もうそばにいるのはやめました。



ウソ!

なんで。
どうして。


み、見間違いじゃないよね……?



陰からそうっと覗いてみる。


……やっぱり見間違いじゃない。

円だ。



「どうして……」



これまでここに来店したことなかった。


どうして今日来ちゃうの。



円はバイオリンの置かれた場所をじっくり観察したあと、楽譜の並ぶほうへ移動した。


気に入った楽譜を1冊手に取り、軽く目を通し出す。



この楽器店には楽譜が豊富にある。

ピアノ専用の楽譜、バイオリン専用の楽譜、古い物から新しい物まで種類が多い。



「もしかして……」



文化祭のエンディングのために曲選びだったりバイオリンのお手入れだったり、円なりに頑張ってるのかな。


断ったってよかったのに。


穂乃花ちゃんが説得してくれたの?

それとも快く引き受けてくれたの?



わたしの勝手な提案が、円を無理させてない?



不意に円が辺りを見渡した。


条件反射で頭を引っこめる。



……ば、バレてない?



「……あいつはいないか……」



静かな店内だからだろうか。


小さな呟きを簡単にすくい取れた。




あいつって……わたしのこと?


円がわたしを探してる。

……わたしに、会いたがってる。



くらくらした。


めまいじゃない。

もっとやっかいな病のせい。



『俺は今までどおり、お前と……!』


『わたしは今までどおりなんて望んでない!』



円にきつく言い返してしまったばかり。


わたしのわがままを押し付けてもなお、円はわたしを避けない。



こうやって会いに来てくれる。


だけどわたしのことは好きじゃないんだよね。



わたしだけ「好き」を募らせてる。


そこに「だった」を足すのは

数学みたいに簡単じゃないんだよ。



円は知らないでしょ。


わたしがこんなに悩んでること。




「すいません」


「はい?」



手入れ用のクリーナーと1冊の楽譜を持って、円が店長に声をかけた。



「竜宝さんって今日いますか?」



て、て、店長おおお!!

レジのほうを向いた店長に、手で大きく「×」の印を作る。


だめ!だめです!


頭がもげそうなくらい左右に振る。



いないってことにしてください!



円もこちらを見てきて、すぐさま隠れた。


お願い、店長!



「竜宝でしたら今日はいませんが、なにか用事がございましたか?言づてがあればたまわりますが」


「あ、いないならいいんです」




た、助かったぁぁ。


店長ありがとうございます!



「バイト休んだのか……」



同居してたころに毎週何曜日にバイトがあるか、一応円に報告していた。


そのことを思い出して今日来たのだろうか。



心なしか円は安心していた。


円も心配してたの?

お母さんや店長と同じように、体調が悪かったわたしを。



「そちらはご購入されますか?」


「はい」


「ではこちらへどうぞ」



店長の目配せで、そそくさとレジから離れる。


お金を払った円はそのままお店を出て行った。



「はぁ……」



円がお店の前を通り過ぎたのを確認し、胸を撫でおろす。


見つからずに済んでよかった。




「店長、すいません。ありがとうございます」


「どういたしまして。さっきの子はお友だち?」


「……クラスメイト、です」


「ケンカでもしたの?」


「ええ、まあ……」


「早く仲直りしなよ?」




返事はできなかった。


これはケンカなのかな?

わたしだけ気まずくなってるだけ。避けてるだけ。


初恋を引きずってるだけ。



仲を直したって、クラスメイト以上にはなれないだろうな。






青い空!白い雲!


まさに文化祭日和!!




「ようこそ、わが校の文化祭へ!」



校門前で文化祭のパンフレットを配る。


開場時間からここに立ってるけど、すでに多くの来場者が遊びに来てくれてる。



お父さんとお母さんはあいにく仕事。

バイト先の店長と奥さんはちょうどさっき来てくれた。


パンフレットを手渡ししたとき、ちゃっかりメイド執事喫茶をおすすめしちゃった。




「寧音ちゃん、お疲れさま」


「ナツくん!お疲れさまです!」


「ずっと立ちっぱなしで大変じゃない?」


「ううん全然!お客さまとお話できて楽しいですよ!」




たぶん大変なのはナツくんのほう。


なんてったって文化祭実行委員の委員長だし。

わたしより何倍も仕事があるんだろうな。



「頑張り屋な後輩に、はい」


「へ?……はうっ」


「ごほうび」



口になにかを入れられた。


……甘い。

チョコレートの味。



「おいしい……!」



お昼どきだったしちょうどお腹空いてたからなおさらおいしい!



「でしょ?うちのクラスで売ってるチョコバナナだよ」


「チョコバナナ?」


「バナナにチョコレートをコーティングしたもの。うちのとこは一口サイズにしてるから食べやすいでしょ?」




初めて食べた。


チョコバナナっていうんだ。

普通はこのサイズじゃないのかな?


あとで時間があったらまた食べようっと!



