両親は僕が物心をつくまえにある理由から離婚をしてしまった。その理由は僕もよく分かってはいない。父親の顔も覚えていない。それ以来専業主婦だった母親は生活費を稼ぐために仕事を始め、年々その仕事の量が増えていった。僕が高校に上がる頃、母親は僕の大学にいくための費用を稼ぐために、毎日色々なところのパートをくんで朝早くから仕事に出掛けて夜遅くに帰るようになった。
──その頃だろうか、僕には色々な変化が起こった。僕が冷たい性格になったのもそのうちの一つだ。僕も高校に入るまでは、みんなと同じように放課後は友達と遊んで、休日では友達と朝早くに出かけて夜遅くに帰ってくるなんてこともたくさんした。学校でも、休み時間になれば友達と他愛もない話もしたし、授業中に先生の目を盗んでは友達にいたずらをするなんてこともあった。あの頃は今とは違ってかなり活発な少年だったと思う。他には高校に入って、アルバイトも始めた。僕のために毎日働く母の苦労を少しでも減らそうと飲食店で慣れない接客業もした。お客さんに文句もたくさん言われた。結局、僕には合わなくて書店でアルバイトをすることにしたけど。
そしてもう1つ変わったこと。
相手の過去が見えるようになった。
僕自身もファンタジーの世界か何かですかと言いたくなる。能力のことは誰にも言ってない。どうせ誰にも信じてもらえると思ってないし、信じてもらおうとも思ってはいない。知られない方が僕自身のためにも良いと思っている。それに、実際のところこの能力について僕自身も理解出来ていない。ただ一つ分かっていることは、相手と目を合わせたら過去が見える。
この特殊な能力が僕を冷たくした一番の原因かもしれない。
高校一年になって新しい教室で新しい人と出会って目を合わせた時、突然頭の中に相手の思い出が映像として浮かび上がってきた。それが僕の特殊な能力の最初だった。
それからと言うもの、何回か相手の過去を見るうちに能力のトリガーとなる物が目だと気づいた。能力のトリガーさえ知ってしまえばあとは楽だ。相手と目を合わせなければいい。その結果、誰とも喋ることがなくなり今の性格になった。
僕はソファーに座ったまま重くなった口を開いて言う。
「僕には相手の過去を見ることが出来る力があるんだ」
赤井さんは天井を見たまま黙って僕の話を聞いている。時計の針の動く音さえ聞こえる静けさの中、僕の声だけが部屋の中に反響する。
「正確には見ることが出来るって言うよりは、相手に相手の過去を見せる力があるんだ。まず最初に僕と目が合うと、相手は一瞬目の前が真っ白になって意識が飛ぶような感覚に陥るらしい。それが、赤井さんの僕と出会って目が合う度に一瞬意識が飛んだ原因。相手の意識が飛んでいる間は、周りから見ると相手は立ったまま真正面だけを見つめてる感じかな。だから意識が飛んでもいきなり倒れたりはしない」
「意識が飛んでたのってやっぱり偶然とかじゃなかったんだ……」
赤井さんがソファーに横たわりながら呟く。
「意識が飛んだあと、相手は僕と目が合っている間、相手の過去の記憶を見ることになる。相手が過去を見ている間はその映像が僕にも伝わってくる。だから、相手がどんな過去を背負っているかとかが分かるんだ。辛かったこととか、楽しかったこととか、好きなもの、嫌いなもの、誕生日の思い出、その人の家族との思い出、友達との思い出、幼稚園、小学校、中学校、高校の思い出も全部…。だから、赤井さんが幼稚園の頃の記憶を思い出してたって分かった」
「そういうことだったのか……」
赤井さんがまた呟く。
「いつもなら目が合ったと思った途端に僕が目を逸らすから相手に過去の記憶を見させることはないんだけど、今回のはその……顔が近かったし緊張しててすぐに目が逸らせなかった……。ほんとうにごめん。相手の過去の記憶を見れてしまうなんて見られてる側からしたらいい気分じゃないよね……」
「……うん」
赤井さんは僕の話を聞きながら相槌を打つだけだ。
「こんなこと言っても信じてもらえないよね、相手の過去が見れるなんて、ばかばかしいよね。信じてもらえなくてもいいよ。でも、僕に近づくと過去の記憶をまた見せてしまうかもしれない。人は過去の思い出の悪いものばっかりを忘れずに残してしまう。だから、相手に悪い夢を見せないように、迷惑をかけないように僕はずっと一人でいる。だから、これからは赤井さんも僕と関わるのをやめた方がいいよ」
