黒と白の境界線〜心理学者の華麗な事件簿〜

今からおよそ、八年前の頃ーーー。

とある街中のカフェ。お昼頃なのだが、平日のためかそこそこ広い店内に人はそれほどいない。

美しい黒髪を揺らし、黒いチェックのシャツにベルトのついた深い青のパンツスタイルの女性が迷うことなく店内に入る。すると、近くに座っていたサングラスをかけた男性が立ち上がり、ペコリと女性にお辞儀をした。

「わざわざ来てくださり、ありがとうございます」

男性がサングラスを取ると、整った顔立ちがあらわになる。女性はニコリと微笑んだ。

「大丈夫です。診療所に来れない方にはこのようなサービスをさせていただいていますので」

女性は、男性の左斜め前の椅子に座る。これから二人で食事をしながら話をするのだ。

「このカフェのカレーが大好きなんです!」

「じゃあ、私もカレーにします」

男性が嬉しそうにそう言ったので、女性も微笑んでそう言う。男性はますます嬉しそうな顔を見せた。
カレーが運ばれてくる間、女性と男性は趣味の話や仕事の話などを話して過ごす。パッと見ただけでは、カップルか仲のいい友達同士がご飯を食べに来たとしか見えないだろう。

しばらくして、カレーが運ばれてきた。おいしそうなチーズカレーだ。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

男性は女性にスプーンを渡し、自分も握る。男性はスプーンを上からギュッと握るように持った。上手持ちという持ち方だ。

「わあ、おいしいです」

女性はカレーを口に入れ、男性に笑う。男性は「でしょ!?」と子どものようにはしゃいだ。

「あ!せっかくですし、写真撮っていいですか?」

男性がカメラを取り出す。男性の趣味はカメラだ。女性は快く応じる。

穏やかな午後だった。
とある県にある診療所。パッと見ただけでは診療所とはわからないだろう。温もりを感じる木造の建物だ。

この診療所の待合室には、多くの患者がいる。みんな体は元気だ。心に問題を抱えている。

ここは心療内科。柔らかなソファが置かれ、可愛らしい動物の置物が置かれた待合室で、患者たちは自分の話を聞いてもらえる順番を待っている。

「次の方、どうぞ」

白衣を着た穏やかな笑みを浮かべた男性が言い、一人の女子高生が立ち上がる。そして暗い表情で診察室へと入っていった。

「初めての方ですね。どうされましたか?」

診察室のソファに一人の女性が座っている。海を思わせる青いワンピースを着て、穏やかに微笑んでいた。

「……ッ」

ソファに座った女子高生は、女性を見た刹那泣き始める。女性は驚くことなく、女子高生を優しい目で見つめていた。

「私!すぐに泣いてしまうんです!な、泣き虫で!!こんな自分、大ッ嫌い!!」
女子高生は泣きながら言う。女性はティッシュを勧め、「そうなんですね。それは辛いですね」と優しく声をかけた。女子高生はますます泣き出す。

しばらく女子高生は泣き続け、やがて心は落ち着いてきたようだ。女性は微笑んで言う。

「泣くということは、とてもいいことなんです。抑えている感情があふれ、気持ちが落ち着いたり、ストレスが軽減されたりします。ストレスを発散させるには、笑うよりも泣く方がいいというデータもあるんですよ」

「そうなんですか?」

女子高生は驚き、女性は頷いて話を続ける。

「逆に泣けないとなると、とても危険なんです。うつ病になりかけていたり、感情を押し込めすぎていたり、過剰なストレスから常に興奮状態に置かれているのと同じなんですよ」

「……じゃあ、泣いてもいいんですか?」

「もちろんです。うつ病を予防することができますし、女の子に嬉しい美肌効果もあるんですよ」

「ほんとですか!?」

女子高生の顔が一瞬にして、暗い表情から明るいものに変わる。そして、お礼を言って診察室から出て行った。
女性は男性に「次の方をお呼びして」とお願いする。男性は「はい」と穏やかな笑みのまま頷き、待合室の扉を開けた。

女性の名前は、芥川京(あくたがわみやこ)。心理学者として活躍しており、診療所でカウンセラーをしたり、事件の容疑者の心理を解説したりする。

男性は、明智遼河(あけちりょうが)。京の優秀な助手として彼女を支えている。

今日も、人の心に京は踏み込んでいくのだ。



午後六時。診療所の閉まる時間だ。片付けや掃除を京と遼河は協力してする。

「そういえば、お子さんのお迎えにいかなくていいんですか?」

遼河が訊ね、京は「大丈夫。今日から主人が行ってくれることになったの」と言った。

京は結婚し、双子の子どもがいる。二人ともまだ五歳だ。保育園に通っている。

今までは京が保育園に送り迎えをしていたのだが、旦那の弘樹(ひろき)が自宅でできる仕事に転職したため、余裕を持って診察することができるようになった。
「旦那さん、イクメンですね」

「家事をするのが好きみたいで、私より色々してくれるわ」

そんなことを話しながら掃除を二人は続ける。その時、遼河が「ん?このファイルは?」と棚を指差した。棚には黒いファイルが何冊か入っている。

「それは、訳あって診療所に来れない人たちのところへ行って診察した時の記録よ」

「へえ〜……。見ていいですか?」

「ええ」

遼河は一冊のファイルを手に取り、ペラペラとページをめくる。その時、「あれ、この人って……」と京にあるページを見せた。今から八年前のものだ。

「あら、懐かしいわね。私が心理学者になりたての頃のものだわ」

「この人ってもしかして、××劇団に所属していた岡夏輝(おかなつき)ですか?」

「ええ。不眠症で悩んでいたのよ」

岡夏輝は、××劇団の人気俳優だった。数々の舞台に立ち、ファンも多かったのだが京が診察をした数日後に自宅のマンションから飛び降りて亡くなった。自殺とされている。