結局一睡もできなかった天満だったが、徹夜したことなどざらにある。

雛乃と部屋を別にしてからは特にほとんど眠れず、眠れたと思ったら悪夢――の繰り返しで、ぐっすり眠っている雛乃を起こさないよう気配を消して部屋を出た。


「お、天満か。雛乃とはうまくいったか?」


「うまくというか、何もしてないし、雛ちゃんはぐっすり寝てるよ」


「はははっ、夜這いする位やれよな」


「僕はそんなに器用にできてないんです」


居間に居た雪男に軽口を叩かれつつ、縁側にちょこんと座っている者の姿を見て天満は足を止めた。


「あれ?君は…伊能の?」


――‟伊能”とは、百鬼夜行を始めた初代から仕えている一族の総称だ。

幽玄町は本来罪を犯した者しか住まうことはできないが、この伊能の者だけは許されており、幽玄町と平安町の朝廷を繋ぐ架け橋となっている。

そして細かい雑用も全てこなしているため、雪男や朔からの信任も厚い。

今、天満の目の前に居るのは、次期伊能の総領となるまだ若い女だった。


「次期総領になるんだってね、女子ではじめてだっけ?」


「はい」


静かに、かつ心地よい声で返事をした女は、いかにも仕事ができそうなきりりとした顔立ちの女だった。

天満が伊能とまともに話ができるのは周囲の信任の厚さもあるし、この女が赤子の頃から知っているからだ。


「今日はどうしたの、朔兄に用?」


「はい。朝廷から主さま宛てに送られた書状の返答を受け取った後、平安町へ」


「ふうん、ひとりのようだけど、供は?」


「皆が忙しくしていたので、私のみで」


「それは危ないよ。君は人なんだから、何かあると大変だ。そうだなあ…僕は手が空いてるけど、一緒に行こうか」


「え…よろ…しいのですか?」


「いいよ、次期伊能の総領のお供としてお仕えしましょう」


ふざけてにこっと笑った天満の笑顔に――伊能は俯き、長い黒髪が垂れて天満から表情を隠した。


「いいよね、雪男」


「ああ構わないぞ。主さまには俺から言っとく」


そう言いつつ文に目を落としたふりをした雪男、ぼそり。


「この天然たらしが」


「今なんか言った?」


「んーや、何も」


これは面白いことになるな、と独り言ちて、にまにまが止まらなかった。