「今村さんのこと知っているんですか?」
よかった――! ようやく知っている人にたどりつけた。
と、思ったのもほんの一瞬だった。なぜならその彼女の顔は一目見ただけで、物凄く怒っているのがわかるくらい、僕の顔をそのきつい目でにらみつけていたからだ。
「………あのぉ」
恐る恐るその仁王立ちして腕を組んで僕をにらみつけている彼女に話しかけた。
「なによ!」
こ、こわー……。
一歩足が後ろに引いた。
でもこの声、と、いうか。この雰囲気? どこかで見覚えがある。
どこだったかは思い出さないけど、この人の事どこかで記憶に残している。
「どうしてあなた沙織のこと詮索(せんさく)しているの」
「そんな、詮索だなんて。僕はただ今村さんに用事があって、どこにいるか聞いていただけなんですけど」
「ふぅーん。沙織に用事ねぇ。で、どんな用事なのよ」
「どんな用事って、君には関係ないじゃないじゃないか。僕は直接彼女に会って聞きたいことがあったからこうして探していたんだ」
「私には言えないことなんだ。その用事って」
「だから君は今村さんの何なんだよ。知り合い? それとも友達? 見も知らない人に話せるようなことじゃないんだよ。当事者しか分からないことだからね」
「あっやし――。大方沙織を追い回して、近づこうとしているのが見え見えだわ」
ちょっとムカぁ―っときた!
「あのさぁっ」と彼女の手をつかもうとしたとき、僕らをとりかこむように人の群れが出来ているのをその時はじめて知った。
まずい! 今ここで彼女の手を取れば、ありも無い噂が広がるかもしれない。
もしかしたら学長まで話が行くかもしれない!
落ち着け! ここで逆上したらこっちの負けだ。それにようやく沙織さんの事知っている人に出会えたんだ。何とかここは穏便に彼女から沙織さんのことを聞き出す手段を考えた方がいい。
一呼吸おいて。
「外出ませんか?」と、彼女を構内から外に連れ出した。
教養学部の校舎の入り口にある中庭まで僕らは移動した。
ここなら、あまり人の目を気にすることはない。
「で、あなたは沙織のことを探して何を聞きたかったの?」
彼女の方から僕に問いかけてきた。さっきとは違い、少し落ち着いた感じの声になっていた。
ここまで来て、あれやこれやと反発するのはかえって逆効果だろう。僕は今までのいきさつを正直に話した。
「あははは、そう、あなただったの。沙織が言っていた小説家の卵さんて」
小説家の卵って?
「沙織言っていたわよ、病院の帰りに亜崎さんていう文学部の人に出会ったって。沙織、あなたの書く小説の事ずっと話していたわよ」
「え、本当に! で、沙織さんはなんて言っていたんですか」
彼女は少し目線を空に向けて
「読んでいて、なんだか物凄く心があたたかくなる小説だって」
その言葉は今までのあの強烈な印象から、何かが彼女自身を包み込んでいるしまったような。どことなく慈しみを感じる言葉に聞こえた。
「そうでしたか」
ふと出た言葉はそれだけだった。
「それで、沙織さんは今どこに?」
「ああ、沙織ね。今日は来ていないわよ。ここ3日くらい休んでいるかな」
「まだ調子よくないんですか?」
「そうねぇ、大分落ち着いては来ているみたいだけど……。あ、あなたどこかで見たことある人だと思ったら病院で騒いでいた人よね」
病院で騒いでいた。まぁ確かに隣の病室からすればそう言われても致し方ないんだが、一番響いていたのはあの宮村の声だろ。僕はそんなに騒いでいたわけじゃないんだけどな。
「あはは、そのせつはご迷惑をおかけしました。そうか、どこかで見たことある人だと思っていたんだ。あの時僕の病室にいきなり怒鳴り込んできた人だったんだ」
「怒鳴り込んできた!」一瞬彼女の眉がぴくッと動いた。
「あ、いや、注意しに来た人。そうそう。あれは僕らが悪かった。確かにそうそう、僕らが悪かった」
「ま、いいかぁ。それであなたは、いつまでたっても来ない自分の小説の感想をしびれを切らして、わざわざ文学部から教養学部まで沙織を訪ねてきたというわけなんだ。ふぅ―ん」
「いやぁーわざわざだなんて、ほら、同じ大学だったし、ちょうど講義次まで時間空いていたし……。え―と」
言い訳の様な言葉が続かない。
「馬鹿じゃないの」
え、今なんて言った? <バカ>って聞こえたんだけど。
「ほんとあなたって面白い人よね。あなたたちもうSNSつながっているんでしょ。だったら沙織にメッセージおくりゃいいだけじゃないの? それとも感想をもらう以外に何か___。下心あったりして」
いわれてみれば彼女の言う通りだ。すっかりSNSでつなかがっている事なんて忘れていた。確かに感想を聞くだけだったらSNSで連絡すればいいだけなんだろうけど……。<下心あったりして>の言葉が物凄く引っかかる。
「あはは、そうですよね。連絡してみます」
そういう間に彼女はジーンズのポッケからスマホを取り出し、どこかに送信していた。
「もう沙織に送ったから。気が向けば返事あるかもしれないわよ」
はぁ、その速さにあっけにとられていた。
「ありがとうございます。ところで、沙織さんとは物凄く仲がいいんですね」
「そうね、沙織とは高校の時からの付き合いだから」
「高校の時からですか。そうなんですね」
「沙織は私の恋人……。あ、いや親友よ……親友!」
少し顔を赤染めた彼女の姿。そのはにかんだ表情が今までとは違い、可愛らしく見えたのはなぜだろう。
「あ、そうだまだ名前行っていなかったですね。僕は亜崎達哉(あざきたつや)文学部の3年です」
「知ってるよ。今までの話で沙織が言っていたこと全部つながったから。でも、まさか沙織を探しにここまで来るとは思ってもみなかったよ。私、美津那那月(みつななつき)、沙織と同じ教養学部の3年。さっきはごめんなさいきついこと言って」
「いえ、いいんです。押しかけて来たのは僕の方ですから。それより沙織さんの親友に出会えたのは物凄く運がよかったですよ」
「そうぉ、君って物凄くいい人なのかな」
「え?」
「な、なんでもない」
彼女の耳の先が赤く染まっていたのを僕は見逃さなかった。
「私もうじき講義始まるから。あと沙織、相当いろんな本読んでいるから結構辛口かもよ。亜崎君、覚悟しておいた方がよくてよ」

