校舎までやってきた二人の前には、見たこともない惨状が広がっていた。
元からツタに覆われていた壁は更に太いツルや植物のトゲに覆われ、毒々しい花々があちこちで咲き乱れている。
紫色の煙が薄く校舎全体を覆いつくし、まるで植物に占拠された廃墟を思わせるような光景だった。
「ほんの数時間でこれは有り得ない……まさか狐男の仕業か……?」
マイケルが慄きながら呟くと、イデアが素早く振り向いて僕の肩を掴む。
「狐男⁉ マイケル、貴方その人に会ったの⁉」
「う、うん……昨日の帰り道、偶然出くわして……!」
「何てこと……それじゃあもう『復讐』は始まってしまっている……!」
「『復讐』……⁉」
「ええ、そう。昨日貴方が帰った後、私も教会の前で狐男に出会って……そして宣告されたの」
「三つの『試練』を乗り越えない限り、私たちは永久にここから出られない」
僕とイデアは昔、友達だった。
あまりに遠い記憶の向こうの話だけど、でもそれだけは確かなこと。
イデアはよくあの秘密の花園で花の髪飾りを付けて笑っていた。
僕はそんなイデアを見ているのが大好きだったんだ。
ずっと傍にいたかった。この時間がずっと永遠に続いていくと思っていた。
イデアはなぜかその秘密の花園に僕以外を入れようとしなかった。当時、それはきっと僕が彼女にとって特別な存在だからだと思っていた。
だからこそ有頂天になっていたところもあったのだと思う。イデアだけだが僕を見てくれる、僕だけがイデアを守れると、そう信じてやまなかった。
たかが六歳の子供に、何も守れるはずなどなかったのに。
焼け落ちていく教会の前で、僕は必死にイデアの名を叫んだ。
だけど彼女はどこにも見当たらなくて、大人たちに無理やり連れ出されてしまった。
最後に見たのは、教会から出て行く朧気で大柄な黒い影。
そこから先の記憶はほとんど残っていない。僕はイデアのナイトになれなかったのだから。
だから今度こそ果たすんだ――イデアが背負う過去と罪の救済を。
マイケルはイデアの言葉を聞いた時、熱に浮かされた様に二の句を継いだ。
「試練というのは……君が持っている不思議な力に関することだよね?」
イデアが僕を見つめ、静かに頷く。
「ええ、きっとそうだと思う」
「もう少し詳しく状況を話してくれ。今のままでは情報が足りない」
マイケルが促すと、イデアは少し躊躇う素振りを見せてから言った。
「さっきも言った通り、昨日のあの夜狐男に会ったの。彼は今の私の姿を何て惨めなんだと嘲笑い、それからこう言ったの。『君には罰が必要だ。贖罪という名の罰が。その罰を持って、俺の復讐は果たされる』」
「贖罪って……イデアは何も悪いことなんかしてないのに」
確信に満ちた声で言うマイケルに、しかしイデアは何も答えなかった。
「あの男は贖罪が成されるには三つの『試練』を乗り越える必要があると言った。その『試練』が終わらない限りこの学校から逃がさない、と。きっとこれが、あの男の言うその『試練』何だと思う」
「ならそんな試練無視してここから出よう。狐男の言いなりになる必要はない」
「ダメ……校門にもツタがしっかり絡まってて、とても出れそうにない」
「ならどこかに隠れて助けを待とう。イデアが『贖罪』をする必要なんてないよ」
「それもきっと無理。さっき突然人がいなくなったでしょう? ここは私たちしかいない異空間なんだと思う。『試練』を超えない限り決して脱出出来ないはず」
しかし、そんなイデアの言葉を裏切る様に――突然、校舎の扉が開いた。
「誰?」
振り返ると、昨日の朝話しかけてきたクラスメート三人がゆっくりとこちらに歩いてくるところだった。
「君たち、無事だったんだね……!」
マイケルが顔を綻ばせながら近づく。
「もしかして校舎には他にも生き残りがいるの? だったら……」
「マイケル! 危ない!」
イデアが叫んだ瞬間、赤毛の生徒が素早く後ろ手に持ったナイフでマイケルを切りつけた。
マイケルは危うくイデアに袖を引かれたおかげで難を逃れる。
「ちょっと、何するの⁉ まさか毒気にやられて頭がおかしくなったのか⁉」