僕は何も無い壁を見つめながらそう語った。
少しの間沈黙が続く。
すると、赤井さんがおもむろに口を開いた。
「……過去を見れるとか、過去を見せれる力ががあるって普通なら信じられない。わたしだって、特殊能力とか心霊系とか全然信じない人だもん。けど、わたしはもう身をもって体験しちゃった。そこは信じるよ……。けど、だからといって細川君と関わるのをやめるかどうか決めるのはわたしの問題だから、細川君が決めることじゃない」
赤井さんはソファーから起き上がり、上に掛けていた毛布をどかした。
赤井さんがソファーから立ち上がる。
「細川君、洗面所ってどこかな?靴に着いた泥でここの床を汚しちゃったみたいで綺麗にしないと……」
と言って泥の着いた床を指さした。汚れているとはいえ、泥が少しついている程度だ。水拭きをすればなんの問題もない。
「それくらいならいいよ、僕がやっておくから。病人は家に帰ってしっかり休んで」
僕は赤井さんの指さす先にある床を見ながら答えた。
「でも、汚しちゃったのは私だし、自分でやるよ。看病してくれた挙句、泥で汚れた床まで掃除させるなんて私の気が済まないから。洗面所はどこ?」
「洗面所ならこの扉を開けて廊下に出て右側に向かうと、廊下の突き当りに扉があるからそこが洗面所だよ。雑巾も水道の横に干してあると思うからそれを使って」
僕は仕方なく教えた。それを聞くなり彼女が雑巾を取りにリビングの扉を開け、洗面所に向かって歩き始めた。
それにしても本当に僕の秘密を彼女に言ってしまっても良かったのだろうか。よくよく考えれば言い逃れをした方が良かったのではないのだろうか。どちらにせよ、彼女に僕の秘密を教えてしまった以上、彼女には秘密にしてもらわないと困るな……
彼女がいなくなって静まり返った部屋の中、僕は1人でそんなことを考えていた。
彼女が水面所から戻ってくると、早速泥で汚れた床を濡らした雑巾で拭き始めた。
「僕がやるからいいのに……」
僕は四つん這いになりながら床を拭いている彼女に言った。
「わたしがやると決めたらやるから気にしないで、それに細川君はつかれただろうし」
床を拭きながら彼女は答える。
僕が疲れているからって自分は疲れていないから大丈夫とでも言いたいのか。彼女の方がよっぽど体調が悪いはずなのに大丈夫なのだろうか。見守っていると床を拭き終えたのか彼女がおもむろに立ち上がった。そして、泥を拭いて汚れた雑巾を持ってまた洗面所へと向かって行った。
赤井さんがなかなか戻ってこない。僕はソファーに座りながら彼女を待っていた。彼女が部屋を出てからすでに5分以上経っている。雑巾を入念に洗っているのだろうか。
僕は彼女の様子を見に行こうと立ち上がった。その時、玄関の方から鍵を開け扉を開く音がした。
「ただいま」
お母さんの声がする。その後も誰かと話しているのかかすかに声が聞こえるが、玄関先で話しているのか、声が小さすぎてよく聞き取れない。
気になった僕はリビングの扉を開けて、玄関に行く。
「あんたにも家に連れてくるほどの女子がいるなんてねぇ。少し話してみたけどいい子だったしあんたには勿体ないくらいだわ」
にこにこしながらお母さんが話しかけてきた。
「そういう関係じゃないから! それよりもなんでその子が玄関に?」
「私が鍵を開けて玄関の扉を開こうとした時、家の中から鍵を開ける音がしたから、夜かと思って待ってたら、出てきたのが女の子で少し話したのよ。女の子が出てくるなん……」
「その出てきた女の子はどこに行った!!?」
僕はお母さんの言葉を無理矢理遮って問いただした。
「急に血相変えてどうしたのよ。女の子なら私が入ると同時に出ていったわよ」
僕はすぐさま荷物置きを見た。そこには、置いてあるはずの彼女の荷物がすでにもう無くなっていた。
「そのあとは!?」
「扉を閉める時に見えたけど、家を出てすぐ右に曲がったわね…それくらいしか分からないわよ」
「ありがと」
