そう……かな。
わたし、変わった?
「1人で大丈夫だったか?」
「……1人じゃなかった。円も一緒だったから、楽しく過ごせたよ」
お父さんとお母さんがうしろにいる円を見つめた。
「円くん、うちの娘と仲良くしてくれてありがとう」
「慣れない環境で娘がずっと笑顔で暮らせたのは、円くんのおかげよ。本当に、本当に、ありがとう」
「い、いえ、そんな……!」
深々と頭を下げる両親に、円は焦った様子で頭を振る。
……わたしも。
伝えなくちゃ。
ありがとう、って。
「あ、あり……」
「それじゃあ寧音、一緒に帰ろうか」
言い切れなかった。
ううん。
言い切っていても、小さすぎて届かなかった。
「円くん、本当にありがとう。これ以上長居しては迷惑だろう」
「学校でも娘をよろしくね。おじゃましました」
ダンボール2箱を抱えたお父さんに続けてお母さんも外に出た。
わたしもここを出たら、同居が終わる。
当たり前になってた関係が終わっちゃう。
わたし、まだ、気持ちを伝えてない。
「寧音ちゃん……?」
「お父さん、お母さん!少し外で待ってて!」
ギィ、と取っ手を引いて閉ざした。
不思議。
初めてここを訪れたときよりも緊張してる。
「……寧音?」
また、名前。
普段はあんまり呼ばないくせに。
今日はたくさん呼んでくれるんだね。
最後だから?
「……っ、ま、どか」
弱い声。
同居最終日に聞く声がこれじゃあ格好つかないね。
ぴんと背筋を正して、気を引き締める。
大丈夫。慣れてる。
お嬢さまだったとき、よくこうして強がってた。
「さっきは急に……ごめんね」
「い、いや……」
「今までありがとう」
今度はいい笑顔を作れたはず。
頬も口角も上がってるしカンペキでしょ?
だからどうか本心を見破らないで。
「同居も終わることだし、これからはもうそばにいるのはやめるね」
「……え?」
「円も世話焼かないでいいよ。ずっと迷惑かけてばっかりだったでしょ?ごめんね。明日から学校始まるけど、迷惑かけないように頑張るから!」
もう頼らない。
頼れない。
円の優しさが、苦しいの。
『まあでも……寂しくなったら、イタ電でもしてうぜぇくらいかまいに行ってやるよ』
せっかくめずらしく素直になってくれたのに、あれだけうなずいたのに拒んでごめん。
だって、振られてもそばにいていい理由なんか、知らない。
出会ったときから今までずっと“友だち”じゃなかった。
同居人で、クラスメイト。
苦手な男の子から、好きな人。
今さら「友だちとしてよろしく」ってお願いしてもわからないよ。
友だちの距離感ってなに?
好きな人から友だちに変えるにはどうしたらいいの?
そばにいるのをやめたら「好きだった」になる?
「じゃあ……また明日、学校でね」
わたしと円に”さよなら”はなかった。
朝も夜もそばにいた。
『おはよ、円』
『……はよ』
『バイト行ってきまーす!』
『いってら』
『ただいま』
『あっ、おかえり!晩ご飯できてるよ!』
『また焦がしたりしてねぇか?』
『今日は早く寝よっと。おやすみ〜』
『ああ、おやすみ』
”さよなら”がこんなに辛いものだなんて思わなかった。
円にこの家の鍵を返した瞬間、笑顔が崩れる。
返事を待たずに扉の向こう側に逃げた。
「寧音、お別れは済んだのかい?」
「うん……」
待っててくれた両親と並んで歩く。
マンションが遠のくたび、振り返りたくなる。
円が追いかけてくるわけじゃないんだけど。
未練がましいな、わたし。
「父さんと母さんな、あっちのホテルで働いてたんだぞ。母さんがレストランでピアノを弾いて、父さんが演奏やショーのプロデュースと下働きをしてたんだ」
「そこでたまたま担当の方が声をかけてくださってね、トントン拍子で話が進んで、日本にある系列のホテルでも演奏やそのプロデュースをさせてもらうことになったのよ」
「秋ごろには寧音を迎えに行きたいとは思っていたが……まさか本当にこんな早く帰ってこれるとはな。相松には感謝しかないよ」
「そうね……。あっちでも相松にはお世話になったわ。相松だけでなく息子さんにも…………寧音?」
「なあに、お母さん?」
「……どうして泣いてるの?」
泣いてる?