仰天するマイケルに、イデアが冷静に告げる。
「違う、きっともう『試練』は始まってるの。彼らはいつもの彼らじゃない」
「だからどうすればいいんだ⁉ 生徒を傷つけることなんて出来ないよ!」
マイケルが叫んだ瞬間、再び彼がこちらを切りつけてきた。その顔に生気はない。
淀んだ瞳の向こうに映るのは底なしの暗闇だ。
「待って……今解決策を探してるから時間を稼いで欲しい」
「そんな無茶な……!」
ただでさえ体が弱く非力なマイケルが出来ることは少ない。
おまけに向こうは三人がかりだ。
マイケルは辺りを見話してサボテンに似た植物を見つけると、それを力任せに引き抜いて投げつけた。
「ぐああっ!」
赤毛の生徒の顔面に直撃してその場に崩れ落ちる。だが今のでマイケルの手は血まみれだ。
マイケルはもう片方の手で再び二つ目のサボテンを掴むと、激痛を堪えて投げ告げる。
二発目が二人目の生徒の肩にヒットし、動きが止まる。
「私に許された力……鏡、箱庭、炎剣……でも剣は私には使えない……」
「イデア! もうこれ以上は無理だよ!」
「生徒は普通人を襲わない……つまり真実の姿じゃない……ならそれを映し出せれば!」
イデアはマイケルの前に飛び出ると、目前まで迫った生徒二人に手をかざした。
「あるべき姿に戻って! ――『ウリエルの鏡』!」
瞬間、彼女の手が鏡に反射した光の様に輝いて二人を映し出し……それが収まった時は、生徒は四つん這いの無害なヤギに変貌していた。
「ヤ、ヤギ? イデア、今のは……⁉」
「私には生まれつき三つの力があるの。今のは『ウリエルの鏡』。対象の人物の真実の姿を曝け出す。昔、マイケルにも使ったでしょう?」
「え? ああ、そう言えばそうだったね」
箱庭で初めてイデアに会った時を思い出すマイケルの前で、イデアがヤギを見下ろす。
「彼らの場合はヤギ……悪魔の象徴ね」
「だから僕たちを襲ってきたのか……」
マイケルが呟いた瞬間、バンッ! と一斉に校舎のドアが開いて、大勢の生徒たちがナイフを片手にこちらへ疾走してきた。
「イデア、話は後だ! 今はこいつらを何とかしないと」
「で、でも、一度にこの数を相手に力は使えない! 一回の発動に三人を変えるのが限度よ!」
「ならこっちに来て!」
マイケルはイデアの手を引くと、毒々しい草木で覆われたイングリッシュガーデンの中に逃げ込んだ。
そのまま庭を突っ切り、校舎を目指す。
これだけの数が出てきたということは校舎内は今空っぽのはずだ。
なら逆にこちらが校舎に逃げ込めば勝機はある。
ツタやトゲが邪魔して思うように追いかけられない生徒を尻目に、二人は校舎内へ転がり込んだ。
先頭の追手が二人に襲いかかったが、イデアが『ウリエルの鏡』を発動してヤギに変え、難を逃れる。
「……上の階へ逃げよう……ここにいたらすぐに見つかる」
ゼェゼェと息を切らすマイケルにイデアが頷き、二人は上の階へ急いだ。
二階の教室へ逃げ込んだマイケルは、サボテンを握りしめた両手の手当てをしてもらっていた。
体の弱いマイケルからすればこの程度の距離の逃走すら辛い。そして、そんな不甲斐ない自分を彼は責めた。
こんな様ではイデアを守れない。
「ごめんね、傷を癒す力もあるんだけど、時間がかかってしまうから」
「大丈夫だよ。これくらい包帯で巻いておけば何ともない」
校舎の外では、生徒たちがゾンビの様に彷徨して二人を探している。
校舎内には予想通り生徒はいない様だった。しかしこのまま隠れていても自体は進展しない。
これは『試練』なのだ。何とか打開策を見つけ出す必要がある。
「……あそこにいる大量の生徒たちを全員ヤギに変える、とかじゃないよね?」
イデアの呟きに、マイケルは首を振る。
「現実的じゃないし、そもそも何の解決にもなってない。これは『試練』であると同時に『贖罪』なんだ。イデアが何かしら贖罪に繋がる行動を取らなきゃダメなんだと思う」
「贖罪……」
イデアの深海の様な目が、深く沈んだ。
「贖罪って、何だろう」
「イデア?」