僕はそう言って靴を履き、すぐさま家を飛びだした。さっきまで雨が降っていたが、今はもう止んでいる。僕は、家の前の道を言われた通り右に曲がって走り出す。サッカーをやっていただけあって速さになら自信がある。
彼女の体調はまだ万全ではない。また彼女に何かあったらどうするのたろうか。それに7月とはいえど7時半にもなれば外は暗い。暗い中、女子高生を一人で歩かせる訳にはいかない。
のんびりしている暇は余りない、少しでも彼女を早く見つけ出すため、僕は走る速度を上げた。
街灯の光が暗闇を照らす。住宅街を探すが一向に彼女が見つかる気配がない。もうすでに家に帰れたのだろうか。それでもまだ探し始めてから5分も経っていない。もう少し探してみる価値はありそうだ。
十字路の左右を確認しながら住宅街を進んでいく。右を確認した時、100mほど先に街灯に照らされている1人の女の子が見えた。赤井さんかもしれない。僕はその子を見失わないよう、全力で走った。しかし、その子に近づいてみると鞄を持った塾帰りの中学生だった。
中学生が一人で帰っているならわざわざ赤井さんを探さなくてもいいよな。
僕は見つけれない彼女を諦め家に帰るため踵を返した。
走って汗をかいた体に夜風が当たるのはとても心地が良い。このまま家に帰らず少し夜風に当たりたい。そう思って、僕は家に帰る前に公園に寄ることにした。
道路を挟んで反対側にある公園に行くため信号を渡ろうと向かっていると、信号の少し手前に赤井さんの姿が見えた。どうやら僕が別の道を使って追い越していたみたいだ。僕は赤井さんに声をかけようと軽く走り始めた。
もう少しで追い付けそうだ。だがしかし、赤井さんは何か考え事をしているのか僕のことを気づいていない。声をかけようかと思ったが、あとすこしなのでそのまま走ることにした。
信号が赤になる。
これなら赤井さんに追いつける。僕は走る速度を落とした。しかし、赤井さんは赤信号に気づいていないのか、止まる気配がなくそのまま歩いていく。その時、トラックが赤井さんに近づいてきていた。
「細川君と関わるかどうかはわたしが決めることだから」
そう言ったのは良いものの、正直これから細川君とどう関わればいいのかわたし分からない。彼の秘密を知ってしまった以上、細川君が言うように関わらない方がいいのだろうか。
わたしはそんなことを考えながら、住宅街を歩いていた。
横断歩道に差し掛かる。やけに渡っている人がいないと気づいた時、わたしが赤になった信号を渡っていることに気がついた。急いで戻ろうとするが、隣からクラクションの音が聞こえる。音のした方を見ると、トラックの光がわたしを照らしていた。
轢かれると感じた途端、金縛りにあったように体が動かなくなった。
「赤井さん!危ない!」
僕はそう叫び、同時に走り始めた。トラックの方も気づいたのかクラクションを鳴らしている。しかし、トラックも突然止まれるわけもない。また彼女も恐怖からかトラックの方を見て固まっている。
やばい、このままだと赤井さんが轢かれる!赤井さんは何をやっているんだ。でも走るしかない、僕は全ての力を振り絞って走った。
トラックが赤井さんにぶつかるすれすれのところで、僕は彼女に追いつき、彼女の華奢な右手を無理矢理引っ張った。それにつられるように、そのまま彼女の体が自分にぶつかる。何とか衝突を避けさせることが出来たようだ。
道路脇にトラックが止まる。
「怪我はないか?」
運転手さんが心配そうに聞いてくる。
「大丈夫です」
彼女は怯えたような震える声で答えた。
「赤信号なんだからしっかり信号見ろよ」
と言い残し運転手はトラックに乗り去っていった。
「赤井さん歩ける?」
赤井さんはまだ恐怖心が収まらないのだろう。
「歩きたくても、足がガタガタして動けない……」
と小さく震える声で答えた。
「歩けないならおんぶしてあげるから背中に乗って、早く帰らないと親が心配しちゃうよ」
と言って僕は仕方なく屈んだ。流石に彼女も抵抗する元気すらないのか、足を震わせながらも素直に僕の背中に飛び乗ってくれた。
「ごめん。汗かいてるから少し濡れてるかも」
「少しくらい気にしないよ」
赤井さんは背中の上でそう言ってくれた。
細川君の温もりを感じる。背中の上で揺られながら街灯に照らされている住宅街を進んでいた。細川君は私の家を知らないので案内していた。
