皇子に嫁いだけど、皇子は女嫌いでした

ヒナと一緒に中に入ると、ソファーに座る殿下とチラリと目が合った。



殺されると思う。



そんな目をしている。



これ、私の嫌いな目。



冷たくて、感情が全く見えない。



そういえば、最近こんな目を見ていなかったことに気がついた。



「寝間着、置いていきますね」

「ありがとう、ヒナ」

「おやすみなさいませ、殿下。いい夢を」



そう言ってヒナが出て行って、残された私と機嫌の悪い殿下。



何から話せばいいのか、言葉が出てこない。



喉が急に乾いて来て、声も出ないかもしれない。



「突っ立ってないで、座ったらどうだ」



いつもより低い声は、私をいじめて喜んでいる時とは全く違うもの。



本当に怒っているのだと、改めて実感する。



「殿下、あの…」

「…………」

「申し訳ありませんでした…」



なんだか、泣きそう。



喉の奥が痛い。



もっと話さなきゃいけないのに、言葉にならない。



どうやらお酒を飲んでいたようで、グラスに入っている中身をグッと一気に飲み干した。



「何に対しての謝罪なのだ」

「殿下が…考えてくださっていたなんて…全然、知らずに…」

「もうよい。お前はお飾りの妃で満足するのだろう?歩み寄ろうとした俺を突き放したのはアリス、お前だ」

「ですからっ‼︎謝りに来たのです…」

「…………それを聞いて、すぐに機嫌が治るとでも?悪いが、俺はそんなに単純な男ではないのでな」

「はいっ…」



ポロポロと涙が溢れてしまった。



きっと殿下は、いろいろ悩んで、考えてくれたのだろう。



その気持ちを、知らなかったといえ、踏みにじったのは私だ。



初めてお茶に誘ってくれた。



それだけで、気づけばよかったのに。



「わかり、辛いからっ…。ごめんなさいっ…」

「…………」

「どうしたら、良いのかっ、わかりませんっ」

「…………座れ」



戸惑いながら、殿下の隣に腰を下ろした。



伸びて来た手が、ぽんっと頭を撫でる。



滲む視界で殿下を捕らえると、さっきの目よりも若干柔らかくなったように感じた。



「反省したのだ、俺だって」

「反、省…?」

「アリスと、笑いながら歩いてみたいと思った。たまにはアリスの喜ぶ顔が見たいと、そう思った。俺がアリスにすることは、きっと普通のことではないのだろう?」

「はい…」

「それでも、俺はお前と…笑い合ってみたくなったのだ」



きゅんと、心臓が痛い。



悲しげに笑う殿下に、申し訳なさが溢れ出して止まらなくなって。



ずるいの、殿下は。



こういうこと、いう人じゃないのに。



「すまない、やり方がわからない」

「私もっ、わかりませんっ…」

「こういう泣き方は好きではないな…。もう、泣きやめ」

「止まりませんっ…」

「次はふたりで、どこかへ出かけよう…か?」

「よろしいの…ですか…?」

「だから、早く泣き止んでくれ。これは困る涙だ…」



初めて優しく抱きしめられて、ちょっと殿下のことを理解した。



【フィンリューク】



アリスはよくわからない。



今まで見てきた女と、アリスが別物のように感じるのはなぜなのか。



こういう女もいるのかと、不思議に思う。



「美人のねーちゃんだ。と、言ってますね」

「えっ?ジェードさんって動物の言葉がわかるのですか⁉︎」

「えぇ、まぁ。この馬、ゼジルは殿下しか乗せないのですよ」

「それなのに私も乗せてくれたの?とても嬉しい」

「…………照れてますよ」

「お馬さんも照れるのね‼︎」

「オスですから、コイツ。ちなみに、美しい俺には美しいものしか似合わないのだそうです…」



馬が見たいと言ったアリスを、厩舎に連れてきた。



俺の馬を撫でながら、ジェードに通訳してもらっていて、とても楽しそうにしている。



「乗るか?」

「乗りたいですっ‼︎」

「ゼジル、乗せてくれ」



どうやら、馬が気に入ったようだ。



あの時、俺の部屋に来たアリスは、ものすごく泣いた。



止まらない涙を止めようと思ったが、泣き続けて…泣き疲れて眠ったのだ。



なぜか心が痛かった。



俺が泣かせたのだと、そう思った。



俺のベッドで抱きしめて眠った次の日、腫れた目で再度謝られて。



『大事にしないといけない』と思ったのだ。



そう思わせた女はアリスが初めてで、扱い方がよくわからないまま手探りでアリスに接している。



「ふふっ、高いっ‼︎」

「ジェード、アリスの着るものを」

「えっ?どこかへ行くのですか?」

「ちょっとそこまでな」



嬉しそうなアリスに厚着をさせ、ゆっくり走り出した馬。



警備の問題で城内からは出られない俺とアリスが向かった先は、敷地内の湖。



「ジェードさん、置いてきてよかったのですか?」