「あの事件以来、私は人生に意味を感じたことなんてない。あるとすればそれは誰かに償うこと。だから一生懸命教会の仕事やミサには参加した。けれどそれで私の罪が償われるなんて思ったことは一度もない」
「イデア……」
「ねえマイケル。私はどうしたらいいの? これがもし私が罪を償う為の試練なんだとしたら、私は何でもする! だからお願い、私にその方法を教えて!」
縋るような目で言われ、マイケルは言葉に詰まった。
イデアが盲目的なまでに『贖罪』に固執していることは知っている。
だが、マイケル自身も彼女の道しるべになるような考えは思いつかなかった。
というよりも……マイケルはイデアを知らな過ぎる。
僕はとっくに眼帯の件に関しては彼女を許している。ならば、一体イデアは何を償おうとしているんだ。
教えて欲しい。もっと僕は彼女のことが知りたい……
「ねえイデア――」
マイケルが口を開きかけたその時。
コツ……コツ……
「……⁉ 誰か来る!」
マイケルが人差し指を口に当て、耳を澄ます。
靴を履いた何者かは、この教室を目指して真っすぐにやってくる。明らかに二人がいることに気付いている様子だ。
マイケルは頷くと、イデアは教室のドアに向かって掌をかざした。
生徒が一人なら問題ない。すぐにヤギに変えて、居場所を移せば済む話だ。
しかし――次の瞬間、ゆっくりと開かれたドアの向こうの人物を見つめて、思わずイデアは声を震わせた。
「え……どうして……!」
イデアの前に立っていたのは、イデアと瓜二つの彼女自身だった。
「どうして……私が……!」
「決まっているでしょ? これが『試練』だから」
そう言ってもう一人のイデアは躊躇なく教室に入り、震えるイデアを睥睨する。
「私たちはどんな姿にだってなれる。もちろん貴方も例外じゃない」
「イデア! 何してるの、早くそいつを変えないと!」
マイケルが叫びながら立ち上がるも、イデアはもう一人の自分を見上げたまま動かない。
「イデア! どうしちゃったんだよ、そいつは敵だ!」
「残念。彼女はもう貴方の声は聞こえないみたい」
「くそ……!」
マイケルは教室の椅子を力任せに投げつけたが、偽イデアはそれを片手で容易く受け止める。
「私に普通の攻撃は通用しないよ。それはそこの小娘も分かっていることでしょう?」
「イデア! 逃げろ!」
「フフッ……叫ぶことしか出来ないなんて、無力なナイトね」
そして偽イデアは突然、イデアの首を掴み上げて宙づりにした。
「うっ……げほっ……!」
「やめろおおおおおおお!」
マイケルは椅子を掴んで思いきり偽イデアの後頭部に叩きつけるも、なんと椅子の方が木端微塵に砕けてしまう。
「言ったでしょう? 私に普通の攻撃は効かないって」
「イデアを放せ! 放すんだ!」
「彼女のその気がないなら、それは無理みたいだね」
その言葉に、ハッとしてマイケルはイデアに叫ぶ。
「イデア! 今すぐそいつに『ウリエルの鏡』を!」
「………………」
「イデア⁉ 何してるんだ早く!」
「フフフ……アッハッハッハ!」
二人の狭間で、偽イデアはさもおかしそうに哄笑する。
「無駄無駄無駄! 無駄だよ! だってこの小娘には私を『映す』勇気がないから! だってそうでしょう? そうやってずっと十年間『私』から逃げ続けてきたんでしょう? だったら無理に決まってるじゃん!」
「イデア……どうしてなんだよ……!」
もはやマイケルには、イデアに祈るしかなかった。
「一緒に試練を乗り越えるんじゃなかったのかよ……どうして僕に謝ったりなんかしたんだよ……その結果がこれなのか? こんな結末なら僕は、イデアに出会わない方が良かった……!」
そんなマイケルの吐露に、顔面蒼白となりながらイデアは首を傾け……涙交じりに笑った。
「マイケル……ごめんなさい。やっぱり私は、貴方には償えない」
バタン! と偽イデアは突然乱暴にイデアを突き放した。
ゴホッゴホッ! と派手にむせ返るイデアを無視して、偽イデアはマイケルに向き直る。
「あーあ……誰も彼もメソメソして、本当にくだらない。……憂さ晴らしに、貴方にも罰を与えてあげなきゃ」
刹那、偽イデアは素早くマイケルに肉薄すると今度は彼の首筋を容赦なく掴み上げた。