「さっきはありがとう……もう少しで本当に轢かれちゃう所だった……@また細川君に助けて貰って……本当にありがとう」
わたしは耳元で囁いた。でも、いざ声を出してみると恐怖心からか声が震えていた。
「気にしなくてもいいよ。でも、今度からはいきなり逃げたりしないで欲しいな。」
何かを察してくれたのか細川君が冗談混じりに答えた。
「うん……ごめん……。細川君になるべく迷惑をかけないようにって思って……そしたらあんなことになって、また迷惑かけちゃった……」
わたしはまた小さな声で囁いた。
細川君が優しいと感じたのは間違いじゃなかったんだな。
わたしは背中の上でそんなことを感じていた。
そろそろ彼女の家が近いらしい。赤井さんには別れる前に言っておかないといけないことがある。
「僕の能力についてみんなには秘密にしておいてくれないかな?赤井さんしか知らないわけだし……」
「当たり前でしょ?細川君の能力は2人だけの秘密だからね」
赤井さんがそう言って笑ってくれた。秘密にしてくれるならいいかと思う。
「絶対ね」
僕は笑ってそう答えた。
そんなやり取りをしているうちにわたしの家に着いた。細川君は、わたしを背中からゆっくりと降ろしてくれた。正直言うと、彼とのこの時間をもう少し多く過ごしたかった。しかし、家に着いてしまったので仕方ない。
「今日は本当にありがとう。気をつけて帰ってね」
細川君ってにお礼を言って、わたしは玄関の扉を開けた。
「随分帰るのが遅かったじゃないの。もう8時過ぎてるわよ。早くご飯食べなさい」
家に入るなりお母さんが心配そうに言ってくる。
「うん。ちょっと寄り道しちゃって…今は食欲ないからご飯食べなくていいや」
あのトラックの恐怖を受けたあとだと何かを食べる気力も起きない。
「ご飯食べないなら疲れてるだろうし、お風呂でも入って早く寝なさい」
そう言われたのでその通り、荷物を2階にある自分の部屋に置き1階にあるお風呂場へと向かった。
脱衣場で服を脱ぎ、体を少し洗ってから浴槽に浸かる。疲れていたので、湯船に浸かりながら寝てしまわないか心配だ。
「細川君と2人だけの秘密かぁ……なんか2人だけの秘密っていいなぁ」
わたしは独りで呟いた。彼はわたしのことをどう思っているのだろう。わたしは、そんなことを考えてしまった。
──その頃だろうか、僕には色々な変化が起こった。僕が冷たい性格になったのもそのうちの一つだ。僕も高校に入るまでは、みんなと同じように放課後は友達と遊んで、休日では友達と朝早くに出かけて夜遅くに帰ってくるなんてこともたくさんした。学校でも、休み時間になれば友達と他愛もない話もしたし、授業中に先生の目を盗んでは友達にいたずらをするなんてこともあった。あの頃は今とは違ってかなり活発な少年だったと思う。他には高校に入って、アルバイトも始めた。僕のために毎日働く母の苦労を少しでも減らそうと飲食店で慣れない接客業もした。お客さんに文句もたくさん言われた。結局、僕には合わなくて書店でアルバイトをすることにしたけど。
そしてもう1つ変わったこと。
相手の過去が見えるようになった。
僕自身もファンタジーの世界か何かですかと言いたくなる。能力のことは誰にも言ってない。どうせ誰にも信じてもらえると思ってないし、信じてもらおうとも思ってはいない。知られない方が僕自身のためにも良いと思っている。それに、実際のところこの能力について僕自身も理解出来ていない。ただ一つ分かっていることは、相手と目を合わせたら過去が見える。
この特殊な能力が僕を冷たくした一番の原因かもしれない。
高校一年になって新しい教室で新しい人と出会って目を合わせた時、突然頭の中に相手の思い出が映像として浮かび上がってきた。それが僕の特殊な能力の最初だった。
それからと言うもの、何回か相手の過去を見るうちに能力のトリガーとなる物が目だと気づいた。能力のトリガーさえ知ってしまえばあとは楽だ。相手と目を合わせなければいい。その結果、誰とも喋ることがなくなり今の性格になった。
僕はソファーに座ったまま重くなった口を開いて言う。
「僕には相手の過去を見ることが出来る力があるんだ」