そう言い残し、美津那那月は校舎の中へ戻った。

これが美津那那月。通称、ナッキとの出会いだった。

高校の時の初めての恋それは、富喜摩美野里(ときまみのり)との間に生まれた恋だった。
その恋は形を変え僕らは同じ道を歩み、必ずその目標に向かうことを誓いあう人に変わった。しかし恋というものを、あの時の僕らにはどれだけ理解できていたのだろうか?
美野里がほとんど強制的に推し進めた恋愛というジャンルの小説。あの頃はただ言われるままに書きだしたが、今になってもなぜ美野里は僕に恋愛、人とのかかわり色濃く描写する小説を書くように勧めたんだろう。
それは今の僕にとって、いまだに謎である。

そんないまだ何も自分では理解できていないテーマ。僕は今その恋というテーマの本当の意味を、この躰で初めて経験することになる。
その恋はかけがえのない、僕の人生にとって一番大切な想いとなった。

今村沙織(いまむらさおり)彼女との出会いは、運命という悪戯が僕らを出逢わせたとしか思えない。
彼女と彼女を取り巻く人たちの想いが、これから僕の中に流れ込む瞬間だった。

常磐大学文学部3年。
夏にはまだ少し早いこの季節。 
陽の光は、僕の体を強く照らし始めた。

原稿用紙に、まだ題名のない新たなストリーが描き始められた。