「ぐっ……ううう……!」
「や、やめて! マイケルには関係ないでしょ!」
イデアが我に返って叫ぶと、偽イデアは無表情のまま凄む。
「やめないよ。貴方がそうやって逃げ続ける限り」
「イデア……僕のことは置いて早く逃げて……!」
「今度は自己犠牲? 全くもう……本当に貴方たちは私をイライラさせてくれるね」
マイケルより十センチ以上も小さい少女は、彼を締め上げられたまま嘲り続ける。
「貴方はイデアを守り続けるんじゃなかったの? そこの小娘は贖罪を十年間も願っていたんじゃないの? なのにいざとなった何も投げ出して終わり? ふざけないで! そんな甘ったれた覚悟だったら私がこの手で壊してやるわ!」
そして、イデアの方を向いて白い歯を見せる。
「今度こそ、この男は殺すよ? 貴方は贖罪を果たせなかった、その代償をしっかりと見せつけてあげる」
「やめて……」
「貴方はこの男を死なせた罪悪感に一生苛まれるの。貴方はもう永遠に罪から逃げられない」
「やめて……」
「貴方は逃がしてあげる。『試練』も『復讐』からも何もかも解放してあげるわ。良かったわね、『たった一人の友達』が貴方を守ってくれるおかげで――」
そこから先の偽イデアの声は聞こえなかった。
イデアが手をかざし、『ウリエルの鏡』を解き放ったのだ。
「ぐああああああああああああああああああッ!」
偽イデアは醜悪な獣の様な声を上げて見る見る姿を変え――そして遂に、おぞましい巨大な蝙蝠の姿となって息絶えた。
「ハッ……ハッ……ハァ……!」
泣いているイデアに、マイケルは駆け寄った。
「イデア! 大丈夫か!」
「私はッ……! 私はッ……!」
イデアは泣いていた。
目の前に横たわる巨大な蝙蝠の姿を前にして。
それが元々イデアの姿をしていたという事実に、マイケルすらも衝撃を隠せない。
ここはプロテスタントのインデペンデントスクールだ。
ヤギ、蝙蝠……イデアが変えた生き物が宗教上何を意味するかくらい分かる。
ヤギは大悪魔ルシファーに仕えるバフォメットという悪魔の意味。そして――
蝙蝠は――そのルシファーそのものだ。
「イデア。気にする必要なんてないよ」
泣きじゃくる少女に、マイケルは声をかける。
「あれは『試練』が見せている幻影だ。君はルシファーなんかじゃない。それは一番イデアが分かっていることだろう」
イデアが最後の最後まで『ウリエルの鏡』を使わない理由はこれだったのだ。
彼女は気づいていた……きっと、自分自身に力を使えば醜悪な大悪魔の姿になってしまうと。
イデアはその事実に耐えられなかった。
「でも私は……あの姿を見たくなくて……一度貴方を見殺しにしようとした!」
光を溜めた目で見つめ返すイデアの肩に、手をそっと置く。
「でも最後は助けてくれた。だから君は悪魔なんかじゃない」
「マイケルは私を許してくれる?」
「言ってるでしょ? 僕は最初から君を責めてなんかいない」
「……ありがとう。マイケル」
彼女を励ますマイケルの肩からは……さっき偽イデアが受けた時、一緒に彼も少し光を浴びたのだろう。
小さな天使の翼が生えていることに、しかし二人とも気付かなかった。
「一つ目の試練はクリアしたみたいだね。校庭から生徒たちがいなくなっている」
どうやらさっきの試練は、イデアが自分と向き合ったことで『贖罪』と見なされたらしい。
窓から外を確認したマイケルは、その時イデアが修道服の左足を抑えていることに気付く。
「どうしたの?」
「実はさっき茨の庭を抜ける時に切っちゃって……」
暗くて見えなかったが、イデアの足の傷は思ったより深い。
だが生憎と、この教室に常備されていた包帯はマイケルの手の傷で使い切ってしまっていた。
「僕の治療をしながら自分の傷を隠すなんて……イデアらしいや」
「だ、だって私に出来ることはこれくらいしかないから」
項垂れるイデアの肩を軽く叩き、マイケルは立ち上がる。
「僕が薬を探しに行くよ」
「大丈夫よ。これくらい何とかなる」
「いや、この先の試練でまた走る場面を想定すると今治療した方がいい。だから絶対にここから動かないで、敵が来てもすぐ身を隠すんだよ?」