赤井さんは天井を見たまま黙って僕の話を聞いている。時計の針の動く音さえ聞こえる静けさの中、僕の声だけが部屋の中に反響する。
「正確には見ることが出来るって言うよりは、相手に相手の過去を見せる力があるんだ。まず最初に僕と目が合うと、相手は一瞬目の前が真っ白になって意識が飛ぶような感覚に陥るらしい。それが、赤井さんの僕と出会って目が合う度に一瞬意識が飛んだ原因。相手の意識が飛んでいる間は、周りから見ると相手は立ったまま真正面だけを見つめてる感じかな。だから意識が飛んでもいきなり倒れたりはしない」
「意識が飛んでたのってやっぱり偶然とかじゃなかったんだ……」
赤井さんがソファーに横たわりながら呟く。
「意識が飛んだあと、相手は僕と目が合っている間、相手の過去の記憶を見ることになる。相手が過去を見ている間はその映像が僕にも伝わってくる。だから、相手がどんな過去を背負っているかとかが分かるんだ。辛かったこととか、楽しかったこととか、好きなもの、嫌いなもの、誕生日の思い出、その人の家族との思い出、友達との思い出、幼稚園、小学校、中学校、高校の思い出も全部…。だから、赤井さんが幼稚園の頃の記憶を思い出してたって分かった」
「そういうことだったのか……」
赤井さんがまた呟く。
「いつもなら目が合ったと思った途端に僕が目を逸らすから相手に過去の記憶を見させることはないんだけど、今回のはその……顔が近かったし緊張しててすぐに目が逸らせなかった……。ほんとうにごめん。相手の過去の記憶を見れてしまうなんて見られてる側からしたらいい気分じゃないよね……」
「……うん」
赤井さんは僕の話を聞きながら相槌を打つだけだ。
「こんなこと言っても信じてもらえないよね、相手の過去が見れるなんて、ばかばかしいよね。信じてもらえなくてもいいよ。でも、僕に近づくと過去の記憶をまた見せてしまうかもしれない。人は過去の思い出の悪いものばっかりを忘れずに残してしまう。だから、相手に悪い夢を見せないように、迷惑をかけないように僕はずっと一人でいる。だから、これからは赤井さんも僕と関わるのをやめた方がいいよ」
僕は何も無い壁を見つめながらそう語った。
少しの間沈黙が続く。
すると、赤井さんがおもむろに口を開いた。
「……過去を見れるとか、過去を見せれる力ががあるって普通なら信じられない。わたしだって、特殊能力とか心霊系とか全然信じない人だもん。けど、わたしはもう身をもって体験しちゃった。そこは信じるよ……。けど、だからといって細川君と関わるのをやめるかどうか決めるのはわたしの問題だから、細川君が決めることじゃない」
赤井さんはソファーから起き上がり、上に掛けていた毛布をどかした。
赤井さんがソファーから立ち上がる。
「細川君、洗面所ってどこかな?靴に着いた泥でここの床を汚しちゃったみたいで綺麗にしないと……」
と言って泥の着いた床を指さした。汚れているとはいえ、泥が少しついている程度だ。水拭きをすればなんの問題もない。
「それくらいならいいよ、僕がやっておくから。病人は家に帰ってしっかり休んで」
僕は赤井さんの指さす先にある床を見ながら答えた。
「でも、汚しちゃったのは私だし、自分でやるよ。看病してくれた挙句、泥で汚れた床まで掃除させるなんて私の気が済まないから。洗面所はどこ?」
「洗面所ならこの扉を開けて廊下に出て右側に向かうと、廊下の突き当りに扉があるからそこが洗面所だよ。雑巾も水道の横に干してあると思うからそれを使って」
僕は仕方なく教えた。それを聞くなり彼女が雑巾を取りにリビングの扉を開け、洗面所に向かって歩き始めた。
それにしても本当に僕の秘密を彼女に言ってしまっても良かったのだろうか。よくよく考えれば言い逃れをした方が良かったのではないのだろうか。どちらにせよ、彼女に僕の秘密を教えてしまった以上、彼女には秘密にしてもらわないと困るな……
彼女がいなくなって静まり返った部屋の中、僕は1人でそんなことを考えていた。
彼女が水面所から戻ってくると、早速泥で汚れた床を濡らした雑巾で拭き始めた。
「僕がやるからいいのに……」
僕は四つん這いになりながら床を拭いている彼女に言った。
「わたしがやると決めたらやるから気にしないで、それに細川君はつかれただろうし」
