みに震わせ、コツコツと近づいてくる足音を聞いていた。ピタリと誰かが私の背後に立つ。私の体はますます震えた。
「マドモワゼル、これを落とされましたよ」

マドモワゼルはフランス語だったけど、あとは英語だ。私は驚き、後ろを振り返る。するといつの間に落としたのか、私の髪飾りを持った男性が立っていた。

「あ、それは私のです!すみません」

私がそう言うと、男性はニコリと微笑む。優しげな表情にフッと緊張が解ける。ワトソン先生が患者さんたちに優しく微笑む理由がよくわかった。今日も、患者さんの診療に忙しいんだろうな……。

「マドモワゼル、少しよろしいですか?」

男性は私の手を掴み、走り出す。私は突然のことに驚くけど、抵抗することができない。男性に連れられ、人気のない場所に連れて来られる。

「……あ、あの……」

私は壁に押し付けられ、男性に両手を掴まれていた。一瞬のことに戸惑ったものの、すぐに心に恐怖が戻ってくる。ホームズさんのあのメモに、私が犯罪者に狙われているって書いてあったから……。

男性から逃げようにも、男性の方が力が強く抵抗できない。体は震えて泣きそうになる。
「……女性を泣かせるわけにはいきませんね。別にあなたを襲うつもりではありませんよ。ただ、お会いしたことがある顔なので」

男性は私から離れ、そう言う。でも私はこの人に見覚えはない。顔立ちはとても整っていて華やかだけど……。こんな人、会うと忘れることはないと思うんだけど。

「申し訳ありません。えっと……私……」

「わからなくて当然ですよ。変装していますから」

謝る私に、男性は優しく微笑む。そして顔に手をかけた。ベリッと音が響く。マスクの下から見えた顔はーーー。

「ルパンさん!?」

そこにいたのは、大怪盗の子孫で自身も怪盗であるアルセーヌ・ルパンさんだった。以前、ホームズさんと対決をしたことがある。

「こんにちは。お友達とご旅行ですか?フランスに来ていただいて嬉しいです」

「あ、ありがとうございます」

ルパンさんに見つめられ、私は目をそらす。旅行ではない。ホームズさんたちから私は逃げてきた。何となく、気まずい。
「もしかして、何かあったんですか?」

ルパンさんに言われ、「えっ……」と顔を上げる。ルパンさんの目は真剣なものになっていた。私は何も言えない。

「なるほど……」

ルパンさんは呟き、私の顎を優しく持ち上げる。近すぎるくらいに体が密着し、私は顔を赤くした。

「私は、あなたを見守っています。ですから安心してください」

「は、はい!」

近い距離で言われ、つい私も頷いてしまう。頷くしかできない。そんな気がした。

ルパンさんは満足げに微笑み、私の頰にキスをして去っていった。



それからも、強い視線は外に行くたびに感じた。でも園子ちゃんに心配をかけたくないから、一緒に出かける。一人じゃなかったらまだ大丈夫だよね。

今日は電車に乗って遠出をした。園子ちゃんと電車に乗ってあちこち行くのは初めてじゃない。パリから離れると同じフランスでも色んな景色が見れて楽しいんだ。

「この村の夕日を撮影するのが目的だから、それまでのんびり観光しよう!」
園子ちゃんの提案に私は賛成する。この村はとても穏やかで、久しぶりに心が落ち着く。

「じゃあ、少し散歩しよう」

私はそう言い、園子ちゃんと村をブラブラと歩く。自然豊かな景色は心を落ち着かせてくれる。イギリスにいた頃は、ロンドンにいることの方が多かったから、こんな景色を見るのはどこか新鮮。

「綺麗……」

「でしょ?でも夕方になればもっと綺麗になるよ」

地元の人と話せたらもっと楽しいんだろうけど、フランス語は話せない。フランス語で楽しげに話す人たちを見て言葉の壁がもどかしくなる。

緑豊かな景色や美しい湖を楽しんだ後、私と園子ちゃんは休憩をするためにカフェに行くことにした。そのために来た道を戻る。

村の道に入ると、人通りも少しずつ増えていく。人の集まるお店や、車の姿も増えていくんだ。

「あそこのカフェ、よさそうだよね」

園子ちゃんが指さした先には、花が植えられたおしゃれなカフェがある。確かによさそう。