……あ、本当だ。
目頭に当てた指先が濡れてる。
どうりで視界がぼやけてるわけだ。
「寧音?」
「寧音ちゃん……寂しかったの?」
「っ、……う、ん。そうかも」
お母さんが背中をさすってくれても、涙腺はしばらくゆるんだままだった。
寂しかった。
すごく、寂しい。
それは、どうして?
今日はいつにも増して髪がくるんくるん。
調子がよくない。
……全体的に。
「ホームルーム始めるぞ」
始業式から戻ってきた教室。
夏休み明けだからか、どことなく明るい。
振られてなかったらわたしも明るかったんだろうけど……。
「はぁ……」
「ほう、新学期早々ため息か」
「!」
しまった!
不敵に微笑する先生を前に、あわてて丸まっていた背を伸ばす。
わたしの席は教壇の正面。
先生から一番よく見える席。
この席になって何度注意されたか……。
「たるんでるな」
「す、すみません!」
「ネクタイもゆるんでるぞ」
「すみませんんん……!」
1年生は赤チェックのネクタイ。
これでも10回くらい直した。
直して直して、このヨレヨレぐあい。
いつもなら最終的に円に頼んでいた。
だけど今日からは1人でやらなくちゃ!
もう一回結び直してみる。
……結果は、やっぱり下手くそ。
先生、これで許してください。頑張ったんです。
「センセー、竜宝さんがテンション低いのは新学期になってもそこの席だからじゃないっすか~?」
一番うしろから一段と陽気な声が響いた。
反射的に顔を向ける。
助け船を出してくれたのは、武田くん。
男女問わず人気のあるムードメーカーだ。
パーマがかった色素の薄い茶髪。
ちょっと着崩した制服。
彼の存在感も相まっておしゃれに感じる。
円とは小学校からの友だちで、親友らしい。
もちろん円だけじゃなく、クラスメイト皆と仲がいい。
『竜宝ってめずらしい苗字だな。なんかかっけー』
入学当初、円しか知り合いのいなかったわたしに、初めて話しかけてくれたのが彼だったっけ。
「そろそろ席替えしましょーよー」
武田くんの提案に、次々と賛同の声が上がる。
「最初からそのつもりだ。席替えしたら文化祭について決めるからな」
席替え!
そしてきた、文化祭……!!
さらに周りがにぎやかになる。
わたしのテンションもちょっと上がった。
くじ引きで決めた新しい席。
わたしは窓際から2列目のうしろから2番目。
やった!うしろだ!
わたしのクラスは男女男女と列を作っているため、隣は必然的に異性になる。
隣の席は誰になるんだろう。
「お、隣は竜宝さんか」
隣の席に移動してきた武田くんが椅子に座った。
次の隣は武田くんか!
「よろしくな~」
「うん、よろしくね武田くん!」
「……あれ?」
灰色の目がわたしから真うしろへ移った。
つられてわたしも武田くんのうしろの席を見やる。
……え。
「円、ここなん?」
「あ、ああ……」
「前後じゃん!やったね!宿題うつしやすくなった~」
「おい。見せねぇからな」
「そう言っていっつも見せてくれるくせに~」
ななめうしろが、円……!?
円と目が合いそうになってすぐさま前を向いた。
そばにいるのやめたばっかりなのに。
神さまの意地悪。
この席じゃ嫌でも声が聞こえちゃう。
意識しちゃうよ。
「円の隣は……」
カタン、と。
椅子がずれる音がした。
あぁ、心臓に悪い。
「あたし、です」
「おぉ!斎藤さんかー!学級委員がそろったな」
ふと肩をトントンとつつかれた。
円のほうを見ないように反対向きで振り返る。
「前後同士よろしくね、寧音ちゃん」
「う、うん!よろしく、穂乃花ちゃん!」
穂乃花ちゃんは“ヤマトナデシコ”をそのまま表現したみたいなきれいな女の子。
ぱっつん前髪に、サラサラストレート。
胸元まであるミルクティー色の髪はつやつやでうらやましい。
夜空のような色のメガネフレームもかわいいし、似合ってる。
美人でおしとやかで
そのうえ円と学級委員をやってる。
……もしかして、円の忘れられない人って、穂乃花ちゃん?