床を拭きながら彼女は答える。
僕が疲れているからって自分は疲れていないから大丈夫とでも言いたいのか。彼女の方がよっぽど体調が悪いはずなのに大丈夫なのだろうか。見守っていると床を拭き終えたのか彼女がおもむろに立ち上がった。そして、泥を拭いて汚れた雑巾を持ってまた洗面所へと向かって行った。
赤井さんがなかなか戻ってこない。僕はソファーに座りながら彼女を待っていた。彼女が部屋を出てからすでに5分以上経っている。雑巾を入念に洗っているのだろうか。
僕は彼女の様子を見に行こうと立ち上がった。その時、玄関の方から鍵を開け扉を開く音がした。
「ただいま」
お母さんの声がする。その後も誰かと話しているのかかすかに声が聞こえるが、玄関先で話しているのか、声が小さすぎてよく聞き取れない。
気になった僕はリビングの扉を開けて、玄関に行く。
「あんたにも家に連れてくるほどの女子がいるなんてねぇ。少し話してみたけどいい子だったしあんたには勿体ないくらいだわ」
にこにこしながらお母さんが話しかけてきた。
「そういう関係じゃないから! それよりもなんでその子が玄関に?」
「私が鍵を開けて玄関の扉を開こうとした時、家の中から鍵を開ける音がしたから、夜かと思って待ってたら、出てきたのが女の子で少し話したのよ。女の子が出てくるなん……」
「その出てきた女の子はどこに行った!!?」
僕はお母さんの言葉を無理矢理遮って問いただした。
「急に血相変えてどうしたのよ。女の子なら私が入ると同時に出ていったわよ」
僕はすぐさま荷物置きを見た。そこには、置いてあるはずの彼女の荷物がすでにもう無くなっていた。
「そのあとは!?」
「扉を閉める時に見えたけど、家を出てすぐ右に曲がったわね…それくらいしか分からないわよ」
「ありがと」
僕はそう言って靴を履き、すぐさま家を飛びだした。さっきまで雨が降っていたが、今はもう止んでいる。僕は、家の前の道を言われた通り右に曲がって走り出す。サッカーをやっていただけあって速さになら自信がある。
彼女の体調はまだ万全ではない。また彼女に何かあったらどうするのたろうか。それに7月とはいえど7時半にもなれば外は暗い。暗い中、女子高生を一人で歩かせる訳にはいかない。
のんびりしている暇は余りない、少しでも彼女を早く見つけ出すため、僕は走る速度を上げた。
街灯の光が暗闇を照らす。住宅街を探すが一向に彼女が見つかる気配がない。もうすでに家に帰れたのだろうか。それでもまだ探し始めてから5分も経っていない。もう少し探してみる価値はありそうだ。
十字路の左右を確認しながら住宅街を進んでいく。右を確認した時、100mほど先に街灯に照らされている1人の女の子が見えた。赤井さんかもしれない。僕はその子を見失わないよう、全力で走った。しかし、その子に近づいてみると鞄を持った塾帰りの中学生だった。
中学生が一人で帰っているならわざわざ赤井さんを探さなくてもいいよな。
僕は見つけれない彼女を諦め家に帰るため踵を返した。
走って汗をかいた体に夜風が当たるのはとても心地が良い。このまま家に帰らず少し夜風に当たりたい。そう思って、僕は家に帰る前に公園に寄ることにした。
道路を挟んで反対側にある公園に行くため信号を渡ろうと向かっていると、信号の少し手前に赤井さんの姿が見えた。どうやら僕が別の道を使って追い越していたみたいだ。僕は赤井さんに声をかけようと軽く走り始めた。
もう少しで追い付けそうだ。だがしかし、赤井さんは何か考え事をしているのか僕のことを気づいていない。声をかけようかと思ったが、あとすこしなのでそのまま走ることにした。
信号が赤になる。
これなら赤井さんに追いつける。僕は走る速度を落とした。しかし、赤井さんは赤信号に気づいていないのか、止まる気配がなくそのまま歩いていく。その時、トラックが赤井さんに近づいてきていた。
「細川君と関わるかどうかはわたしが決めることだから」
そう言ったのは良いものの、正直これから細川君とどう関わればいいのかわたし分からない。彼の秘密を知ってしまった以上、細川君が言うように関わらない方がいいのだろうか。
わたしはそんなことを考えながら、住宅街を歩いていた。