「外に出なければ問題ない」

「そうなのですね」



見たことのない景色に、キョロキョロと興味を示すアリスの息は、少しだけ白くなっている。



急激に冷え込んできた最近の空気のせいか、アリスの耳が赤い。



その耳には、俺が贈ったピアスが光っている。



やはり、この深い青はよく似合う。



俺の目に狂いはないってことだな。



湖は城内で働く者なら誰でも入れる区間。



休日で釣りをする者、暖かい日には昼寝や昼食をとる者など、人が多い場所でもある。



今日も数人が、釣りを楽しんでいた。



「お魚がいるのですね」

「そうらしいな。俺は釣ったことがないが」

「降りましょう、殿下」

「降りたら乗れなくなるのではないか?ジェードに押し上げてもらってやっと乗れるのだろう?」

「そう、ですね…」



『運動は全くできないのです』と豪語するアリスは、筋肉なんてものとは無縁のようで、父親がアリスにはケガに繋がることを一切させていなかったのだ。



おかげで、ゼジルに乗るのも一苦労。



降りたら乗れないから、降りるわけにはいかない。



「あちらに行ってみるか」

「なにがあるのですか?」

「騎士団の宿舎だ」

「見てみたいです」



ゆっくりと移動して、宿舎の前まで来ると、まだ若い騎士がふたり宿舎から出てきた。



俺とアリスに気づき、この国の騎士の礼をするふたりは、どうやら休みらしく私服を着ている。



今からどこかへ行くのだろう。



「こんにちわ‼︎どこかへ行かれるのですか?」

「今から飲みにっ‼︎飲み…酒場へ向かうところでありますっ‼︎」

「それはどこにあるの?」

「王都の外れですっ‼︎」



あまり話しかけてやるな、アリス…。



このふたりからものすごい緊張が伝わってくるのだ。



「アリス、休日を返してやれ…」

「あっ、お引き止めしてごめんなさい。気を付けて行ってらしてね」



今から出陣するのかと言うほどの勢いで返事をしたふたりに背を向け、次の場所へ向かう。



さて、どこに行こうか。



あっ、あそこにしよう。



「これはお家ですか⁉︎」

「いや、ここは花や薬草を人工的に育てているのだ。温室なので、中は暖かいぞ」

「季節ではない花が生けられているのは、ここのお花だったのですね‼︎」

「手間はかかるが、薬はいくらあっても困らないのでな」

「すごいっ‼︎他にはどんなところが?」



いろいろ案内をした。



ここでは実験や研究なんかもできる場所があり、多くの魔導師が働いている。



俺が昔部屋に呼んだ女魔導師も、ここで仕事をしているに違いない。



俺の命を守る任務を請け負えば、特別手当てが支給されていたようで。



呼んでもらってありがとうとよく言われたのはそのせいだったのかと、最近知った事実。



「あら、殿下。お久しぶりでございますね」

「リリーか。久しいな」

「まぁ、噂の正妃様?お初にお目にかかります、リリーと申します」



ペコリと頭を下げたアリスは、年齢不詳の魔女に戸惑っているようだ。



リリーはよく、俺の解毒をした魔導師で、薬師の資格も持っているので、何度も助けられている。



俺の安眠をいちばん守っていたのもリリーだ。



最近めっきり呼ばなくなったから、会うのは久しぶり。



「リリーさんは、何をなさってる方なのですか…?」

「最近では惚れ薬の研究をしています」

「ほ、惚れっ⁉︎」

「ふふふっ、モテないボーイ達に高値で売れるのですよ。効果はどうかわかりませんけどね。正妃様もおひとついかがです?」



俺の妃相手に商売をするな。



リリーはこういうヤツだ。



魔法と薬の調合が趣味で、訳の分からない薬を作っていると聞いたことがある。



それを売りつけ、儲けでまた実験をすることを楽しみとしているらしい。



「そんなものはいらん」

「おや、お熱いこと。怯えながら眠っていた頃が懐かしゅうございますな、殿下」

「…………相変わらず俺をバカにするのだな、年増め」

「あらあら、怒らせてしまったわ」



ちっとも悪いと思ってないではないか。



昔からリリーはこういうことを誰にでも言う女だった。



見た目の美しさと、並外れた知識の持ち主のため、周りからは一目置かれているようだが。



「あっ、そうだわ‼︎正妃様、新しい薬品を作ってみたのですけど、お試しにならない?」

「薬品ですか…?どんな効果が…?」

「美容効果があるのですよ。騙されたと思って、飲んでみてくださいな」

「あり、がとうございます…」

「では殿下、またそのうち」



本当に年齢不詳だな。



俺の眠りを守っていた頃と全く変わっていない。



皇子に嫁いだけど、皇子は女嫌いでした

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