ちがうクラスの子?
先生?
知らない子だったらいいな。
だって知ってる子ならヤキモチ妬くに決まってる。
勝手に嫉妬して、「好き」を消せない。
「つーか円と竜宝さん、なんか夏休み入る前と雰囲気ちがくね?」
「そういえばそうだね。2人って兄妹みたいに仲良かったのに……なにかあった?」
ギクリ、と肩が揺れて
ズキリ、と胸が痛んだ。
梅雨明けごろに一度、わたしと円が同居してるんじゃないかといううわさが広まったことがあったのを思い出した。
『一緒に同じマンションに入っていくの見たって人がいるんだけど』
『どうなの!?』
『付き合ってるの!?』
あのときはさんざん質問攻めされた。
全否定したけど。
今ならあの否定もウソにならないね。
『えー、ちがうの?』
『てっきり付き合ってると思ってた』
『2人仲いいもんね』
クラスメイトが不服そうにするくらい、わたしと円の距離は近くなっていたらしい。
それがうれしくて。
『寧音ちゃんは相松くんのこと好きじゃないの?』
当たりさわりない質問にドキッとした。
スキ。
恋愛感情の「好き」。
――きっと、あのとき、自覚したんだ。
「なんもねぇよ」
それだけ呟いた円が冷ややかに感じたのは気のせいじゃない。
告白して振られて、同居が終わった。
そう正直に答えられるわけがない。
……ない、のに
円の口から”なにもなかった”って言われたのが想像以上に辛かった。
なにもない。
なかったって、わたしも断言したい。
なくなってしまえ。
無意識に頭を埋め尽くしてる「円」も。
全部、全部。
関係は元に戻らない。
だから、せめて、ただのクラスメイトになりたい。
『同居も終わることだし、これからはもうそばにいるのはやめるね』
ああ宣言するだけじゃだめなのかな……?
「席も決まったことだし、今度は文化祭について決めてくぞー」
ずいぶん遠くなった黒板に、白い文字が書かれていく。
文化祭実行委員。
文化祭におけるクラスの責任者のことだ。
「委員に立候補する人はいるか?」
文化祭の委員会かぁ……。
たぶん忙しいよね。
クラスのリーダー的存在になるんだし。
……ていうことは、仕事のことで頭がいっぱいになるんじゃない?
円のことを考える余裕もなくなるんじゃない!?
わたしって天才かも!!
「はいっ!」
「お!竜宝、立候補するか」
「全力でやらせていただきます!」
「賛成の人、拍手」
先生の一言で拍手が起こる。
誰かを頼るんじゃなくて、誰かに頼られる。
そんなリーダーになりたい!
「もう1人、やりたいやついないか?」
委員会は各クラス2人ずつ。
あと1人、誰になるんだろう。
「円、やんねぇの?」
「……なんでだよ」
武田くんと円の会話が、文化祭に切り替えたばかりの脳内に直で流れ込んでくる。
うわーん!席近いせいで聞こえちゃうよおお!!
「竜宝さんの世話係じゃん」
「誰が世話係だ。なった覚えねぇよ」
「ふーん?じゃあ円クンはジェントルマンだったのか~」
「くん付けもジェントルマンもやめろ。そう言う彩希がやればいいじゃねぇか」
「やってもいいんだ?」
「…………いいっつってんだろ」
「ふはっ。なに今の間」
わーわー!わたしはなにも聞こえませーん!!
精神統一!南無阿弥陀仏!
じゅげむじゅげむ……!
「んじゃあ俺やっちゃおうかな~?」
「あの……!」
武田くんの独り言にソプラノがかぶさる。
透明感あふれる、穂乃花ちゃんの声。
……声までかわいいの、ずるいな。
「斎藤?どうした」
「あたし、立候補します。男女1人ずつって決まりはないですよね?」
「女子2人でもいいにはいいが……斎藤には学級委員の仕事もあるだろ。大変じゃないか?」
「大丈夫です」
「……まあ、本人がやる気なら反対はしないが……。皆もいいな?」