横断歩道に差し掛かる。やけに渡っている人がいないと気づいた時、わたしが赤になった信号を渡っていることに気がついた。急いで戻ろうとするが、隣からクラクションの音が聞こえる。音のした方を見ると、トラックの光がわたしを照らしていた。
轢かれると感じた途端、金縛りにあったように体が動かなくなった。
「赤井さん!危ない!」
僕はそう叫び、同時に走り始めた。トラックの方も気づいたのかクラクションを鳴らしている。しかし、トラックも突然止まれるわけもない。また彼女も恐怖からかトラックの方を見て固まっている。
やばい、このままだと赤井さんが轢かれる!赤井さんは何をやっているんだ。でも走るしかない、僕は全ての力を振り絞って走った。
トラックが赤井さんにぶつかるすれすれのところで、僕は彼女に追いつき、彼女の華奢な右手を無理矢理引っ張った。それにつられるように、そのまま彼女の体が自分にぶつかる。何とか衝突を避けさせることが出来たようだ。
道路脇にトラックが止まる。
「怪我はないか?」
運転手さんが心配そうに聞いてくる。
「大丈夫です」
彼女は怯えたような震える声で答えた。
「赤信号なんだからしっかり信号見ろよ」
と言い残し運転手はトラックに乗り去っていった。
「赤井さん歩ける?」
赤井さんはまだ恐怖心が収まらないのだろう。
「歩きたくても、足がガタガタして動けない……」
と小さく震える声で答えた。
「歩けないならおんぶしてあげるから背中に乗って、早く帰らないと親が心配しちゃうよ」
と言って僕は仕方なく屈んだ。流石に彼女も抵抗する元気すらないのか、足を震わせながらも素直に僕の背中に飛び乗ってくれた。
「ごめん。汗かいてるから少し濡れてるかも」
「少しくらい気にしないよ」
赤井さんは背中の上でそう言ってくれた。
細川君の温もりを感じる。背中の上で揺られながら街灯に照らされている住宅街を進んでいた。細川君は私の家を知らないので案内していた。
「さっきはありがとう……もう少しで本当に轢かれちゃう所だった……@また細川君に助けて貰って……本当にありがとう」
わたしは耳元で囁いた。でも、いざ声を出してみると恐怖心からか声が震えていた。
「気にしなくてもいいよ。でも、今度からはいきなり逃げたりしないで欲しいな。」
何かを察してくれたのか細川君が冗談混じりに答えた。
「うん……ごめん……。細川君になるべく迷惑をかけないようにって思って……そしたらあんなことになって、また迷惑かけちゃった……」
わたしはまた小さな声で囁いた。
細川君が優しいと感じたのは間違いじゃなかったんだな。
わたしは背中の上でそんなことを感じていた。
そろそろ彼女の家が近いらしい。赤井さんには別れる前に言っておかないといけないことがある。
「僕の能力についてみんなには秘密にしておいてくれないかな?赤井さんしか知らないわけだし……」
「当たり前でしょ?細川君の能力は2人だけの秘密だからね」
赤井さんがそう言って笑ってくれた。秘密にしてくれるならいいかと思う。
「絶対ね」
僕は笑ってそう答えた。
そんなやり取りをしているうちにわたしの家に着いた。細川君は、わたしを背中からゆっくりと降ろしてくれた。正直言うと、彼とのこの時間をもう少し多く過ごしたかった。しかし、家に着いてしまったので仕方ない。
「今日は本当にありがとう。気をつけて帰ってね」
細川君ってにお礼を言って、わたしは玄関の扉を開けた。
「随分帰るのが遅かったじゃないの。もう8時過ぎてるわよ。早くご飯食べなさい」
家に入るなりお母さんが心配そうに言ってくる。
「うん。ちょっと寄り道しちゃって…今は食欲ないからご飯食べなくていいや」
あのトラックの恐怖を受けたあとだと何かを食べる気力も起きない。
「ご飯食べないなら疲れてるだろうし、お風呂でも入って早く寝なさい」
そう言われたのでその通り、荷物を2階にある自分の部屋に置き1階にあるお風呂場へと向かった。
脱衣場で服を脱ぎ、体を少し洗ってから浴槽に浸かる。疲れていたので、湯船に浸かりながら寝てしまわないか心配だ。
「細川君と2人だけの秘密かぁ……なんか2人だけの秘密っていいなぁ」
わたしは独りで呟いた。彼はわたしのことをどう思っているのだろう。わたしは、そんなことを考えてしまった。