「あ、チョコついてるよ」


「えっ!?どこどこ!?」


「こーこ」



口の端っこについたチョコを、ナツくんが指で拭ってくれた。



こういうところ……やっぱりお兄ちゃんだなぁ。


昔から変わらない。



わたしとナツくんとナツくんの弟で遊びまわってたのがなつかしい。




「ここはもういいよ。次の担当の委員がもうじき来るだろうし」


「でもまだパンフレットが……」


「あまったパンフレットはクラスに戻るときついでに校内で配って。生徒の中にもパンフレットが欲しい人いると思うから」


「わかりました!」


「クラスの仕事も頑張ってね」




ガッツポーズをするナツくんに、同じポーズを返す。


パンフレット片手に校内へ駆けていった。



「あっ!」



わたしのいなくなった校門前。



校舎に入って見えなくなったわたしの背中から、ナツくんの視線がはずれる。


声のした方向にずらせば、紺のキャップをかぶる男の子を対面する。



ナツくんは意地の悪い笑みを浮かべた。



「兄ちゃん!」


「あー、ひと足遅かったな。さっきまでここにお嬢さまがいたのに」


「えええ!?」







――あれ?今……


聞き覚えのある声がした気がしたんだけど……。




「気のせい……かな?」




「すいません!そのパンフレット、もらっていいですか?」


「は、はい!どうぞ!」



すれちがいざまに最後のパンフレットを女の子に渡す。



ナツくんの言ったとおり、パンフレットを求める生徒がたくさんいた。


それなりに残っていたパンフレットがあっという間になくなっちゃったよ。



「ねぇねぇ、ここ行ってみようよ!」


「いいね!行こ行こ!」



女の子たちが、さっきあげたパンフレットを見て盛り上がってる。



いつもとちがってカラフルな校内。

明るくにぎやかな生徒。


あちこちから楽しげな声が響く。



お嬢さまのときに通っていた学校のイベントとは雰囲気がちがうけれど、こういうお祭りもキラキラしてていいな。



文化祭実行委員の1人として頑張って仕事してきてよかった!


努力がむくわれた気がするよ!



「クラスにもちゃんと貢献しなきゃ!」



よしっ!と気合いを入れて、廊下を進んでいく。



あっ、あそこのおばけ屋敷、面白そう!

あの子の持ってるのなんだろう。おいしそう……。

あっちでコスプレできるの!?メイド以外にもなりきってみたい!



……なんてよそ見をしていたら、歩くスピードが遅くなっていた。


誘惑が多すぎる……!!




なんとか教室に着いた。


メイド執事喫茶は大はんじょう。


列ができてる。



「あっ、寧音ちゃん!今人手が足りてないの。着替えたらすぐ来てくれる?」


「わ、わかった!すぐ行く!」



教室から顔を出した穂乃花ちゃんに急かされるがまま、教室の近くにある更衣室へ駆け込んだ。



誘惑に負けてる場合じゃなかった……!


急がなくちゃ!



ブレザーの制服を脱ぎ、昨夜やっとの思いで完成させたメイド服に着替える。



ひざ上のミニスカート。

胸元にリボン。


わたしが唯一持ってるワンピースよりフリルが多い。


不思議の国のアリスのようなメイド服。



わたしの家に仕えてくれていたメイドよりちょっと……いや、だいぶかわいい服になった。



「かわいすぎないかな……?」



自分で作ったとはいえ、ちょっと不安。



今日こそはと奮闘したヘアセットは、相も変わらずクセがついていてくるくるしてたり、ぴょんとはねてたり。


直す時間ないし、カチューシャをつけてごまかしちゃえ!



「……もっとメルヘンチックになった……」



け、けど、しょうがない!

行くしかない!!


意を決して更衣室を飛び出した。




教室に戻り、接客係と合流する。



あの行列を見て覚悟はしていたけれど……ファンシーなテーブルクロスをかけた席はひとつも空いてない。


教室内はお客さまで埋まっていて、クラスメイトは予想を超えた仕事量にあわただしくしてる。


席を追加したり、使い果たした材料をほじゅうしたりしたようだ。



「穂乃花ちゃん、お待たせ!」


「寧音ちゃ……!!」



穂乃花ちゃんはこちらを向くと、なぜか一時停止した。


わあっ……!

穂乃花ちゃんすっごくかわいい!


ロング丈のメイド服だ。


クラシカルで大人っぽい。

ロングストレートの髪型とも合ってる。



それに比べてわたしは……うん、馬子にも衣装。



「穂乃花ちゃんかわいいね。メイド服似合ってる!」


「…………」


「……ほ、穂乃花ちゃん?」



き、聞こえてる?


おーい!
とメガネの前で手を振る。



「ね、寧音ちゃん!!」


「はっ、はひ……?」



いきなり振っていた手をぎゅっと握られた。




「すっっっごくかわいい!!」


「……へ?」


「普段もかわいいけど、メイド服姿もかわいい!写真撮りたいくらい!ていうかあとでたくさん撮ろうね!?」


「う、うん……」


「ふふっ、照れてる顔もかわいいよ」


「……あ、ありがと……っ」




何回も「かわいい」ってほめられた。

しかも美人な穂乃花ちゃんに!


照れちゃうな。




不安がきれいさっぱり吹き飛ぶ。


指をぎせいにしてまで作ってよかったよ!



「とびきりかわいい寧音ちゃんには入口を任せようかな。テーブルが空いたらお客さんを案内してくれる?」


「入口ね!わかった!」



昨日の準備時間でシミュレーションはばっちり。


それにほめられたからやる気も十分!

なんでもお任せあれ!



早速出入口の扉前に立つと、



「あの、すみません」



列の先頭に並んでる女の子のグループに声をかけられた。



「どうなさいました?」



「相松くんって今いますか?」

「彩希くんは!?」

「もしいたらその2人にもてなされたいんですけど……!」

「どっちかでいいんで!!」



迫力がすごい……!


キラキラじゃなくてギラギラしてる。



円と武田くんって本当に人気だなぁ。



「も、申しわけございません。ただいま2人は外に出ていまして……」



「え」

「ふ、2人とも!?」

「ショック……」

「しゃべりたかったな……」



全員うなだれて落ち込んだ。


ど、ど、どうしよう!

テンション下げちゃった!


たしか仕事で作ったクラスのシフトだと、2人は30分前くらいから宣伝に行ってるはずから……。



「あっ、あの!で、ですが、もう少ししたら戻ってくると思いますよ!」