「……うん。いつもありがとう」
マイケルが教室を出て行ってしまった後、イデアはぼんやりと窓の外を眺めていたが…… やがて、聞き覚えのある旋律を耳にした。
この歌声はどこかで聞いたことがある。
声は外の校庭から聞こえてくるようだった。
マイケルからは動くなと言われているが……何故か、はやる少女の好奇心を抑えられずイデアは階段を降り、校舎を出た。
校庭は生徒がひしめいていた先ほどと打って変わって静謐だった。
たださっきから可愛らしい子供たちの歌声だけが真ん中の方から聞こえてくる。
相変わらず漂っている紫色の霧だけが不気味だったが、イデアは一瞬あの『箱庭』のことを思い出して穏やかな気持ちになっていた。
そうだ……この歌声はいつも箱庭から聞こえていたんだっけ。
でも私が近づくとみんなが怖がって歌うのをやめてしまうから、いつも教会から窓越しに聞いていた。
そう言う意味では私はいつだって一人だった……もっと聞きたい……もっと近づきたい……その一心でイデアが校庭中ほどの大木に歩を進めたその瞬間、歌声が止んだ。
まるで蜘蛛の子を散らす様に子供たちの歌声が消え、辺りが静寂に包まれる。
と、次の瞬間、頭上から耳障りなけたたましい女の叫びが聞こえてきた。
「やっぱりノコノコつられて出てきたのね! 寂しい一人ぼっちのイデアちゃん! 仲間に入れてもらえなくて残念だったブー!」
「……誰?」
イデアが油断なく身構えた瞬間……大木から縄で吊るされた影が躍り出て、彼女は思わず目を見開いた。
大木に吊るされていたのは……ピンクの女の子の服を着た醜い豚の子供だった。
それが、イデアを見下ろしながら血走った目を開いて滑稽そうに笑う。
「イデアちゃん久しぶり! もう十年ぶりかしら……ずっと吊るされて待ちくたびれちゃったブー!」
「あ……あ……貴方は……」
「どうしたのかしら? 感動の再会に声も出ないんでブーでちゅか?」
豚の子供は獲物を値踏みするように舌なめずりする。
「どうしてそんな顔をするの? 私がこんな風になってしまったのは全部アンタのせいなのに。こんな醜い姿に変えられて、仲間外れにされて首を吊らなきゃならないなんて……ほんっと、今すぐにでもアンタをスライスしてやりたいわ」
そして、豚の子供は腰元から分厚い肉切り包丁を取り出す。
「……でもアンタを殺しちゃってもつまんないわよねえ……そうだ! アンタと一緒にいたあのヒョロヒョロの男の子を襲っちゃうブー!」
「や、やめて!」
イデアが叫び声を上げる。
「私はどうなってもいい……でも、これ以上マイケルを傷つけないで! そもそも、マイケルの目は貴方のせいでああなったのでしょう?」
「はああああああ⁉ あれはアンタが私にこんな醜い魔法をかけたせいでしょうが! それを私のせいにするっていうわけ⁉ この汚らわしい魔女! 魔女! 魔女!」
豚の子供は喚き散らし、唾を吐く。
そして包丁でローブを切ると、見かけによらず重々しい音と共に着地して包丁を肩にかけた。
「はい今のでもう処刑決定! アンタは足にケガしてるし、あの男の子は病弱でしょ? だったらもう私になぶり殺されちゃうコース確定ブ~!」
「やめて! 殺すのなら私を殺して!」
「アンタを殺したって何も面白くないわよ! 大人しくそこで自分の無能さを嘆くのね」
「クッ……!」
イデアは破れかぶれで豚の怪物に『ウリエルの鏡』を使ったが、無駄だった。
「何をしてるの? 私はアンタのその力のせいでこんな姿になったのよ? 今更効くわけないじゃない」
「このッ……」
イデアは豚の怪物の腰元に飛びついたが、肉切り包丁の柄の部分で腹を叩きつけられ、無様に転がった。
「うああああああッ!」
「あはははははははは! 殺さないとは言ったけどこうしていたぶるのも楽しいものね! ほら! この! 醜い! 魔女風情が!」
ガン! ゴン! ドゴッ!
柄で何回も叩きつけられ、血まみれのイデアがぐったりと動かなくなると豚の怪物は満足したように校舎を見上げた。
「さて……そろそろいかないとメインディッシュに逃げられちゃうわ♪」